仁保城
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仁保城 (広島県) |
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| ファイル:Ougonzan 060923.jpg
黄金山(山頂付近に本丸が存在)
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| 城郭構造 | 連結式山城(島城) |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な改修者 | 不明 |
| 主な城主 | 白井氏、香川氏、三浦氏 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 石垣 |
| 指定文化財 | 史跡 |
仁保城(にほじょう)もしくは仁保島城(にほじまじょう / にほしまじょう)は、現在の広島市南区の黄金山山頂近くに存在していた山城である。
目次 |
[編集] 概要
仁保城が存在した当時、現在の広島市中心部(太田川下流のデルタ部)の大部分は海中に没していた。したがって当時の黄金山も江波、比治山、宇品島(元宇品)、向洋などと同様、広島湾に浮かぶ島のひとつであり、仁保島と呼ばれていた。この島は広島湾頭の要害の1つとして重要拠点になっており、山頂に仁保城が築かれていた。
[編集] 遺構
仁保城は連郭式の山城で、本丸・二の丸・三の丸からなっていた。城の起源は不明であるが、室町時代後期には既に存在していたといわれる。現在のテレビ塔が建てられている辺りと伝えられているが、遺構がほとんど消滅しており詳細は不明である。黄金山頂近くに本丸・二の丸の石垣、山頂に連なる北東の丘陵(北大河町付近?)に出丸の石垣が残っているといわれる。
[編集] 歴史
戦国時代、広島湾では安芸国守護であった武田氏と周防の大内氏の勢力が激しく争っており、仁保城は武田氏の警固衆であった白井氏の支城の1つであったとされる。白井氏は安芸国に下向してきた関東御家人千葉氏の一族で、明応4年(1495年)、当主・光胤が武田氏からその警固を命じられている。当初白井氏は安芸国の国衙があった現在の府中町に出張城を築き、そこを本拠地としていたようであるが、戦略的な都合から次第に広島湾頭に近い仁保城を本拠地とするようになったといわれる。
武田氏滅亡後、周防で陶晴賢が大内義隆を討つと、大内方であった毛利元就はこれと決別、安芸国における陶氏側の勢力を駆逐しはじめた。仁保城の白井氏と矢野城の野間氏は反毛利の姿勢をとっていたため、毛利氏の標的とされた。毛利氏の戦略は、広島湾頭の警固衆を駆逐することで、その後の陶氏との戦いを優位に展開していくものであった。来るべき陶氏との戦いを、海上戦と位置づけていたからである。天文年間に毛利方に包囲され落城した後の仁保城には、白井氏と同じく武田氏の警固衆であった八木の香川氏が城番として詰めた。弘治元年(1555年)、厳島合戦に先立ち陶方の三浦房清(越中守)の侵攻があった際には香川光景が撃退したと伝えられている(仁保島合戦)。
その後1591年までに仁保城は三浦元忠(兵庫頭)の領するところとなった。元忠は吉田(現・安芸高田市)出身の豪族で、仁保元氏の娘婿となったさいに仁保氏の本姓である三浦氏を名乗ったと伝えられる。彼は黄金山北側中腹(現在の仁保中学校西隣)に菩提寺として観音寺を開き、この寺に元忠のものと伝える墓が残っている。その後の廃城などの経緯については明らかではない。
[編集] 関連書籍
- 仁保村役場『仁保村志』 1929年
- 広島市立仁保小学校『かおり:創立百周年記念誌』 1972年
- 『広島県の地名』(日本歴史地名大系 第35巻) 平凡社、1982年
- 『角川日本地名大辞典 第34巻:広島県』 角川書店、1987年 ISBN 4040013409
[編集] 外部リンク
- 南区みどころガイド
- 南区回遊ルートマップ
- 古城紀行「仁保城」
- 城郭放浪記(安芸・仁保城)
- 安芸武田家 - 白井氏出身の諸将について解説


