中通り
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| 中通りのデータ | |
| 国 | 日本 |
| 地方 | 東北地方 |
| 面積 | 5,392.95km² |
| 総人口 | 1,220,668人 (2007年3月31日) |
中通り(なかどおり)は、福島県を南北に連なる奥羽山脈と阿武隈山地の2つの尾根線を概ねの境界とした「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域(西から列挙)のうち、2つの尾根に挟まれた中間の地域。。
西に奥羽山脈、東に阿武隈高地に挟まれた南北に細長い地域で、そのほぼ中央を大小の盆地を貫きながら阿武隈川が北流する。そのため、阿武隈地方と呼ばれることもある。
後述の古代からの道と似て阿武隈川に沿う経路で東京都を起点に国道4号や東北自動車道、あるいは、東北本線や東北新幹線が当地を貫いている。
当地には、県庁所在地である福島市を中心とした福島都市圏と、福島県の経済、地理、高速道路網などの各中心である郡山市を中心とした郡山都市圏が、域内二大盆地に照応して二大経済地域を形成している。
目次 |
[編集] 自然地理
那須火山帯山麓は豪雪地帯で日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候を呈している。農業面では、福島盆地が桃をはじめ、梨、リンゴ、ブドウ、サクランボの果物の産地として知られ、郡山盆地では稲作が盛んで、最近、安積米というブランド米が知られるようになった。
[編集] 歴史
[編集] 古代
古代には、当時のヤマト王権の中心地だった畿内から本州の内陸側を抜ける道が白河から阿武隈川沿いに信夫郡まで達し、この道は律令制以後に官道となって東山道と呼ばれた。各々の道の名前はその道沿いにある国を括る地方区分としても用いられ(五畿七道)、当地は東山道に属する陸奥国の一部をなした。
養老年間(717年 - 724年)の短期間であるが、当地の白河郡、石背郡、信夫郡、安積郡、会津郡の5郡が陸奥国から分立した石背国とされた。
[編集] 中世
鎌倉幕府開府に先立つ文治5年(1189年)の奥州合戦では、源頼朝が差し向けた鎌倉軍を迎え撃つために藤原泰衡が伊達郡(平安時代中期に信夫郡から分立)に阿津賀志山防塁を築いて一大激戦地となり、奥州藤原氏の本拠だった平泉までの進撃路となった東山道は鎌倉時代に鎌倉を起点とする奥大道(奥州大路)に改まった。
当地は陸奥国の他の地域と別して仙道六郡[1]とも呼ばれるようになった。具体的には白河郡(石川郡と白川郡を分立させた後の)、岩瀬郡(石背郡が転じた)、信夫郡、伊達郡、安積郡(田村郡を含む?)、安達郡(安積郡の東北部が分立)を指した[2]。
[編集] 近世(江戸時代)
戦国時代(安土桃山時代)には、伊達郡を本貫とした伊達政宗をはじめとして名だたる武将が当地を行き交って合戦を行い領主が目まぐるしく変わった。上杉景勝の家老、直江兼続は徳川家康による会津征伐軍を迎え撃つため、白河郡革籠原(かごはら、現白河市白坂石阿弥陀)[3]に長大な防塁を築いた。
江戸時代の中通りの官道は江戸を起点とする奥州街道(仙台松前道)となって南北に貫き、幾つもの宿場町が置かれた。道沿いには白河藩[4]、福島藩[5]、二本松藩、棚倉藩など、比較的中規模の藩が分立していた。
白河城下からは、会津道が猪苗代湖より南の経路で会津若松城下へ、そして、現在の下越地方の新発田城下を経て日本海沿岸の港町・新潟へと繋がり、福島城の北の桑折宿からは、羽州街道が上山城下を経て内陸部を横手盆地まで下り、それから日本海沿岸の久保田城下へと繋がっていた。
[編集] 近代
明治元年12月7日(1869年1月19日)に、安達、安積、岩瀬、信夫、伊達の5郡に、会津、大沼、河沼、耶麻の4郡を合わせた9郡で岩代国が陸奥国から分立され[6]、戊辰戦争後に同国の領域に存続した藩は二本松藩だけであった。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県時には、岩代国で藩主が藩知事から横滑りのまま県となったのは二本松県だけで、他の区域は福島県と若松県(会津地方)の2県に再編されて新政府が任命した(権)知事が治めた。また、磐城国に含められた棚倉県と三春県は存続したものの白河県(西白河郡)は新政府直轄県となった。次いで明治4年11月2日(1871年12月13日)の第一次府県統合で二本松県に福島・白河両県が統合、同11月14日(1871年12月25日)に統合二本松県は福島県に改称された。明治9年(1876年)8月21日の第ニ次府県統合で、磐城国に含められた西白川郡・石川郡・田村郡を含む磐前県(いわさき、浜通り)と福島県・若松県が統合して、現在の範囲の福島県となるとともに、中通りが1県内の地域に収まった。
明治初期の福島県内の都市人口順位は、第一位が若松町(会津若松市、1899年市制)、第二位が福島町(福島市、1907年市制、旧信夫郡)という順位であり(→東北地方#人口)、県庁所在地を決める際に、この2都市が対立した。県庁が福島に置かれた要因は、 (1) 江戸時代から信夫郡や伊達郡の一帯が、東北地方における養蚕業の中心地となっており、明治前期の殖産興業政策下で製糸業が発達して資本の集約が起きて、東北第一号の日本銀行支店が置かれるなど発展していた点と、(2) 会津若松が、薩長が占める明治政府と敵対していた点だと見られている。
