伊東秀子
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いとう ひでこ
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| 生年月日 | 1943年8月15日(66歳) |
| 出生地 | 満州 |
| 出身校 | 東京大学文学部 |
| 現職 | 弁護士 |
| 所属政党 | 国民新党(2007年 - ) 無所属(1995年 - 2007年) 日本社会党(1990年 - 1995年) 日本共産党( - 1990年) |
| 配偶者 | 伊東倫厚 |
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| 選挙区 | 北海道第1区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1990年 - 1995年 |
| 退任理由 | 北海道知事選拠出場のため |
伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年(昭和18年)8月15日 - )は、日本の弁護士、政治家。
衆議院議員(2期)を歴任。
[編集] プロフィール
満州(現: 中国東北部)で出生し、父の故郷である鹿児島県で育つ。
東京都立戸山高等学校、東京大学文学部卒業。大学卒業後、家庭裁判所調査官を経て、1979年に35歳で司法試験に合格。司法修習34期(同期に山口なつお、谷垣禎一、松野信夫)経て1982年弁護士登録。
当初は日本共産党に所属していたが離党、1990年の総選挙で日本社会党公認候補として初出馬し憲政史上最多得票で初当選を飾り鈴木喜久子らとマドンナ議員として注目集める。東京佐川急便事件の際には、事件と小沢一郎の関係を追及し、一躍有名になった。1993年再選。小森龍邦らと共に左派の論客として知られるようになる。
1994年4月25日に小沢一郎が「どの女と寝ようがいいじゃないか」と発言すると、「女性蔑視である」と小沢を厳しく批判。また白川勝彦ら自民党リベラル勢力と連携し、自社さ連立政権誕生に尽力した。
1995年に自民党道連会長の佐藤孝行から北海道知事選への立候補を要請され、社会党から除名処分を受けながら自民党・自由連合の推薦と新党さきがけの支持と、平和・市民などの支援を受けて出馬したが、前知事横路孝弘後継で新進党・公明・民社協会などが推薦の堀達也に敗北し、次点に終わる。
1999年・2003年の道知事選にも無所属で再出馬したが、1999年は現職の堀の前に再び次点、2003年は新人の高橋はるみに完敗し、次点も鉢呂吉雄に奪われた。
その後は弁護士活動に専念し、恵庭OL殺人事件や櫻井忠などの弁護を担当し2007年道知事選では自身は不出馬で荒井さとしを支援していたが、亀井静香から要請受け07年7月施行の参院選に国民新党の比例代表候補として出馬したが、11位落選(得票19289)した。
夫は大学教授の伊東倫厚。
[編集] テレビ出演
- 朝まで生テレビ!(参考 朝まで生テレビ!のパネリスト一覧)
- ザ・ニュースキャスター(テレビ朝日系)
最終更新 2009年10月29日 (木) 12:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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