中野寛成
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| 生年月日 | 1940年11月26日(69歳) |
|---|---|
| 出生地 | |
| 出身校 | 関西大学法学部 卒業 |
| 学位・資格 | 法学士 |
| 前職 | 豊中市議会議員 |
| 所属委員会 |
政治倫理審査会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | (大阪府第8区) |
| 当選回数 | 11回 |
| 所属党派 | 民主党(川端グループ) |
| 党役職 | 大阪府総支部連合会特別代表 大阪府第8区総支部代表 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館411号室 |
| ウェブサイト | 中野寛成ウェブサイト |
中野 寛成(なかの かんせい、1940年(昭和15年)11月26日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。
衆議院副議長(71代)、民社党書記長、新進党政策審議会長、新党友愛代表、民主党幹事長などを歴任した。
目次 |
[編集] 概要
長崎県長崎市生まれ。4歳の時原爆を体験する。1959年に大阪府立豊中高等学校、1963年に関西大学法学部を卒業。大学在学中から民社党に入党し、卒業後税理士事務所勤務を経て、大阪府議会議員秘書を務める。1965年大阪府豊中市議会議員選挙に立候補し当選、以後3期務める。1971年、31歳の若さで豊中市議会副議長に就任。
1976年、第34回衆議院議員総選挙に民社党公認で立候補し初当選。以後、連続10回当選。衆議院外務委員長などを歴任。民社党では、党国会対策委員長、政策審議会長などを歴任し、1993年に成立した細川連立内閣では、党の政策責任者として連立与党の政策幹事会のメンバーとして、政策の立案、調整に当たった。1994年に米沢隆委員長の下、党内NO.2の書記長に就任。同年12月、新進党に参加し、党三役の一つ、政策審議会長に就任した。
1996年8月には党国対委員長に就任。しかし、新進党は旧党派の違いを解決することができず、旧民社党議員も党内グループとして民友会を組織した。保保連合構想、次いで純化路線を取る小沢一郎によって新進党は解体し、旧民社党グループは、1998年に中野を代表とする新党友愛を結成。同年4月に新党友愛は、民政党、民主改革連合とともに民主党に合流した。
1999年、民主党政策調査会長に就任する。
2002年9月の民主党代表選挙で中野の率いる旧民社党グループは鳩山由紀夫を支持し、中野は代表選挙後、幹事長に就任するが、これは完全に裏目に出て論功行賞として批判を浴び、すぐに辞任に追い込まれた。
2003年11月には渡部恒三の後任として、衆議院副議長に選出された。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、大阪8区及び比例近畿ブロックから重複立候補したものの、自民党大勝の煽りを受け、落選。同月26日、後援会事務所職員が公職選挙法違反の容疑で逮捕された。容疑者は、前回2003年の衆議院議員選挙時の選挙違反で公民権が停止されていたにもかかわらず、選挙運動を行っていた。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で当選、国政復帰を果たした。
[編集] 人物
駄洒落好きで知られる。国会コーラス愛好会会長としても有名。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 渡部恒三 |
第62代:2003年 - 2005年 |
次代: 横路孝弘 |
| 党職 | ||
| 先代: 結成 |
民主党代表代行 1998年 - 1999年 |
次代: 小沢一郎 |
| 先代: 菅直人 |
民主党幹事長 第3代 : 2002年 |
次代: 岡田克也 |
| 先代: 伊藤英成 |
民主党政策調査会長 第2代 : 1999年 |
次代: 菅直人 |
| 先代: 結成 |
新党友愛代表 初代 : 1998年 |
次代: 民主党へ |
| 先代: 西岡武夫 |
新進党国会対策委員長 第2代 : 1997年 |
次代: 解散 |
| 先代: 結成 |
新進党政策審議会長 初代 : 1994年 - 1995年 |
次代: 愛知和男 |
最終更新 2009年10月26日 (月) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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