人種

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人種(じんしゅ)とは、形態的特徴を参考にしてヒト分類したもの。 生物学および自然人類学においては、ヒト属をホモ・サピエンス(現生人類)、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・エレクトス・ペキネンシス(北京原人)などに分類する。ホモ・サピエンス以外のヒト属の種が絶滅した現在では、現生人類はホモ・サピエンスの1種のみである。[要出典]

人種(Race)とはこのような種(Species)ではなく、他の生物における地域個体群亜種と同様の用いられ方をしている。

目次

[編集] 学説史

現在多くの自然人類学者や遺伝学者は人種という概念を使わない。それは人種概念自体が近代西洋の価値観に根ざしていることが暴露されたからであり、また学術的にも文化的な区分、つまり民族に対してその民族がどんな形態学的あるいは遺伝学的な特徴を持っているのかというトートロジカルな議論に落ち着いてしまい、自然科学的な問題になりにくいからである。そのため便宜的に人種という概念を利用する場合には、1〜数万年前の分布を参考にした地理的集団の系譜であるかが問題となる。この背景には複数の形質の地理的集団の差異が一致せず、勾配としか把握できないこと、どの形質(皮膚の色、頭骨の形態、光彩の色など)に重点を置くのか科学的な根拠がないことがあげられる。これはある(人種的)形質についての地理的集団間の差異を否定しているわけではなく、人種区分に際しての恣意的な重み付けが問題になっているのである。

近代においては特に奴隷貿易アフリカ人らを人身売買する過程で、分類および認識が求められた。17世紀にはフランソワ・ベルニエが『人種による新大地分割論』(1684)を出版し、人間を人種によって分類することを論じている。

[編集] ブルーメンバッハ

学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ (Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840) による分類が人種理論の嚆矢とされている。ブルーメンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文 De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。

ブルーメンバッハの分類方法および定義の特徴は、ユダヤ=キリスト教的文化および当時のヨーロッパ人の伝統に強く影響を受けていることにある。たとえばコーカシアという定義は、旧約聖書でノアの箱舟が辿り着いたとされる中央アジアのコーカサス地方を命名の由来としており、実際のヨーロッパ人の居住地域や特徴とは関係のない定義である。また、モンゴリカという定義も単なる「モンゴル人」という意味であり、当時のヨーロッパ人に知られていたモンゴル帝国の人々を表しているに過ぎない。

初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアのコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、且つ旧約聖書の創世記1~6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した[1]

実際ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている[2]

1813年にはブルーメンバッハの影響下でジェイムズ・C・プリチャード (James Cowles Prichard, 1786-1848) が『人類の自然史』を出版し、ウィリアム・ロレンス (William Lawrence) とウィリアム・ウェルズ(William Charles Wells)とともに人間の進化論を展開した。ただし、プリチャードらはあくまで自然科学者であり、たとえば「人類の原型は黒人種であることを示す多くのデータがある」とも述べている。ブルーメンバッハの影響を受けた他の学者にはトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825-1895)やウィリアム・フラワー(1831-1899)などがいる。

[編集] キュヴィエ

ブルーメンバッハの五大分類や、アンドレ・デュメリルが『動物哲学』で主張した六大分類など、最初期の人種分類はその種類が明確に定義されていなかった。しかし次第にこうした分類についての意見は、パリ大学学長のジョルジュ・キュヴィエが自著『動物界』で提示した「ネグロイド・コーカソイド・モンゴロイド」の三大分類法が主流となり始める。モンゴロイドは領土こそ幾度か広げるものの文明の程度は低く、ネグロイドは野蛮人の集団で、コーカソイドは世界の文明を支えてきた存在とする、白人至上主義を一層に強くしたこの思想はヨーロッパで広く受け入れられた。その背景には、キリスト教聖書に登場するノアに三人の息子が居たとする記述に合致していたからだとも言われている。

