井戸敏三
井戸敏三の最新ニュースをまとめて検索!
|
いど としぞう
|
|
|---|---|
|
|
| 生年月日 | 1945年8月10日(64歳) |
| 出生地 | 兵庫県揖保郡新宮町 (現在のたつの市新宮町) |
| 出身校 | 東京大学法学部 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 公式サイト | いどとしねっと |
|
|
|
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2001年8月1日 - |
井戸 敏三(いど としぞう、1945年8月10日 - )は、兵庫県知事。元兵庫県副知事。兵庫県揖保郡新宮町(現たつの市)出身。東京大学法学部卒業。知事3期目。
自民、公明、社民と、民主兵庫県連推薦の無所属。地元兵庫県出身の知事である。
目次 |
[編集] 略歴
材木の仲介等をおこなっていた父の仕事の関係で、小学校3年生のとき横浜市に転居。新宮小学校のクラスメートに弁護士の丸山和也がいた。
- 1964年3月:東京都立日比谷高等学校卒業。
- 1968年3月:東京大学法学部卒業。
- 1968年4月:旧自治省(現総務省)採用。
- 1995年:自治大臣官房審議官。
- 1996年~2001年:兵庫県副知事(2期5年)。
- 2001年7月:貝原俊民・兵庫県知事の辞職に伴い、兵庫県知事選に立候補し当選。
- 2001年8月:兵庫県知事に就任(現在2期目)。
- 2005年7月:革新系候補を大差で下し、再選。
- 2009年7月:革新系候補を大差で下し、3選。
[編集] 人物
[編集] 政策
- 道州制を拒否しており、「国が権限を持ったまま道州制になれば、国の出先機関になってしまう」と発言している[1]。
- 井戸以外に、道州制の拒否を明言する知事には、佐藤栄佐久・福島県知事(当時)がいたが、佐藤栄佐久は汚職事件で2006年秋に辞任した。近畿地方内では、井戸知事以外に、西川一誠・福井県知事が、道州制に反対する立場を示している[2]。
[編集] 発言
- 2007年4月8日夜、石原慎太郎が東京都知事選挙で3選された直後のインタビューにて「阪神大震災では、当時の首長(当時の貝原俊民・兵庫県知事か、村山富市首相を指すのかは不明)の判断が遅れた為、2000人が余計に死んだ」と発言したことに対して、翌9日の会見で以下のように反駁した[3]。
- 「どういう趣旨でそういう発言をされたかよく分からないのですが、報道を見ておりますと、自衛隊の派遣要請をもっと早くしておけば、犠牲者は2000人減っていたのではと言われたようです。阪神・淡路大震災は、不意打ちだったということと、非常に上下動の激しい震度7の地震でしたので、犠牲になられた方々はほとんどが圧死だったと分析されています。
私は、公的な救済機関が入る以前に、地域の防災力をどう高めておくかということが、緊急時の第一次的な救出、人命救助にとって、一番大事なことであり、その反省の上に立ち、地域防災力を強化するための自主防災組織の組織化や、防災訓練に努めてきたと思っています。
自衛隊の派遣要請の早さと、犠牲者の数は、阪神・淡路大震災のケースではあまり脈絡のないことと思うだけに、今後一番危険視されている首都直下地震に対する備えとして、防災に対する総責任者がそのような認識を持たれているのだとすると、いささか心配ですね。東京都の人たちは夜も眠れなくなるのではという思いがします。
だから、きちっと私たちは私たちなりの分析をしておりますが、あわせて東京都は東京都の分析を明確にしていただいて、防災計画なり、防災体制の整備を行っていただきたいと思います。何故、自衛隊の派遣が遅れ、犠牲者が2000人増えたなどと言われるのでしょうか。いい加減な議論はしていただきたくないというのが、私の率直な気持ちであり、誠に失礼だと思っています。」
- 「どういう趣旨でそういう発言をされたかよく分からないのですが、報道を見ておりますと、自衛隊の派遣要請をもっと早くしておけば、犠牲者は2000人減っていたのではと言われたようです。阪神・淡路大震災は、不意打ちだったということと、非常に上下動の激しい震度7の地震でしたので、犠牲になられた方々はほとんどが圧死だったと分析されています。
- 最後の発言は、未曾有の大災害を被災した県の知事として大災害時においては消防や警察など公的な救済機関だけでは救助に手が足りない、その時は被災した地域住民自身の自助努力によりまず初期災害を復旧させるべきとの考えを明確に示したものであるが、倒壊した家屋に閉じ込められ、若しくは重軽傷者が多数発生していると想定される大震災最中にあって、どの様に「地域住民自身が」被災者を救済するのか、議論を呼ぶ発言であった。[要出典]
