丸亀藩

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丸亀藩(まるがめはん)は、讃岐国香川県)の西部を領し、丸亀城丸亀市)を本城とした藩主生駒氏山崎氏京極氏と続き廃藩置県を迎えた。

なお生駒氏は、讃岐一国を領し高松城を本城とする高松藩を立藩したため、生駒氏が領した西讃を丸亀藩と呼ぶには適さないとも考えられるが、現在ではその頃も丸亀藩の歴史の一部として語られる事が多いため、ここにも含める。

丸亀城天守

目次

[編集] 藩史年表

中津万象園(正門)

[編集] 藩政

太助灯籠と瀬山登像

丸亀藩は金刀比羅宮への参道である丸亀街道、多度津街道の起点を持ち、参拝客を相手とした観光業は藩財政を大きく潤していた。

幕末になり財政が逼迫すると、江戸詰の藩士たちに大村藩(隣に屋敷を構えていた)の藩士たちからうちわの作り方を学ばせ、国元に返し内職で作らせ、金毘羅参りの土産物として売るなどの策をとり、財政を立て直した。その後、うちわづくりは一般町民にも広まり始め、丸亀の名物となる。

[編集] 歴代藩主

[編集] 生駒(いこま)氏

外様 17万3千石 (1587年~1640年)

  1. 親正(ちかまさ)〔従四位下、雅楽頭〕
  2. 一正(かずまさ)〔従四位下、讃岐守〕
  3. 正俊(まさとし)〔従四位下、讃岐守〕
  4. 高俊(たかとし)〔従四位下、壱岐守〕

[編集] 山崎(やまさき)氏

外様 5万石 (1641年~1658年)

  1. 家治(いえはる)〔従五位下、甲斐守〕
  2. 俊家(としいえ)〔従五位下、志摩守〕
  3. 治頼(はるより)〔夭折のため官位官職無し〕

[編集] 京極(きょうごく)氏

外様 6万石→5万1千石 (1658年~1871年)

  1. 高和(たかかず)〔従五位下、刑部少輔〕
  2. 高豊(たかとよ)〔従五位下、備中守〕
  3. 高或(たかもち)〔従五位下、若狭守〕分封により5万1千石
  4. 高矩(たかのり)〔従五位下、佐渡守〕
  5. 高中(たかなか)〔従五位下、若狭守〕
  6. 高朗(たかあきら)〔従五位下、長門守〕
  7. 朗徹(あきゆき)〔従五位下、佐渡守〕

[編集] 支藩

[編集] 多度津藩

多度津藩(たどつはん)は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えた(前半は丸亀城内に居館を置いた)。

万治元年(1658年)、山崎氏改易後に丸亀藩に入った京極高和は、多度津を属領として支配した。

丸亀藩の第3代藩主・京極高或が3歳で藩主となったため、夭折を恐れた藩では庶兄である高通を後見人として幕府に分封を願い出た。元禄7年(1694年)6月18日、1万石の分封が認められ、ここに多度津藩が成立した。後見人とはいえ高通自身も4歳での封襲であったため、陣屋は構えず、丸亀城内に居館を置いた。高通は正徳元年(1711年)になって実質的に多度津藩主として政務を執った。

その後、第3代藩主・高文までが丸亀城内に居住した。

第4代藩主・高賢文政10年(1827年)、幕府に陣屋の建設を願い出て認められ、その年に多度津で陣屋を構えた。

第5代藩主・京極高琢は多度津港の拡張を行ない、家老の川口久右衛門を登用して港の建設を完成させた。この港は金比羅山詣船の来航などで賑わった。

第6代藩主・京極高典の時代は幕末であり、本家の丸亀藩主・京極朗徹に従って尊王派として行動し、戊辰戦争では土佐藩や丸亀藩と共に佐幕派の高松藩追討に当たった。

明治4年(1871年)、廃藩置県により備中倉敷県に編入される。その後、名東県を経て、香川県に編入された。

[編集] 歴代藩主

京極(きょうごく)氏

外様 1万石

  1. 高通(たかみち)〔従五位下、壱岐守〕
  2. 高慶(たかよし)〔従五位下、出羽守〕
  3. 高文(たかぶみ)〔従五位下、壱岐守〕以後、官位官職は同じ
  4. 高賢(たかかた)
  5. 高琢(たかてる)
  6. 高典(たかまさ)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年8月17日 (月) 00:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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