一方でキュヴィエは今日においてすらしばしば白人主義者の間で議論になる、アラブ人の分類に関して彼らを白人に含めている。完全に同格に扱った訳ではなく、白人は更に欧州系と中東系に分類が可能で、前者は科学文明を創出した偉大な種族としながら後者はそこから退化した、言わば「不出来な弟」と考えていた。しかしそれでもこの時点ではヨーロッパ人の学者達はアラブ人と自らが同じ起源を持つ同胞である事を積極的に肯定する向きがあった。しかし時代を下るにつれてフランスなどが中東地方を植民地化すると、徐々にアラブ人を侮蔑する記述や研究が増えていった。1889年のフランスの新聞「ル・プチ・ジュルナール」に掲載された人種画では、アラブ人があからさまに黒人と同じ風貌で描かれている。

[編集] ダーウィニズム

チャールズ・ダーウィンは有名な『種の起源』を発表したのちの1871年に『人間の進化と性淘汰(原題 The Descent Of Man And Selection In Relation To Sex)』を発表する。彼の意見は「進化においては利他的な部族が有利であったが、ときに利己的な部族によって滅ぼされることもあったであろう」というものであったが、人口に膾炙されるうちに「常に強い部族によって弱い部族は置き換えられてきた」と受け取られてしまった。そのため、「イギリスのような文明化された国民によって、野蛮な部族が破壊されるのは避けられない」といった言説に見られるように、帝国主義や人種差別を正当化する主張に援用されることになる。これがダーウィニズムの始まりである。

ダーウィン自身は人種間における生物学的な差異は非常に小さいとし、奴隷制度や奴隷の虐待、被植民者への差別的待遇には反対していた。以下に上に挙げた文献からの引用を記す。

人は他のいかなる動物よりも慎重に研究されてきたが、彼らが一つの種あるいは人種と見なされるべきかどうか、有能な調査者の間にも多様な意見があり、どれもあり得そうである:2(ヴァレイ)、3(ジャッキノー)、4(カント)、5(ブルーメンバハ)、6(ビュフォン)、7(ハンター)、8(アガシー)、11(ピカリング)、15(ボリセントヴィンセント)、16(デ・ムーラン)、22(モートン)、60(クロフォード)そしてバークによれば63。この判断の多様性は人種が種として認められるべきではないと言うことを意味しない。しかし、人々は連続的に変わっていき、はっきりとした区別がほとんど不可能なことを表している。-Darwin, C. The Descent of Man,

他の自然選択説の支持者、例えばアルフレッド・ウォレスはより極端な社会主義者、平等主義者であった。社会ダーウィニズム自然選択説を支持していなかった他の進化論者、例えばハーバート・スペンサーや、ドイツで明確に差別主義的な進化観を発展させたエルンスト・ヘッケルらによって形作られた。

[編集] 福澤諭吉

日本における初めての学説は、明治初期の日本人の人種観、福澤諭吉の掌中万国一覧[3]に見ることができる。

人種には5種類あり、白哲人種(ヨーロッパ人種)、黄色人種(亜細亜人種)、赤色人種(アメリカ人種)、黒色人種(アフリカ人種)、茶色人種(諸島人種)である。

  • 白哲人種
皮膚麗しく、毛髪細やかにして長く、頂骨太にして前額高く、容貌骨格都て美なり。其精神は聡明にして、文明の極度に達す可きの性あり。これを人種の最とす。欧羅巴一洲、亜細亜の西方、亜非利加の北方、及び亜米利加に居住する自哲(嘗)人はこの種類の人なり
  • 黄色人種
皮膚の色、黄にして油の如く、毛髪長くして黒く直ぐにして剛し。頭の状、梢や四角にして、前額低く腰骨平らにして広く、鼻短く、目細く、且其外皆(まじり)斜に上れり、其人の性情、よく難苦に堪、勉励、事を為すと錐も、其才力、狭くして、事物の進歩、甚だ遅し。フヒンランド、ラブランド等の居民はこの種類の人なり
  • 赤色人種
皮膚、赤色と茶色とを帯びて銅の如く、黒髪直くして長く、頂骨小にして、偲(演)骨高く、前額低く、口広く、眼光暗くして深く、鼻の状,尖り曲がりて鈎の如く、又鷲の塀の如し。体格長大にして強壮、性情険しくて闘いを好み、復櫛の念常に絶ゆることなし。南北亜米利加の土人は比種類の人なり。但しこの人種は、白哲(暫)の文明に赴くに従ひ次第に衰微し、人員日に減少すと云ふ
  • 黒色人種
皮膚の色黒く、捲髪(ちぢれげ)羊毛を束(つか)ねたるが如く、頭の状細長く、恩(頬)骨高く、蔑骨突出し、前額低く、鼻平たく、眼大にして突出し、口大にして唇厚し。其身体強壮にして、活着に事をなすべと錐も、性質憐情にして開化進歩の味を知らず。亜非利加砂漠の南方に在る土民、及び売奴と為りて亜米利加-移住せる黒土等は、この種類の人なり
  • 茶色人種
皮膚茶色にして渋の如く、黒髪粗にして長く、前額低くして広く、口大にして、鼻短く、皆は斜めに上がること黄色人種の如し。其性情猛烈、復櫛の念甚だ盛なり。太平洋、亜非利加の海岸に近き諸島、及びマラッカ等の土民は、この種類の人なり

