人民服
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人民服(じんみんふく)は、上下揃いの上着の一種。かつての中華人民共和国では、国民服ともいうべきものであった。1980年代はじめまでは、中国の成人男性のほとんど全てが着用しており、女性にも多く着られていたが、現在ではほとんど過去のものとなっており、現在の中国で人民服を手に入れることは難しいといわれる。鄧小平による改革開放路線が定着して以降は、政治家も背広を一般的に着用している。
原型は、孫文(孫中山)が日本留学中に日本の学生服をモデルにデザインしたという中山服で、折り襟、2つの胸ポケットに2つの裾ポケットをもった(ないものもある)前開き5つボタンの上衣と、ズボンでセットになっている。頭には前つば付き帽子、いわゆる人民帽と呼ばれる帽子をかぶる。折り襟はこの服を特徴付けるアイテムで、この服に由来する「マオ(毛沢東)カラー」というファッション用語にもなっている。
色はカーキ、紺、青、濃緑など様々であるが、いずれも無地である。
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[編集] 「中華人民共和国の民族衣装」か?
既述のとおり人民服は、鄧小平による改革開放政策が定着した1980年代以降急速に廃れていき、中華人民共和国の政治家も公の場では諸外国と同様に背広を着用するようになった[1]。
1992年に江沢民が国家主席として日本を訪問したときに天皇主催の晩餐会において人民服を着用して出席したことがあった。
日本の関係者は、この江の服装に「プロトコールに反する非礼な行為」と批判したが、中国側は「タキシードの調達が間に合わなかったので大使館にあった民族衣装である人民服を使用した。民族衣装の使用は正装であれば問題はないと考えた」と返答している。実際、晩餐会に同行した中国人関係者も、「廃れつつある人民服」の調達に苦慮したといわれる。
2009年10月1日の国慶節は中華人民共和国建国60周年であり、10年ぶりの軍事パレードやマスゲームを含む、それまでにない大規模な式典が天安門広場で催されたが、オープンカーに乗った胡錦濤は、背広ではなく黒の人民服を着用していた。
[編集] 軍服と人民服
「軍服 (中華人民共和国)」も参照
中国人民解放軍では1950年代から1980年代とほぼ最近まで、この人民服が元となっている軍装であった。文化大革命の頃の宣伝写真の人民解放軍の緑色の人民服と人民帽に赤い星の帽章と赤い襟章の服装は、一般的な人民服のイメージとして現在も定着している。
人民解放軍でも開放政策や軍隊制度の近代化の影響から、1990年代より開襟式の軍装などに切り替わっているが、未だに人民服型の軍装自体は一般的に使われている。またベトナム人民軍や朝鮮人民軍においても人民服型の軍装が使われているが、ベトナム人民軍でもドイモイ政策などの影響により、現在は開襟式の制服となっている。また中国との密接な関係にあったエンヴェル・ホッジャ独裁政権時代のアルバニア軍においても、中国人民解放軍とほぼ同じ人民服風の軍装を使用していた。
[編集] 各国への影響
建国以来中華人民共和国と政治的関係が緊密であった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)やベトナム民主共和国(のちベトナム社会主義共和国)でも、「人民服」と同様の服が平服ないし正装として使用された。
ベトナムでは、1970年代後半以降の中国との対立や、1980年代後半以降のドイモイ政策による生活の変化の影響もあって、次第に背広等に取って代わられるようになり、レ・ズアンやファン・バン・ドン等「革命第一世代」の引退・死亡にともなって、政治指導者の正装としても用いられなくなった。
北朝鮮では当初から男性正装としては背広が併用され、また女性の正装としてはむしろチマチョゴリが一般的であったが現在でも一般人民の間では人民服は背広などと共に着られている。建国以来の最高指導者であった金日成も、建国当初~1950年代までは人民服と背広の双方を着用、60~70年代はもっぱら人民服を着用していた(いわゆる「金日成バッジ」も、人民服姿が多かった)。しかし晩年には(1980年代半ば頃から?)背広の方を好んで着用するようになり、葬儀の際の遺体も背広姿であった。彼の服装の変化には、同国と中・ソの3カ国間の関係の推移も影響しているものと推測される。現在の最高指導者である金正日は、トレードマークともいうべき開襟の作業服風のジャンパー服を着て映像に登場することが多いが、中国への外遊の際などは人民服を着用しているようである(過去にはスーツを何度か着用したこともある)。
[編集] サブカルチャー、ファッション
これら中国と政治体制が共通する国々の服装だけでなく、「紅衛兵」の写真や映像と共に伝えられた人民服姿の人々のインパクトは、1960年代後半に先進工業国において発生した反抗的なサブカルチャーの動きの中で、ライフスタイルのラディカルな変革を示す一種の「記号」となり、さらにはファッションやステージ衣装にも影響を与えた。
- ジャン=リュック・ゴダールが監督した1967年のフランス映画『中国女』では、毛沢東思想に共鳴して共同生活を営む若い男女のグループが、人民服を思わせる青い折襟の服と帽子を着用した姿で登場する[1]。
- 日本ではイエロー・マジック・オーケストラが人民服風の服(実際は明治時代のスキーウェアがモチーフ)を着て話題になり、人民服とテクノカットは彼らのシンボルとなった。
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「中山服」を着用した孫文 |
台湾視察時の蒋介石(中央)、1946年 |
中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東(中央)ら、1949年 |





