井出正一
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いで しょういち
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| 生年月日 | 1939年6月20日(70歳) |
| 出生地 | 長野県 |
| 出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
| 前職 | 酒造家 |
| 現職 | 橘倉酒造会長 長野県酒類販売社長 独立総合研究所取締役 |
| 所属政党 | (自由民主党→) 新党さきがけ |
| 世襲の有無 | 二世 |
| 親族 | 井出一太郎(父) |
| 公式サイト | 長野県酒類販売株式会社 -社長挨拶- |
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| 内閣 | 村山内閣 |
| 任期 | 1994年6月30日 - 1995年8月8日 |
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| 選挙区 | 長野県第2区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1986年 - 1996年 |
井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 ‐ )は、日本の実業家、政治家。
衆議院議員(3期)、厚生大臣(第83代)、新党さきがけ代表(第2代)を歴任。
現在は政界を引退し、橘倉酒造会長。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
政治家である父の井出一太郎に代わって家業の酒造業を経営していたが、1986年に父の引退とともに地元支持者の要請を受けて第38回衆議院議員総選挙に出馬して初当選して以後3期連続当選を果たす。
[編集] 新党結成
初めは自由民主党(新政策研究会)に属した。1993年、武村正義・田中秀征らとともに新党さきがけを結党する。日本新党との合同会派「さきがけ日本新党」で政策幹事を務めて細川内閣を支えた。
自社さ連立政権となった村山内閣では厚生大臣として入閣する。被爆者援護法の制定や阪神・淡路大震災への対応などに尽力した。薬害エイズ問題を最終的に解決した厚生大臣は後の菅直人であるが、最初に現役の厚相として原告団と面会したのは井出である。極秘裏に当時赤坂にあった新党さきがけ本部の2階で会ったという。
[編集] 党分裂
1996年、いわゆる「排除の論理」問題で党が分裂した際に武村が党代表を辞任してしまう。急遽、井出が新党さきがけの代表に就任したが、その直後の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区で元首相の羽田孜と対決して、落選し、代表を辞任(法的には井出が武村が代表に復帰するまでは代表であり続けた)。後任は置かれず、議員団団長の参議院議員・堂本暁子が実質的に党を代表した。
党が推進している「緑のPKO」活動などに尽力していたが、1998年の第18回参議院議員通常選挙では新党さきがけから比例区で出馬したものの落選。議席が獲得できなかった新党さきがけは解党する事となった。だが、さきがけに自分の政治生命を賭けてきた井出はこれを機に政界引退を表明するのである。
現在は、橘倉酒造の会長と長野県酒類販売株式会社の社長、独立総合研究所の取締役(研究顧問)を務める。
[編集] 人物
父は三木武夫内閣・内閣官房長官の井出一太郎。作家の井出孫六は叔父。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『終の棲家 : さきがけ』三省堂、1999年7月、ISBN 4385321116
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月26日 (月) 00:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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