中道政治
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中道政治(ちゅうどうせいじ)は、右派や左派あるいは保守や革新のどちらにも偏らずに中正の政策を行う政治。このような政治勢力は中道派と呼ばれ、フランス革命では、平原派あるいは沼沢派などと呼ばれた。中道主義ともいう。
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[編集] 概要
左派や右派といった政策問題における2つの極をはっきりと定義した上で、左派が右寄り過ぎると見なし、右派が左寄り過ぎると考える立場、あるいは自らを左派右派両派を越えた存在であると考える人を、ひとまずは「中道主義」と仮定するのが一般的である。
ただこの仮定の弱点は、両極を明確に定義付けるのが困難で、この困難さが中道主義のみならず全ての政治上の定義に影響を与えることにある。実際、この2つの極は場所により異なる上、時代により変わるため、特定の時代の特定の場所においてでしかうまく定義され得ない。それ故「中道主義」自体は、様々な場所において異なる事柄を意味しその時々により変容する。
例えば、民主主義や普通選挙権のように200年前には極論と見なされた見解が今日では中道主義と考えられる一方、奴隷制度や人種主義のように200年前には中道主義と思われたが今日では極論とされる概念もある。
[編集] 中道の例
[編集] マルクス主義運動
マルクス主義的な政治運動の文脈において中道主義とは、革命主義と社会改良主義との中間に位置する、イデオロギーを帯びた立場を表す。例えば1893年にイギリスで結成された独立労働党(ILP)は、社会改良を通じて社会主義政権を樹立するか、または革命の遂行を通じて政権を執るかで揺れ動いていたため「中道主義」と見なされる。
また、民主社会主義的な第二インターナショナルにも共産主義的な第三インターナショナル(コミンテルン)にも入れなかった、いわゆる第二半インターナショナルや第三半インターナショナルのメンバーも、この文脈においては「中道主義」と言える。
1920年代、ボリシェビキでは「中道主義」がネップや資本主義諸国との友好関係を支持する右派と、計画経済や世界革命を志向する左派との中間に位置する立場を指した。なお、1920年代末までには、この2つの対立する派閥がヨシフ・スターリンによって打倒された。
[編集] フランス
フランスには古くから中道政党が存在するが、このうち最も著名なのが1978年に設立されたフランス民主連合である。なお、フランス民主連合は2007年に解散し、その後継政党としてはフランソワ・バイル率いる民主運動などがある。
[編集] ドイツ
ドイツにおいては、1870年に結成されたカトリック系の中央党がある。中央党は左右両派のカトリック教徒を糾合した、ドイツ初の「国民政党」(包括政党)とされるものの、宗教問題に関して中立的でなかったほか、教育政策については右派路線を打ち出していた(詳細は中央党を参照)。
中央党の後継政党としてはキリスト教民主同盟(CDU)や自由民主党(FDP)があるが、いずれの政党も右派寄りであることから、社会民主党などはこれらの政党を「中道」と呼ばない。
こうした経緯から、歴史的に見てドイツの全政党のうち最も中道的な政党は、ヴァイマル共和国期に存在したドイツ民主党(1918年 - 1933年)である。
なおドイツ語では、中道主義を意味する"Zentrismus"が専門家の間でもあまり使われず、中央集権を指す"Zentralismus"と間違われやすいため、「中道政治」の訳語としては"politische Mitte"が当てられる。
[編集] 北欧諸国
北欧のほとんどの国においては、中道政党があり、いずれも社会経済的な左右の枠組みに対する中道主義的な立場に加え、明確で他とは区別されるイデオロギーを共有する。その立場とは、地方分権を軸として中小企業対策や環境保護に関わることである。こうした中道政党は、自由主義インターナショナルや欧州自由民主改革党に参画している。デンマークの中道民主党やリベラル同盟など一部を除き、歴史的には農村生活の維持に取り組む農民党を前身としており、1960年代には非農村部における諸問題の解決を図るべく中央党へと改名している。
[編集] アイルランド共和国
アイルランドでは、フィアナ・フォイルとフィナ・ゲールという2大政党がともに、中道主義かつポピュリスト政党である。ただし、フィナ・ゲールがヨーロッパでキリスト教民主主義グループに与する一方で、フィアナ・フォイルはリベラル保守政党と位置づけられている。両党とも中道左派や中道右派のメンバーから成っているため、「左派」あるいは「右派」というイデオロギー上のレッテル張りを好まない。
なお、最大の非中道政党は労働党であり、同党は自ら民主社会主義と位置づけ国内の多くの労働組合とつながりがある。
[編集] 日本
冷戦下の日本の政界では、市場経済志向・親米の保守と、社会主義志向・親ソ連の革新とに、はっきり分かれていた。そこで、保守にも革新にも与せず、イデオロギー(Ideology)に捉われない中間的な政策を目指した立場が中道であった。
具体的には、公明党・民社党・社会民主連合が中道主義を標榜した。これらの政党は、1960年代から1970年代にかけて、高度経済成長とその終焉に伴う、価値観の多様化を背景として、勢力を伸ばした。1970年代半ばには、自由民主党と民社党の間で中道新党構想があったが、当時は両者の間に越えがたい溝があり、実現しなかった。また、同じ頃、新自由クラブ・民社党・社民連が中道政党の結成を目指したこともあった。1980年代前半には新自由クラブと社民連が国会内で統一会派新自由クラブ民主連合を組んでいたほか、地方首長選挙においても共同で独自候補を擁立したこともある(1985年に行われた京都市長選など)。
この時期には、自民党も最大野党・社会党の政策を取り入れ、中道化を進めた。かねてから社会党の主張していた福祉や労働、環境などの政策は、その一部または全部が自民党政権によって実現された。このことは、自民党の長期政権を安定させると同時に、社会党の停滞をいっそう強める結果となった。
1990年代前半には、日本新党や新党さきがけといった中道新党が躍進し、1993年には、新生党や社会党、公明党、民社党、社民連などと共に与党となった。この現象は、旧来の政党、とくに自民党と社会党の55年体制に対する、無党派層の強い不満に支えられていた。こうした流れは、離合集散を繰り返しつつ、民主中道を掲げる民主党へと受け継がれることとなった。
1990年代後半からは、小選挙区制の導入に伴って、少しでも多くの有権者を獲得する必要から、二大政党の中道化がさらに進み、両者の政策には大きな違いは見られなくなっている。保守政党の自由民主党もかつての農村や地方などの組織選挙から近年は都市大衆型選挙を大々的に展開することが多いため、都市部の有権者を取り込む為にある程度は保守色を薄める政策に転じている。また、ライバルの民主党もかつての日本社会党が「何でも反対」と批判された(ただし、国会では政府・与党提出法案の7~8割に賛成しており、この批判は実態とかけ離れた部分があることに注意)反省から、ある程度は与党に迎合する傾向がありこれが俗に「自民も民主も同じ」と言われる所以である。そのため選挙の度に有権者(主に無党派層)は互いの中道的な政策の違いに頭を悩ませなければいけなくなりつつある。
なお、現在では、ひろく左や右に偏っていない意見や団体を「中道」と呼ぶことが一般的であり、「平均的」または「標準的」という意味合いが強い。このとき、やや左寄りのものを中道左派、やや右寄りのものを中道右派と称することがある。この場合には、自民党や民主党も中道に含まれることがあり、また、上記の中道を標榜していた政党が外されることもある。
ただし、どの意見を平均的/標準的とするかは人によって見解が異なり、「自分は偏っていない」ことを装う手段として、「中道」を自称することもあるため、どこまでが中道かということは一概に言えない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月26日 (木) 07:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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