島田洋之介・今喜多代
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島田洋之介・今喜多代(しまだようのすけ・いまきたよ)は、戦後に活躍した夫婦漫才コンビ。夫婦であることを前提にした漫才の先駆けである。
2007年第12回上方演芸の殿堂入り。
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[編集] メンバー
- 戦前の剣劇役者として一世を風靡した島陽之助は実兄で、その一座で鍛え上げた時代劇体験が彼の戦後に大いに役立った。
- 1957年、妻と「島田洋介・今喜多代」を結成。1974年、洋介は島田洋之介と改名。糖尿病の悪化で1979年に引退。1985年、死去。
- 元々は剣劇出身。島ひろし(ミスワカサとコンビを組む)は兄弟弟子。大柄でおっとりとした芸風が小柄で小気味良い喋りの喜多代とのコントラストを生み、舞台に上がりセンターマイクの高さの位置を上げるだけでどっと笑いが起きるほどで、人気漫才師となった。同門の兄弟弟子には島ひろし、志摩八郎(後の松竹芸能文芸部の漫才作家)等がいる。
- 東京の漫才師巴家寅子に弟子入り「巴家寅の子」を名乗る。かしまし娘の正司歌江や美山なをみ・白川珍児のなをみとコンビを組んだ。1957年、夫・島田洋介とコンビ結成。夫引退後、はな愛花とコンビを組み、「今日喜多代」に改名。1980年、吉本新喜劇団員の阿吾寿朗と再コンビを組む。
- 今喜多代は後に、今日喜多代(今日規汰代)の芸名で講演やコメンテーターで活躍、現在は活動していない。吉本興業所属でなく大滝エージェンシーに所属。後のかしまし娘の中心メンバーである正司歌江とコンビを組んだ経緯からか、本人はかしまし娘に参加したかったようで、「うちもかしまし娘に入るはずやったのに呼んでもらへんかった。」と冗談まじりの愚痴をたびたびもらしている。
- 趣味は易学占いで芸名も易学占いで改名した。
[編集] テレビ出演
[編集] 受賞
[編集] 弟子(一門)
- 今いくよ・くるよ
- B&B
- 島田一の介
- 島田紳助(島田紳助・松本竜介)
- オール阪神・巨人は素人時代に「高田・南出」で活動していた。吉本興業にスカウトされ、即島田洋之介・今喜多代に入門するも弟子が当時多かった為断られている。その後、三代目林家染三に入門
[編集] 出典
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最終更新 2009年11月13日 (金) 09:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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