[編集] 優生学

ダーウィンの従兄である統計学者フランシス・ゴルトン(1822-1911)は1883年に優生学という言葉を初めて用い、1869年には『遺伝的天才』を発表。家畜の品種改良と同様に人も人為選択によって社会が進化すると考えた。またアルチュール・ド・ゴビノーは『人種不平等論』(1855)を執筆している。

優生学や社会ダーウィニズムを極端なまでに政治的に利用した事例としてはナチズムがある。ナチスは優生学に基づき障害者を虐殺している。優生学的観点は近年まで日本の優生保護法にも反映されており、またスウェーデンでも犯罪者に断種手術を施すこともあった。

[編集] 20世紀後半の定説

[4]

コーカソイドコンゴイドカポイドモンゴロイドオーストラロイドとする説をはじめ、過去に様々な人種の分類が試みられた。しかし1950年代にはコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドといった4大人種が有力となり、かつ各人種分類の中でも、中東・インド亜大陸の諸民族がコーカソイドに分類された。

[編集] 遺伝学と人種分類

1960年代には人類全体の変異のバリエーションの内85%はどの人種にも存在し、人種や民族固有の変異は15%であると見積もられた(ただしこの推定には最大30%とする説まで議論がある)。これは当時考えられていたよりも遥かに人種間の遺伝的差異が小さいことを示していた。また人類全体の遺伝的多様性自体も他の多くの動物よりも小さく、例えばチンパンジーの遺伝的多様性の四分の一でしかない[5]

そこから分かるように、人の外見上の差異はゲノムのわずかな部分によってもたらされる。したがって外見的な特徴によって人を分類することは厳密性や正当性を欠いていると主張する者も多い。また外観的特徴に基づく人種分類が伝統的に人種差別に用いられてきたこと、同じ人種に分類される人々が必ずしも同じ外観的特徴を有していないこと、同じ人種とされる人々が必ずしも同じ文化を共有していないことなどの問題があり、DNA分析による遺伝学が進歩したことも加わって、人種と言う分類法は用いられなくなりつつあり、かわりに民族集団や連続的な遺伝的特徴をあらわすクラインといった概念が用いられるようになってきている。

その結果、最近の人種分類は人類が単一種であることを前提にしつつ、地域的な特徴を持つ集団として、約1万年前の居住地域を基準とし、アフリカ人、西ユーラシア人、サフール人、東ユーラシア人、南北アメリカ人というように、地域名称で呼ぶことが提唱されている[6]

人類学者社会学者の中には人種は社会的要因よって構築された制度であり、実在しないと提唱する者もいる[7]白人などの人種概念はその成立過程において多分に偏見や、宗教を初めとする文化的な判断要素を含んでおり、民族と似た社会科学的な部分を持つとする論者は多い。もっとも人種概念が完全に社会構築物であるという意見に対する反論も一部ある[8]、事実に対する言明は社会運動(たとえ差別追放など動機は妥当だとしても)に基づいてはならないという批判がある[9]

[編集] 伝統的な人種の分類例(肌の色)

