伊藤雄二
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伊藤雄二(いとう ゆうじ、1937年1月14日 - )はJRAの元調教師、元騎手。大阪府出身。
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[編集] 来歴
旧姓は木下。父は、昭和初期から戦後にわたり金鈴という名馬などに乗り、馬場馬術界で活躍した木下芳雄。その父の勧めで、18歳で伊藤正四郎厩舎の騎手見習いとなり、1959年に騎手デビューした。その後、伊藤家の女婿となって伊藤姓に変わった。1966年、29歳のときに伊藤正四郎が逝去すると騎手を引退、調教師に転身し伊藤の跡を継いだ。阪神競馬場で開業し、1969年の栗東トレーニングセンター開設後は同地に所属。JRA調教師伊藤正徳は義弟、娘の笹田淑はJRA初の女性調教助手、その夫は笹田和秀調教師(結婚当時は調教助手)。
これまでにマックスビューティ、シャダイカグラ、ウイニングチケット、エアグルーヴ、ファインモーションなどの名馬を手がけている。
2005年2月19日JRAでは8人目となる調教師通算1100勝を達成した。現在では1厩舎の所有する馬房の数に制限があるため、かつての時代と比べると1000勝までを達成することはかなり難しくなった。この記録は伊藤が若くして調教師に転身したために達成できた数字であると言える。
伊藤と同じく若くして調教師となった美浦トレーニングセンター所属の藤澤和雄調教師を伊藤は一時期ライバル視している言動が目立った。
2007年2月28日で定年により調教師を引退したが、伊藤はあくまでも「中締め」で今後も忙しいだろうとコメントしている。
[編集] 成績
出走回数7501回 1155勝 2着960回 3着878回 4着746回 5着697回 着外3065回
重賞77勝、うちJRAGIは13勝。(グレード制導入前、GI級を含む)
関西リーディングトレーナー7回、うち全国リーディング4回。
[編集] 管理馬
[編集] GI(級)勝利馬
- ハードバージ - (1977年 皐月賞)
- サニーシプレー - (1980年 阪神ジュベナイルフィリーズ
- マックスビューティ - (1987年 桜花賞・優駿牝馬)
- シャダイカグラ- (1989年 桜花賞)
- ダイイチルビー - (1991年 安田記念・スプリンターズステークス)
- ウイニングチケット - (1993年 東京優駿)
- エアグルーヴ - (1996年 優駿牝馬、1997年 天皇賞(秋))
- ファインモーション - (2002年 秋華賞・エリザベス女王杯)
- エアメサイア - (2005年 秋華賞)
[編集] 重賞勝利馬
- ゴールドイーグル(初平地重賞勝ち馬)
- ニホンピロブレイブ
- スカーレットブーケ
- メイショウビトリア
- メローフルーツ
- マチカネタンホイザ
- プライムステージ
- エアダブリン
- ニホンピロラック
- ワコーチカコ
- ロイヤルタッチ
- マックスロゼ
- センターライジング
- マックスキャンドゥ
- ロードアトラス
- エアエミネム
- ロードプラチナム
- メイショウラムセス
- エアセレソン
- マチカネオーラ
- デアレスト(初重賞勝ち馬)
[編集] 引退後
引退して間もなく、2007年3月11日のスーパー競馬に、そして、札幌記念当日の9月2日(本来は8月19日だったが、馬インフルエンザの影響でこの日に延期)にはドラマチック競馬にそれぞれゲスト出演。
また日刊スポーツ紙上において伊藤の競馬コラム「雄二の流儀」が毎週土曜日に掲載されている。
[編集] エピソード等
[編集] 伊藤と休養
伊藤の調教方針として有名なのが、馬の成長や体質強化を目的とした長期放牧がある。実際、ファインモーション、ダイイチルビー等はこの長期休養を経て活躍した。一方、放牧中にピークを過ぎてしまったと評価される馬も出ており、松田国英調教師と同様に賛否の声が聞かれる。しかし実際関係者によると、放牧というのはやはり理由(怪我など)があったためとも言われている。[要出典]
[編集] 騎手との関係
義弟・伊藤正徳の騎手時代の同期には岡部幸雄や柴田政人がおり、実妹と正徳との結婚式の際に深い関係を結んだとされる。自己の管理馬を関東へ遠征させる時や、夏の北海道シーズンの騎乗者に岡部や柴田を優先していた。
武豊との関係はデビュー当時から友好関係を結んでおり、武は他の調教師よりも優先して騎乗依頼を受けていた。管理GI馬の多くも武によって勝利に導かれた。
マックスビューティの主戦騎手であった田原成貴は、騎手起用についての見解の相違のため、マックスビューティ以降伊藤の管理する馬には一切乗らなくなった。(しかし個人的な交流は田原の騎手引退まで続いていた。)
[編集] レースに対する意見
ファインモーションが5着に敗れた、2002年の有馬記念での、タップダンスシチーの騎乗法について「経験の浅いファインモーションが撹乱された」「向こう正面でペースを上げるなんて競馬の王道ではない。この騎乗は二度と通用しないでしょう」「ファインモーションを負かす競馬ではあったが、シンボリクリスエスを負かす競馬、すなわち有馬記念を勝つ競馬ではなかった。私にとっては後味の悪い競馬」などと述べている。[1]
[編集] 関連人物・門下生
[編集] 関連書籍
[編集] 脚注
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最終更新 2009年11月3日 (火) 23:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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