伊藤公人 (競輪選手)

伊藤公人 (競輪選手)の最新ニュースをまとめて検索!

伊藤公人(いとう こうじん、1957年1月1日 - )は競輪選手である。富山県滑川市出身。日本競輪選手会埼玉支部所属。日本競輪学校第40期生。師匠は高瀬秀宏。ホームバンクは大宮競輪場

目次

[編集] 経歴

富山第一高等学校を卒業後、日本競輪学校に入学。デビューからは埼玉を本拠とし、初出走は1977年11月10日の地元・大宮で、初勝利も同レース。しかし上位クラスに上がるまでに多少時間がかかり、GI初出場を果たしたのはデビュー9年目となる1985年立川での日本選手権競輪。しかもこの後、伊藤はしばらくGIの出場を果たせず、それどころか3年間ほど大病(肝炎)を患ったことで満足にレースにさえ出ることができなくなってしまい、S級はおろかA級も瞬く間に陥落。ついには当時存在した最下級のB級2班(B2)にまで落ち、引退勧告も迫られかねない状況となってしまった。

[編集] 絶好調で迎えたダービー決勝

そんな伊藤であったが、1989年頃にレースに復帰するや圧倒的な強さを続け、その約2年後には何とS級復帰を果たしたばかりか、程なくしてS1にも上り詰めた。1991年には平塚競輪場の開設記念後節で優勝し、ふるさとダービー弥彦で久々のビッグレース出場を果たした後は、GIでも常連出場を果たすようになった。

さらに伊藤は1993年立川競輪場で開催される日本選手権競輪への出場がかかったダービートライアルで好成績を収めた伊藤はこの大会において特選シード入りを果たし、本番でも絶好調の成績を収めることになる。初戦の特選で1着となり、これで勢いに乗った伊藤は続くゴールデンレーサー賞も勝った。さらに準決勝でも3着に入って決勝へと駒を進める。決勝では、三重の海田和裕の逃げ一車のメンバー構成となったことから、伊藤は海田の番手を狙う作戦に出た。そして伊藤と同じことを考えていた大分の大竹慎吾と、海田の後位を巡って激しい競り合いを演じた。結果的に双方失格となったものの、伊藤の闘志溢れるプレーに対し、逆に観客席から激励の声が飛んだ。

その後伊藤は岐阜競輪場で開催された1996年オールスター競輪でも決勝へと進出(7着)。だがこれを境に次第にビッグレースにおいては成績が振るわなくなり、ついには翌年、S1から陥落。そして程なくしてA級陥落も喫するようになってしまった。

[編集] 再度S1復帰へ

さすがに40歳を越えると体力低下も否めず、それでもA級では常時優勝争いを演じていた伊藤だが、なかなかS級昇進への壁は厚かった。しかし2004年6月23日岸和田競輪場で開催されたレインボーカップファイナルの準決勝9レースにおいて3着に入り、同開催においては決勝へと進出を決めた時点でS級特進が決まったことから、47歳にしてS級復帰を果たすことになった。

しかしそれだけには留まらず、その後もS級で活躍を続け、ついに2007年前期(1月 - 6月)より丁度10年ぶりにS1に返り咲くことになった。また同年のふるさとダービー函館において、ビッグレースとしては1998年高松宮記念杯競輪以来約9年ぶりの出場となったが、何と特選シード入りを果たした。また続く高知オールスター競輪も出場した。

2008年の後期(7月 - 12月)まで引き続きS1に在籍していたが、2009年前期はS級2班に降格しており、S1の最高齢格付記録は途切れた。しかしながら、過去に大きなタイトルの優勝実績はないとはいえ、肉体を酷使する競輪の世界においては異例の高齢S級選手ということで、ファンのみならず、関係者からも尊敬の念を持たれている。

[編集] 主な記録

1983年より競輪の級別にS級が設けられて以来、S級1班(S1)が競輪選手として通常格付けの最上位ランキングとなったが、2007年に史上初となる50歳でのS1の座を射止めた。加えて2006年9月1日京都向日町競輪場で行われたS級決勝戦において優勝を果たしたが、S級戦史上最年長優勝記録(49歳8ヶ月)であった。

[編集] エピソード

2009年現在放送されている競輪のCM『9ways』で、2番車として「政治家」の設定で出演している。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月15日 (木) 14:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【伊藤公人 (競輪選手)】変更履歴

ご利用上の注意