京成AE形電車 (初代)
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AE形電車(AEがたでんしゃ)は、京成電鉄が所有していた特急形電車。1972年(昭和47年)3月から1978年(昭和53年)11月までに6両編成7本計42両が製造され、1973年(昭和48年)から1993年(平成5年)まで「スカイライナー」などの有料特急専用車両として運行されていた。第17回(1974年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
京成電鉄での正式形式呼称は「AE車」であるが、本項では「AE形」と表記する。
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[編集] 概要
1973年春に予定された新東京国際空港(成田空港、現・成田国際空港)の開港に併せ、日本初の空港連絡特急専用車両として製造された。
編成は、当初10両固定編成化を考慮して第1編成目をAE1~AE10、第2編成目をAE11~AE20といった順で、全編成とも末尾4~7は欠番とした6両固定編成で登場した。編成名は京成上野方の車両番号で第1編成をAE10編成、第2編成をAE20編成と呼ぶことが多い。末尾2と8の車両に下枠交差式のパンタグラフを設置し、空気圧縮機(CP)は末尾3と9の車両に大容量2段圧縮タイプのC-2000Mを搭載した。冷房装置などのサービス機器電源である電動発電機(MG)は両端先頭車両(末尾1と0の車両)に東芝製の容量110kVAのCLG-350Cを搭載した。
走行機器は京成では初めて永久並列界磁チョッパ制御を採用し、50km/h以上の速度では任意の速度での走行が可能な定速走行機能を装備しており、運転台に速度指令計を搭載した。設定最高速度は115km/hである(営業運転では105km/h)。回生制動は永久並列制御のため45km/hで失効する。主幹制御器にはワンハンドル式を採用し、ブレーキは常用5段+非常、マスコンはON(起動)と50K(並列+定速制御)と50K~115Kの無段階である。なお、マスコン部に刻まれた「K」の表記は「km/h」を意味する。起動加速度は2.5km/h/sである。
外観デザインは、流線型タイプとなり、正面にステンレス製の排障器(スカート)と愛称表示器を設置した。客用扉は750mm幅の折戸を各車に設置した。塗装は、クリームとマルーンの1600形の特急時代を彷彿させるシックなツートンカラーであったが、塗り分け方はクリーム部分が多い国鉄特急塗装などに準じていた。冷房装置は分散式CU-15形(8,500kcal/h×3)を搭載し、室内側はスポットタイプの吹出口となった。
室内は空港連絡特急用ということもあり、各車に荷物置場を設置した。配色は仕切面にチーク木目、側面にイエロークリームのチェック柄のデコラを張り、天井は平天井となった。座席は転換クロスシートで、当初は表地がレザー生地だったが、後にブラウンの段付モケットに変更された。全体的にブラウン系でまとめられ落ち着いた雰囲気となった。
当初計画では、1973年の空港開業時に6両編成5本が必要とされたため、AE10編成~AE50編成の30両が1972年3月に落成した。後述の事情から開港は遅れたが、1978年5月の開港に備えることや運用本数を1972年当時の計画より多くしたために、1977年12月にAE60編成が落成した。さらに予備車確保のため、開港後の1978年11月にAE70編成が落成し、最終的には6両編成7本在籍することになった。
[編集] 登場から空港特急としての運用開始まで
1973年春に供用開始を予定していた成田空港は、地元住民の反対や過激派の問題等から開港が延期され、本形式編成は約1年半雨ざらしの憂き目にあった。1973年12月30日から京成上野駅~京成成田駅間のノンストップ特急で暫定的に使用を開始し、愛称表示器は「特急」を掲出していたが、後に「スカイライナー」掲出も為される様になり、1日1往復運行されていたが、翌1974年12月16日より3往復に増発された(鉄道ファン1978年2月号より)。
この暫定使用については当時の運輸省がなかなか認めず、藤井浩二ら京成関係者が自らの窮状を訴えてようやく認められたものである。
空港開業直前の1978年5月5日未明、建設に反対する過激派によってAE30編成中のAE29号が京成スカイライナー放火事件で全焼したが、直後に2代目のAE29号を代替新製した。
1978年5月20日、成田空港は予定より約6年遅れて開港。開港翌日より空港特急の名称およびAE形車両の愛称として「スカイライナー」と命名され運用を開始した。
[編集] 6両編成時代の改造・動向・特筆事項等
車体塗装をクリームとマルーンのツートンカラーから、イメージアップのために1983年9月に、AE70編成を皮切りに、外部塗色をグローバルホワイトにフューチャーブルーとヒューマンレッドのストライプを入れたものに順次変更し、1984年10月のAE40編成を最後に完了した。
1985年の時点では、1990年代初頭に車体更新を行う計画もあったが、空港ターミナルビル直下への乗入や、それに伴い後継車両(現在のAE100形)を新製することが、1987年度内に具体化したため、取り止めになった。
