中村一氏

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中村一氏
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長5年7月17日1600年8月25日
別名 仮名:孫平次
戒名 大竜院殿一源心公大禅定門
墓所 臨済寺静岡県静岡市
官位 従五位下 式部少輔
主君 豊臣秀吉
氏族 中村氏
父母 父:一成?、母:不明
兄弟 一氏一栄
正室:安養院(池田恒興女)
一忠、甚左衛門
  

中村 一氏(なかむら かずうじ)は安土桃山時代大名豊臣政権三中老の一人。

目次

[編集] 年譜

[編集] その後の中村家

戦後、その戦功によって伯耆米子17万5,000石および国持大名の格式を与えられたが、慶長14年(1609年)に中村一忠は急死。跡継ぎを欠いた中村家はわずか2代で断絶。江戸幕府により改易された。

一忠の側室(梅里)が男子(中村一清)を産んでいるが、末期養子の認められない時代であり、また、将軍に拝謁を済ませるなど認知を受けてもおらず、跡目としては認められなかった。一清は後に鳥取藩池田光仲に仕え、禄高150石で鳥取藩家老池田知利の客分となる。

[編集] その他

岸和田城主時代の天正12年(1584年)、雑賀・根来衆に攻められ、居城岸和田城が落城寸前に追い込まれた(岸和田合戦)際、大蛸に乗った僧と数千の蛸に城を救われたという伝説(蛸地蔵伝説)がある。

[編集] 出自について

  • 中村家の会会長中村忠文による一氏、一忠についての説明
  • 近江源氏佐々木氏の族山崎氏の余流、桓武平氏良文流、藤原氏流、橘氏流とする説があるが、正確には不明である。
  • 『米子市史』には、数種類ある中村氏にみられるルーツ(源氏末裔、平氏末裔説等)は不確定的要素が多く、歴史的事実とみなすことはできないが、一忠の父・一氏以降の系譜は信頼性が高いとしている。
  • 鳥取藩士中村家の末裔義和所有の系図は、350年以上が経過していることが鑑定により明らかだが、一氏の父は吉一としており、系図には多くの文献で一氏の父とされている一政という名は見出せない。
  • 『駿国雑志』には「中村一氏は尾州中村(現・愛知県名古屋市中村区)の住人中村孫平次一政の子なり。本姓詳ならず(本姓不明)」とある。
  • 『滋賀県甲賀郡誌』には、「中村一氏は弥平次一政の子にして初め瀧孫平次と称し後、中村式部少輔とあらたむ。瀧村の人なり」とある
  • 『近江與地志略』には、「一氏は佐々木山崎の余流にして此の地多喜の産なり。」とある。

[編集] 一族・縁者

米子藩初代藩主。
  • 子・甚左衛門
細川藤孝に仕える。関ヶ原の戦いにおける田辺城籠城(田辺城の戦い)では、禁裏への使いという密命を受け田辺城を脱出した(「中村甚左衛門田辺御籠城御使者一件」参照)。
  • 孫・弥一
甚左衛門の子。細川忠興の命により「沢村」に改姓、細川家家老沢村大学一門と同様の処遇を受けた。
  • 曾孫・正辰
熊本藩加藤忠広に仕え500石、改易後に新藩主細川忠利に仕え1,000石。
  • 弟・勘三郎
一氏の末弟・中村右近(蜂須賀家5,000石)の孫。歌舞伎江戸三座の一つ中村座の座元・初代中村勘三郎と同一人物とする説もあるが明確ではない。

[編集] 中村一氏を演じた人物

[編集] 関連

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月26日 (木) 07:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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