五十嵐 広三 (いがらし こうぞう、1926年3月15日 - )は、北海道旭川市出身の政治家。日本社会党所属の衆議院議員として、建設大臣、内閣官房長官を歴任。1996年、政界を引退。1997年勲一等瑞宝章を受章。
[編集] 経歴・政歴
[編集] その他の活動
- 地方分権の論客としても知られ、複数の著書がある。
- 樺太残留朝鮮人帰還問題や「慰安婦」問題など、いわゆる戦後処理問題の解決にも尽力した。ただし五十嵐が樺太残留朝鮮人帰還問題に関わり始めたのは1975年に裁判が始まってからであり、当初から政治目的の下に行われた活動であったとの批判もある。既に1955年頃から樺太残留朝鮮人帰還事業に取り組んでいた在日韓国人朴魯学(樺太引揚者)と妻の堀江和子の活動を妨害し、夫妻が主宰していた団体を日本社会党関係者に主導させ、夫妻を支援していた伊藤英成(当時、民社党衆議院議員)・草川昭三(当時、公明党衆議院議員)を排除した。裁判自体も政治的色彩を帯びており、朴・堀江夫妻の遺族や新井佐和子ら「サハリン再会支援会」を始めとする古くからの支援者から抗議の声が上がったが、五十嵐はこれを黙殺した。
- 五十嵐らが樺太残留朝鮮人帰還問題で活動を始めると、この活動に乗じ、戦後北朝鮮からソ連に労働力として提供されサハリン(旧樺太)に渡った朝鮮人が「樺太残留朝鮮人」を称して日本経由で相次いで韓国に「帰還」するようになった。この問題について韓国の金泳三政権から「北のスパイが入国しており受け入れがたい」等の指摘を受けたものの、当時の自由民主党幹事長加藤紘一や幹事長代理野中広務らが五十嵐に助力してこの問題を揉み消したと言われ、深く追及されずに放置されている。
- 北海道知事選挙に立候補したとき、北方ジャーナルという雑誌に中傷記事を書かれそうになったため、出版前に差し止めを裁判所に申請し認められた。この件は「北方ジャーナル事件」として、表現の自由をめぐる判例として著名である。
- 旭川市長時代はソ連と深い関係があった。ソ連崩壊後のクレムリン秘密文書公開により、1975年の五十嵐氏の北海道知事選挙出馬時には、社会党の北海道本部長(当時)の関田伸男氏からソ連大使館への最大1億5千万円の秘密の選挙資金援助の要請があった(資金援助が実際に行われたかは不明)[1]などのソ連との秘密交渉が明らかにされた。
[編集] 著書
- 『市民運動の証言 ドキュメント旭川』 1970年10月 鶴書房
- 『人間都市復権 都市新時代を先導する旭川方式』(高橋芳郎との共編著) 1973年 大成出版社
- 『北斗七星 随筆集』 1974年11月 五十嵐広三の本を出版する会
- 『掘る・耕す・創る 北海道にひらく自治の実践と論理』 1978年10月 楡書房
- 『官邸の螺旋階段 市民派官房長官奮闘記』 1997年8月 ぎょうせい ISBN 4-324-05244-1
- 『まちづくり・国づくり』(西尾六七との共著) (北海道町村会企画調査部企画編集・地方自治土曜講座ブックレットNO.9) 1997年2月 北海道町村会企画調査部 ISBN 4-87555-304-8
[編集] 参考文献
[編集] 注釈
- ^ 1994年 名越健郎『クレムリン秘密文書は語るー闇の日ソ関係史』中央公論社ISBN 4-12-101207-0
[編集] 関連項目
最終更新 2009年8月13日 (木) 11:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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