久留米城

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久留米城
福岡県
 久留米城本丸跡
 久留米城本丸跡
通称 篠原城、篠山城、雨城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし・代用3重3階巽櫓(非現存)
築城主 不明
築城年 永正年間(1504年 - 1521年
主な改修者 毛利秀包有馬豊氏
主な城主 毛利氏田中氏摂津有馬氏
廃城年 1871年
遺構 石垣、堀
指定文化財 福岡県文化財
位置 北緯33度19分42.33秒
東経130度30分27.98秒
  


久留米城(くるめじょう)は日本。所在地は福岡県久留米市篠山町。江戸時代久留米藩有馬氏の居城であった。

目次

[編集] 概要

久留米城は久留米市街の西北に位置し、筑後川が西から南へと大きく蛇行し宝満川と合流する左岸地点にある。

筑後川を天然の堀とし、川沿いの丘陵の頭頂部を平坦にして本丸が築かれ、その外側に二の丸、三の丸、外郭が配された連郭式の平山城である。 本丸に天守はなく、2重の多聞櫓で連結された3重櫓が各隅に7棟配され、そのうちの南東隅にある巽櫓は平面寸法が7間×8間と規模が大きく、実質、天守の代用となっていた。

明治7年廃城令によって建造物は日田の町民が落札、建物は解体され、現在は本丸以外、二の丸・三ノ丸はブリヂストン久留米工場の敷地となり、外郭は市街地となっている。本丸跡には有馬記念館と篠山神社が建てられた。遺構は本丸の高石垣と水堀の一部のみが現存。移築遺構としては、城門が市内草野町草野の寿本寺山門として移築現存する。

[編集] 沿革

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。この時代は豊後国大友宗麟肥前国龍造寺隆信が争っており、この地は双方の勢力が拮抗する場所で度々城主が入れ替わった。

天正15年(1587年豊臣秀吉九州を平定すると、毛利秀包が3万5千石で封じられ近世城郭への改築を行った。秀包は慶長5年(1600年関ヶ原の戦いで西軍についたため戦後改易となった。

筑後国には田中吉政が32万5千石で封じられ柳川城を本城とし、久留米城を支城とし2男の吉信を城主とした。元和6年(1620年)吉政の子、忠政は嗣子無く没し田中氏は改易となった。

代わって元和7年(1621年丹波国福知山城主有馬豊氏が21万石で封ぜられ、以後、明治維新まで有馬氏の居城となった。豊氏は田中氏が改修途中であった城を完成させた。寛永8年(1631年筑前国福岡城黒田長政の指導により筑前堀を完成させた。慶安2年(1649年)から4年掛かりで外郭部を構築し城下町を整備した。元禄4年(1691年)4代頼元の代になって漸く城郭が完成した。

明治4年(1871年廃藩置県により廃城となり、その後、城は解体された。

明治10年(1877年)篠山神社が建造された。

昭和58年(1983年3月19日、城跡は福岡県文化財に指定された。

[編集] ギャラリー

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2008年7月13日 (日) 09:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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