- (後に石原は先の発言について「ちょっと数字が違うかもしれない」と釈明。「佐々淳行さんの受け売り。詳しくは佐々さんに聞いてください」と根拠の説明を避けた)
- 2006年9月26日の定例記者会見で、「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」「懲戒処分としてのバランスを余りにも欠き過ぎている」と発言した。
- 2008年11月11日に行われた近畿ブロックの知事会議において、「東京一極集中を打破するための旗を揚げなければならない。関東で震災が起きれば東京は相当なダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす、そのための準備をしておかないといけない。機能的には、金融なんです。金融とマスコミが東京一極集中になっている。東京に行った企業をもう一度、関西に戻せというカムバック作戦を展開していく必要がある。(中略)そういう意味では、防災首都機能を関西が引き受けられるように、あるいは第2首都機能を関西が引き受けられるような準備をしておかないといけない。」と発言した[4]。発言の報道後、兵庫県民を含む各方面から「不適切だ」との非難の声が上がった(一部の識者や知事の中には「特に問題視しない」と答える者もいた)。井戸は同日午後8時には「言葉づかいが適切でなかったことは反省しなければならない」と釈明したが、同時に「なぜこういう質問を受けているのか理解できない」「そんな変わったことを言ったつもりはない」と発言した[5]。謝罪の必要性を指摘する記者に対しては、「関東で震災が起きたときに、関西が首都機能を引き受けざるを得ないという意味だった。大災害が望ましいとは言っていない」と発言した。さらに「(関東圏に住む人に)もっと関東大震災に対して自覚を持ってもらわないといけない」と述べ、謝罪の必要性を指摘する記者に対しては「なんで謝らなければいけないのか」と反発し発言の撤回や謝罪をする意志が無いことを明らかにした[6]。 兵庫県は近年被災した地域であることから、県民の中にも大きな反発が広がっており[7]、その後兵庫県庁に知事に対する電話やメールが350件ほど寄せられ、大半が知事の発言を問題視するものであったと報道された[8]。 この井戸の発言に対しては、「(前述の)石原知事発言への意趣返しではないか」との都庁職員の発言が報道された[9]。石原はこの発言に関して「(旧自治省出身である)役人の浅知恵だな。他人の不幸をチャンスと言うのは日本人の感性に合わない。言葉を大事にしないとね」と述べ、関西復権に関しては「自分で努力して活力を取り戻すべきだろう」とした[10]。同年11月13日、「『チャンス』という言葉を使って誤解を招いた。こういう状況を作り出したこと、混乱を招いたことをおわび申し上げる」公式に謝罪、発言も撤回した[11]。
[編集] 著書
- 『随筆集 一歩いっぽ 続』
- 『随筆集 一歩いっぽ 続々』
- 『新生 兵庫の夢 II』
- 『地方自治総合講座』(編集代表)
[編集] 脚注
- ^ 日本海新聞 2006年7月14日付記事
- ^ 福井新聞 2007年1月19日付記事
- ^ 井戸敏三知事の定例記者会見 2007年4月9日
- ^ 朝日新聞ニュース “井戸・兵庫知事「関東大震災起きればチャンスになる」”
- ^ 「受け止め方違う」短絡的な言い方は反省 知事震災発言 神戸新聞 2008年11月12日 閲覧
- ^ 震災チャンス発言 井戸・兵庫知事、撤回も謝罪もなし 朝日新聞 2008年11月12日 閲覧
- ^ 朝日新聞ニュース “震災チャンス発言 井戸・兵庫知事、撤回も謝罪もなし”
- ^ 兵庫県庁に批判の電話 「関東大震災はチャンス」発言で 朝日新聞 2008年11月12日 閲覧
- ^ NHKニュース “関東で震災ならチャンス”
- ^ 石原都知事「震災はチャンス、役人の浅知恵」 兵庫知事発言 日本経済新聞 2008年11月12日 閲覧
- ^ 井戸知事:関東大震災発言 知事が謝罪 県への意見370件超 /兵庫 毎日新聞 2008年11月13日 閲覧
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||
|
|||||
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
最終更新 2009年12月2日 (水) 06:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【井戸敏三】変更履歴