肌の色は実際の居住地域の環境の影響を受けるために、膚色による分類に遺伝学的な根拠は無い。肌の色や風貌によって集団間の遺伝的距離を測ることはできない。

[編集] DNA分析による分類例

[編集] 人類集団の遺伝的系統-1

人類の進化系統樹

この図は多型マイクロサテライトにより求められた人類集団の系統樹である。

この系統樹が意味するところは、最初にアフリカ人とその他の集団が分岐したこと、次にヨーロッパ人とその他の集団が分岐したこと、その次に東・東南アジア人とオーストラリア人が分岐し、最後の大きな分岐として東・東南アジア人とアメリカ先住民が分岐したということである。

この系統樹で見られた主要な特徴は、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係と大筋において一致する。(外部リンクを参照)

[編集] 人類集団の遺伝的系統-2

遺伝的近縁図

この図は世界の18人類集団の遺伝的近縁関係を23種類の遺伝子の情報をもとに近隣結合法によって作成された人種の遺伝的近縁図である。

この分析が証明する人類集団の系統は、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が分岐し、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・イーストアジアン(モンゴロイド)が分岐、そしてイーストアジアンからネイティブアメリカンが分岐した、と云うものである。この人類集団の近縁関係は上記の遺伝的系統樹と現在の人類集団の地理的配置に一致する。

[編集] ハプロタイプとハプログループ

ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。例えば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団(韓国や中国、台湾、シベリア先住民など)を比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推定できる。ただしこれは特定の個人の人種や祖先の解明に用いることはできない。

[編集] 人種の要因

人種概念が誕生した要因は大きく二つに分けられる。一つは外見上の表現型の差異が存在するため、もう一つはそのような外見上の差異を認識する人間の認知能力が存在するためである。

集団間の表現型の差異は、距離や山脈など地理的障壁によって遺伝子流動が制限された異なる集団が時間の経過とともに異なる自然選択を受けたり(性選択も関わっているかも知れない)、異なる遺伝的浮動を経験することで生み出される。

二つの集団全体が十分に交流していれば、それぞれの集団中の遺伝子の頻度は平均化され、表現型の差異は生み出されない。このメカニズムは異なる種を作り出す種分化のメカニズムの一部であり、十分な時間、二つの集団の遺伝子流動が制限され続ければその集団は別個の二種となる。自然の中にも人種と同じように、連続した亜種の連なりを示すクラインを形成する種が存在する(例えば輪状種

人類のアフリカ単一起源説
現生人類の起源と分散を説明する理論は二つあり、一つはアフリカ単一起源説、もう一つは多地域起源説である。どちらの説も十分に遡れば人類の起源はアフリカであることに同意しており、大きな違いはいつ我々の祖先がアフリカを出発したかである。DNA分析によれば、全人類の共通祖先は遠くとも25万年前には存在していたとされる(これは共通祖先が100万年以上遡ると見積もる多地域起源説への重大な反証である)。つまり人類のアフリカ単一起源説に基づけば、約25万年前以降に出アフリカを果たした人類が、距離や山脈など地理的障壁によって遺伝子流動が制限された結果、異なる遺伝的特徴を持った集団が成立したとされる。
人種的境界と地理的境界は一致する(移動の妨げとなる自然環境が人種を誕生させた)
上述の「人類集団の遺伝的系統-1.2」も参照。
また、「人類集団の遺伝的系統-1・2」を世界地図に重ね合わせると、ネグロイドはアフリカ大陸、コーカソイドはユーラシア大陸のヒマラヤ山脈及びアラカン山脈の南西側(DNA分析によればインド・アラブ・トルコ人もコーカソイドである)、モンゴロイドはヒマラヤ山脈及びアラカン山脈の東および北側、オーストラロイドはインド亜大陸からオーストラリア大陸とスンダ列島周辺、そしてネイティブアメリカンは南北アメリカ大陸に分布することが分かる。
つまり、出アフリカを果たした現生人類の祖先が各大陸に移住した後、ジブラルタル海峡・地中海・スエズ地峡・紅海・ヒマラヤ山脈・アラカン山脈・中央アジアの乾燥地帯・ベーリング海峡等の自然環境により、それぞれ交流が遮断された地域が、そのまま現在の主要人種の居住地域となっている。
人種間の遺伝的距離と地理的距離に相関がある
人種間の遺伝的距離と、対象となる人種と、人種が居住する地理的距離は相関がある。つまり、人類誕生の地であるアフリカに住むネグロイドと各人種との遺伝的距離は、各人種の住む地域のアフリカからの地理的距離が離れている程、大きくなる。
例:「人類集団の遺伝的系統-1・2」にある通り、アフリカ人との遺伝的距離がもっとも近いのはアフリカ大陸の隣接地である地中海沿岸のユーラシア大陸に住むコーカソイドであり、逆にもっとも遺伝的距離が遠いのは、アフリカ大陸から地理的に最も遠いアメリカ大陸に住むネイティブアメリカンである。