その後、明治政府によって安積疏水(1881年完成)を初めとした郡山盆地の開発事業が行われ、郡山(1924年市制、旧安積郡)が商工都市として発展した。中通りを南北に貫く東北本線、平へ至る磐越東線、新潟へ至る磐越西線、水戸へ至る水郡線と、次々と建設された鉄道の結節点となった郡山駅を持つ郡山が、交通都市としても勃興し、1935年には福島県第一の人口を擁する都市となった(→郡山都市圏)。
[編集] 現代
第二次大戦後、高度経済成長期(1960年代)までには国道4号の舗装が完了し、1970年代には東北自動車道も建設されたため、主に京浜工業地帯の企業が、安い土地と労働力を求めて、関東地方に比較的近い郡山都市圏に進出した(→新産業都市)。浜通りのいわき都市圏では臨海工業、中通りの郡山都市圏では内陸機械工業、福島都市圏では公共事業関連業種が発展し、資本関係からも関東との繋がりが深い地域となった。この頃からモータリゼーションと郊外住宅地の開発が始まり、いわき・福島・郡山が同じ程度の人口を擁する都市圏となり、会津若松がその後に次いでいた。
1980年代になると東北新幹線が開通し、各都市で第三次産業人口比率が更に大きくなった。この期に商業集積度が高い郡山都市圏が大きく躍進し、福島県下では、福島市が業務機能の中心地、郡山市が商業の中心地としての地位を確立していった。1990年代には磐越自動車道が開通し、郡山郊外に郡山JCTを形成すると、郡山都市圏北部に流通・工業地区が集約されるようになった。
1990年代後半からの地方の不況期に入ってくると、中通り北部の福島都市圏で商機能の低下が起き、仙台都市圏の広域商圏に入って仙台経済圏を形成するようになった。これを期に、郡山都市圏の支店経済都市としての相対的地位が向上し、情報集散地としても郡山が福島県の中心を成すようになった(FM福島の福島市から郡山への移転)。2000年前後からは、南東北で陸上交通の再編が始まり、次第に郡山都市圏にも仙台経済圏の影響が及ぶようになった(→東北地方の経済史)。
- 1963年、福島テレビが福島市に開局
- 1970年、福島中央テレビが郡山に開局
- 1981年、福島放送が郡山に開局
- 1983年、テレビユー福島が福島市に開局
- 1995年、FM福島が福島市に開局
- 2005年、FM福島が郡山に移転。
[編集] 地域
[編集] 県庁の地域区分
中通りの範囲には、県北・県中・県南の3つの地方振興局が置かれている。
- 県北地方振興局管内 50万8389人
- 県中地方振興局管内 55万9607人
- 県南地方振興局管内 15万3109人
都市圏(都市雇用圏、10%都市圏)は、北から福島都市圏、二本松都市圏、郡山都市圏、白河都市圏の4つが認められる。郡山都市圏が最大で、福島県内でも最大、東北地方では仙台都市圏に次いで第2位である。
地方振興局の管轄による3区分において、県北の中心地は福島市(行政的中枢)、県中の中心地は郡山市(交通的・経済的中枢)、県南の中心地は白河市となる。都市圏単位の傾向として、福島都市圏は仙台都市圏と、郡山都市圏以南は関東地方や会津地方との結び付きが強く、北部と中南部で異なる地域圏を形成している。そのような地勢を考慮して、「県北」「県南」という南北2分割する例も見られる。この場合の「県南」は、概ね郡山都市圏以南を指す。
[編集] 交通
南北軸として、東北自動車道と東北新幹線が整備され、南は白河から宇都宮を経て東京に繋がっており、北は福島から仙台や盛岡を経て青森へと繋がっている。又、郡山や須賀川からは、水戸に至る路線も整備されている。
東西の連絡線としては、郡山からは平・新潟方面と結ばれ、福島からは米沢・相馬方面と結ばれる。
[編集] 鉄道
[編集] 主な道路
[編集] 道の駅
[編集] 脚注
- ^ 井上通泰『上代歴史地理新考 東山道』(三省堂、1943年)によれば、「仙道は山道の借字」であり、同書で井上は「中通り」ではなく「東山道」に因んだ「山道」と区分することを提案している。同じく「浜通り」についても「東海道」の延長として「海道」とも。
- ^ 葛西大崎一揆後の処分で伊達政宗が取上げられた「仙道六郡」の場合、刈田郡、安積郡から分立した田村郡、陸奥国から出羽国に編入されていた置賜郡に、信夫・伊達・安達の3郡を合わせた6郡を指す。
- ^ 「革籠」の地名は金売吉次兄弟を盗賊が襲って殺し、財宝を詰めた革籠を奪ったという故事に因む。
- ^ 陸奥国から江戸を含む関八州への侵攻路となる白河口を親藩に警護させる配置
- ^ 上杉氏の出羽米沢藩からの侵攻路を譜代に警護させる配置
- ^ 白河郡(西白河郡)は旧白河郡の白川郡・石川郡や田村郡ととともに、同じく陸奥国から分立した磐城国に併合された。同時期に陸前国、陸中国の2国も分立
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 福島県 - ふくしまの歴史と文化の回廊「四、阿武隈川流域の古代役所を旅する ~舟運を利用した古代郡役所を眺める~」