1987年前後に、ワイパーの構造を上方軸タイプから下方軸タイプに変更した。
1988年2月から1989年1月にかけて座席をリクライニング式回転クロスシートに変更した。座席表地は、ブルー地にグリーン・レッドのライン入の斬新なものになった。
[編集] 8両固定編成化
1991年3月の空港ターミナルビル直下乗入に備え、「スカイライナー」はAE100形8両編成2本を新製し1990年6月19日から8両編成での運用を開始し、同年7月7日からは全列車が8両編成で運用することになったが、使用編成数は7本のままであった。他の5本は1990年6月中旬~7月末にかけてAE形を既存車のみで6両固定編成7本から8両固定編成5本に組成変更した上で、順次運用に入った。AE形組成変更の過渡期には、6両・8両混合運用での特別ダイヤも組まれた。
組成変更はAE30・AE40編成の中間電動車2両ユニットを他の5編成に挿入したが、不足する2両分については制御車のAE30・AE40号を中間電動車に改造した。制御器・主電動機は他のAE形電動車と同一品を新製し、台車についてはAE100形と共通のFS-543Aを新調し、AE64・AE65と改番のうえAE70編成の中間に挿入した。AE70編成は1990年7月末から営業運転に入った。余剰になったAE21・31号は1990年6月末に廃車した。
組成変更後の編成は下記の通りである。
- ←上野
- AE10-AE9 -AE8 -AE23-AE28-AE3 -AE2 -AE1
- AE20-AE19-AE18-AE33-AE38-AE13-AE12-AE11
- AE50-AE29-AE22-AE49-AE48-AE43-AE42-AE41
- AE60-AE39-AE32-AE59-AE58-AE53-AE52-AE51
- AE70-AE69-AE68-AE65-AE64-AE63-AE62-AE61
[編集] AE100形増備に伴う運用離脱
8両編成化後は目立った動きもなく、1991年度以降も順次AE100形を新製することにより、1993年夏までにAE形は順次運用離脱することが決定した。
1991・1992年度の夏期の空港輸送繁忙期前にAE100形を各2本新製し、以下の順序でAE形は順次運用離脱し、休車扱いになった。
AE100形AE128編成・AE138編成の運用開始により、1991年7月にAE10編成、同年10月にAE60編成が運用離脱した。その時点で「スカイライナー」は半数以上がAE100形に置き変わった。運用離脱後は、各8編成交代で、一旦東成田駅(旧・成田空港駅)の「スカイライナー」が発着したホームに保留され、後に宗吾車両基地に移動した。
AE100形AE148編成・AE158編成の運用開始により、1992年7月末にAE20編成・AE50編成が運用離脱した。この時点でAE形はAE70編成1本のみとなり、終日AE100形での運用が可能になった。AE70編成は予備車扱いとなり、終日入庫の日が殆どとなった。AE100形のうち1本が検査等で終日入庫になった日等に定期運用に入ることが多かった。1993年3月末から4月下旬にかけては、AE100形138編成が重要部検査に入った際、ほぼ毎日のように定期運用されていたが、AE138編成の出場直後、再び予備車扱いとなった。その後は定期運用に入ることなく、1993年5月下旬にAE168編成の運用を開始した。
1993年6月27日、最後の1本となったAE70編成で、特設ダイヤによる「さよなら運転」が行われ、これをもってAE形は全車運用離脱した。
AE61号は運用離脱後、宗吾車両基地で保留となっていたが、車体の保存が決定し、解体を免れた。1997年2月以降、同車両基地に設けれられた展示スペースに200形(新京成電鉄200形から塗装復元)や旧3000形と共に静態保存されている。塗装は運用離脱当時のままとなっているが、台車は後述の3400形へ流用したため、1993年3月に廃車となった3050形3051号で使用されたKS-116を装着している。
AE形は、登場当初から数奇な情勢変化に翻弄された「悲運の車両」としても語り継がれている。
京成が2010年に登場させる予定の新型「スカイライナー」専用車両には、原点回帰の思いを込めてAE形の形式が与えられることとなった[1]。
[編集] 3400形について
AE形は運用離脱後、車体を順次解体し、40両全車の足回りを1993年1月以降順次落成した通勤車3400形に流用した。書類上は「3400形に改番のうえ改造」とされたため、「廃車」ではない。AE形と改造後の3400形が同時期に定期運用に入ったのは、1993年2月中旬から1993年4月下旬までの2か月のみだった。詳細は「京成3400形電車」を参照されたい。
[編集] 脚注
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最終更新 2009年9月6日 (日) 11:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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