[編集] 人種を知覚する人間の認知能力

人種差別や人種に基づいたステレオタイプ視は意識的に抑制できるが、人種の認識は自動的に無意識に行われるようである。なぜ人間は人種に敏感なのかを説明する仮説は大きく分けると三つある。石器時代の祖先の頃は、他の人種と出会うことはまず無く、従って人種を見分ける能力は他の能力の副産物であると考えられる[5]

  1. 色や形を見分ける視覚能力が肌の色を感知するだけであり、人種概念は実在しない社会構築物に過ぎない。
  2. 人種の認識は自然の物体を区別する本質主義的で生得的な推論システムの副産物である。本質主義的な推論システムとは、例えば無機物と動物と植物を区別し、それぞれに共通の特性(例えば動物なら動く、逃げる、襲いかかってくる)があると理解する専門化された認知能力のことで、外見が異なる人には異なる本質が存在すると直観する。
  3. 人種の認識は連合や協力のために進化した計算機的メカニズムの副産物である。

実験によれば、無意識に人種で人を区別するが、他に顕著な目印があるとそちらに注目し、人種によるカテゴリ化が行われなくなるようである(対照的に性別によるカテゴリ化は根強く残った)[10]。また同じチームを応援するなどの共通点がある場合には、人種的な偏見やステレオタイプ視は弱まるようである。

[編集] 人種に対する間違った認識

日本でも外国でも、人種と「民族」という言葉の意味が混同されていることが多く、間違った認識が多く存在する。以下が、典型的な例である。

ユダヤ人
ユダヤ人はセム系とされ『旧約聖書』等の記述は人種概念を形成する際に大いに利用された。しかし、現代イスラエル国家は"ユダヤ人は人種を問わずユダヤ教の信仰を中心としたユダヤ文化を共有する民族の総称にすぎない"としている。イスラエルに「移住」するユダヤ人には様々な人種が含まれている。
日本人
日本人については、長谷部言人が「日本人種」の存在を主張した事もあるが、学会の主流をなす意見では、日本人は民族であり、日本人という人種は存在しないとされる。現在、日本人という言葉は狭義では大和民族の事を指し、広義では日本国籍を持つ日本国民の事を指す。
人食い人種
人食いを行う民族のことであり、人食い人種と呼ばれる人々は、ここで定義される人種ではない。

[編集] 関連項目

ウィクショナリー
ウィクショナリー人種の項目があります。

[編集] 脚注

  1. ^ 竹沢泰子「人種とは何か考える
  2. ^ 竹沢泰子『人種概念の普遍性を問う』他
  3. ^ 福沢諭吉『掌中萬國一覧』1869年
  4. ^ Carleton S. Coon, The Origin of Races, 1962.
  5. ^ Leda Cosmides,John Tooby,Robert Kurzban Perceptions of race TRENDS in Cognitive Sciences Vol.7 No.4 April 2003
  6. ^ 斎藤成也人種よさらば
  7. ^ 竹沢泰子『人種概念の普遍性を問う』他
  8. ^ 山口敏「「人種」は虚構か」自然史学会連合 エッセイ
  9. ^ スティーブン・ピンカー 『人間の本性を考える 下』 第8章 「もし生まれついての差異があるのならば……」
  10. ^ Robert Kurzban, John Tooby, and Leda Cosmides Can race be erased? Coalitional computation and social categorization

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月27日 (火) 22:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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