中道善博
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中道善博(なかみち よしひろ、1949年3月20日 - )は、徳島県三好市西祖谷山村(旧三好郡西祖谷山村)出身の元競艇選手で、現在は競艇評論家。 通称「ゼンパク」・「水上の人間国宝」、登録番号は2096(22期)。
[編集] 経歴・人物
- 中学の頃に鳴門市内に引越し、鳴門競艇場で競艇選手という生き方を知る。鳴門工業高校卒業。実家は寿司屋の跡取り息子だが、現在は弟が継いでいる。
- 鳴門競艇場と言う時化の激しい場所がホームコースだったためか、ハンドルさばきはゼンパク・マジックと呼ばれていた。
- 落語家の林家木久扇に顔が似ているが、中道自身も優勝インタビューでとぼけた事をよく言う面があった。1992年第2回グランドチャンピオン決定戦競走で優勝した時の開口一番は「早く家に帰って、ビールが飲みたいね」。他にも「鳴門競艇場を綺麗にしてください」etc.また、大の競馬好きで1994年賞金王決定戦で優勝した時に、翌日の有馬記念の予想をスポーツ紙の記者に聞かれて「どう考えてもナリタブライアンやろ。軸は牝馬とは言えヒシアマゾンがえぇ。前走が素晴らしかった。面白い所では休み明けとは言えライスシャワーが距離的にえぇね」と言い、翌日、中道の言った通りで有馬記念が決まった。また、競馬中継に夢中になっていて、競艇誌の取材に遅刻した事もある。1996年の日本ダービー著名人予想スペシャルと銘打たれたスポーツ紙の企画で、本命にフサイチコンコルド・対抗にダンスインザダーク、次点にロイヤルタッチを予想し、これを的中させた。
- 1995年の第10回記念賞金王決定戦優勝戦での植木通彦との抜きつ抜かれつの接戦は伝説として今もファンの間で語り継がれている。1週2マークまでに勝負が決することの多い競艇において、最終コーナーまで勝負がつかない大接戦はまれである。今でも競艇の名勝負というと、このレースが取り上げられることが多い。後に中道はこのレースを振り返り「ミスのしあい」「思い出すだけで胃が痛くなる」と語っている。
- その植木曰く、自身の引退後→理事就任に至る間に(この1年間は舟券購入・予想行為が出来た)、「ボックス買いとは何か?」等を教えてくれた人が中道善博‘先生’だったという。(2009年笹川賞最終日のトークショーより)
- 1996年平和島競艇場で行われた総理大臣杯競走で優勝後のインタビューは「ワシはあと4年で数えで51歳やから、4年で辞める」と突如引退発表をしてファンを驚かせた。
- 2000年12月を持って公言通り引退。
- 現在はレジャーチャンネルやスポーツニッポンの解説者・評論家として活動している。彼のサインは「寿」を意識して書かれたものである。
[編集] 著書
- 中道善博・著 『競艇選手心理の読み方 -- 名人・善さんの競艇人生と歴戦の体験から読み解く舟券戦術』 東邦出版(東京) 2006年3月 ISBN 978-4-8094-0521-1
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年8月8日 (土) 23:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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