仙台県

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本来の表記は「仙臺縣」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

仙台県(せんだいけん。旧字体:仙臺縣)とは、1871年8月29日明治4年7月14日)の廃藩置県により、「仙台藩(28万)」の知行域をそのまま受け継ぐかたちで設置され、約半年間存在した県庁所在地陸前国宮城郡仙台。現在の宮城県の一部にあたる。

1872年2月16日(明治5年1月8日)に、仙台藩(仙臺藩)由来の「仙台県」から、宮城郡由来の「宮城県」(宮城縣)へと改称された。

※「仙台藩(28万石)」とは、戊辰戦争の敗戦によって減封された後の知行域を指す。戦争前は62万石。
旧暦明治5年12月2日まで。

目次

[編集] 沿革

[編集] 移行期

1871年8月29日明治4年7月14日)の廃藩置県により、「仙台藩(28万石)」は「仙台県」に移行した。以下は、同1871年12月12日(明治4年11月1日)までの仙台県の範囲。

[編集] 仙台県庁舎の開庁

1871年6月10日(明治4年4月23日)に石巻県石巻に置かれた東山道鎮台本営が、同年10月4日(明治4年8月20日)に廃止され、代わりに東北鎮台本営が仙台に置かれることになった[1]。同年12月12日(明治4年11月1日)、当時の仙台の中心部である国分町の元本陣(現・仙台市青葉区国分町二丁目[2])に、東北鎮台の本営が仮設された[3]

12月13日(明治4年11月2日)、仙台城内に仙台県庁が開庁し[3]、同日を以って従前の仙台県から志田郡および玉造郡を一ノ関県に移管し、角田県全域と登米県の一部が仙台県に組み込まれた。

仙台県庁開庁から1週間も経たない12月19日(明治4年11月8日)、東北鎮台からの通達で仙台城は兵部省の所管となり、東北鎮台の本営および兵営となることになった[3]。これにより、仙台県庁は移転を余儀なくされ、旧仙台藩藩校明倫養賢堂(現在は宮城県議会議事堂が建つ地)に移転した[3]

以下は、仙台県庁開庁から1872年2月15日明治5年1月7日)までの仙台県の範囲の一覧。

[編集] 宮城県への改称

1872年2月16日(明治5年1月8日)、明治政府から派遣された県令を中心に、人身一新を理由として宮城県に改称した。宮城県の範囲はその後基本的に拡大していくが、現仙南圏の一部が磐前県になり、気仙郡(現在は岩手県の一部)が宮城県となる時期を経て、1876年明治9年)8月21日に現在の範囲となった。

[編集] 脚注

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  1. ^ 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発京都大学人文科学研究所元教授 古屋哲夫著 1982年7月)
  2. ^ のちに南條小児科医院が開院した場所。現在、同院はない。
  3. ^ 逸見英夫 著 「明治・大正・昭和 仙台じけん帳」(河北新報ISBN 4-87341-162-9)の23頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月29日 (水) 00:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【仙台県】変更履歴

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