亀ヶ岡石器時代遺跡

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亀ヶ岡石器時代遺跡(かめがおかせっきじだいいせき)は、青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡である。遮光器土偶が出土した遺跡として知られ、国の史跡に指定されている。単に亀ヶ岡遺跡とも称される。

[編集] 概要

亀ヶ岡時代遺跡とモニュメント

右の写真の土偶モニュメントの背後は谷の間の湿地帯となっており、そこから数多くの遺物が出土した。

この遺跡は、津軽藩の2代目藩主である津軽信枚1622年にこの地で亀ヶ岡城を築こうとした際に、土偶土器が出土したことにより発見された。この地は丘の部分からが出土したことから「亀ヶ岡」と呼ばれるようになったという。また、この地区には湿地帯が多く、築城の際に地面に木を敷いて道路としたことから、「木造村」(きづくりむら)と呼ばれるようになった。亀ヶ岡城は造りかけの状態で一国一城令が出たため、やむなく廃城となった。

江戸時代にはここから発掘されたものは「亀ヶ岡物」と言われ、好事家に喜ばれていた。 遠くオランダまで売られたものもある。1万個を越える完形の土器が勝手に発掘されて持ち去られたという。明治以降も調査が行われ、谷の部分の調査が行われた結果、遮光器土偶をはじめ漆器や土器、石器などが発掘された。現在無断で発掘することは禁止されている。

津軽信枚は亀ヶ岡城の廃城後、そこに「大溜池」を造ったが、その近くに縄文館という施設があり、現在当遺跡から出土した遺物の多くが展示されている。大溜池は、亀ヶ岡城の堀として予定されたものであり、縄文館は亀ヶ岡城予定地であった。出土遺物中、最も著名で、この遺跡のモニュメントのモデルとなっている遮光器土偶は、個人の所蔵を経て、現在は東京国立博物館の所蔵となっている。

縄文時代晩期には、この亀ヶ岡出土品に代表される様式の土器が北海道から中部・近畿の広い地区にわたって流行する。これを亀ヶ岡文化[1]とも言う。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、標式遺跡は、岩手県大船渡市の大洞貝塚である。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月24日 (土) 13:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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