伊賀国

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伊賀国のデータ
日本
地方 近畿地方
面積 687.93km²
総人口 182,702
(2005年3月31日)
位置
伊賀国の位置

伊賀国 (いがのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、東海道に位置する。三重県西部の上野盆地一帯の地域であり、現在の行政区分では三重県伊賀市名張市に当たる。伊州(いしゅう)と呼ぶこともある[1]

延喜式での格は下国、近国。四方を山に囲まれ、「隠し国」とも呼ばれていた。

目次

[編集] 歴史

律令時代
680年天武天皇9年)に、伊勢国から分立した。当初は2郡だったが、後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の4郡になった。
室町時代
おおむね仁木氏が伊賀守護をつとめたが、支配力は緩かった。徳川家康が当時としてはかなり無謀な(道が整備されていなかった)「神君伊賀越え」を実行したことでも知られる。この頃に600を越える土塁付の屋敷が作られ、国内は内乱状態となり、忍者の発生へとつながった。
江戸時代
江戸時代には藤堂家の領国の一部となり、伊賀国一帯は伊勢津藩の領土となった。
近現代

[編集] 律令時代の行政機関

(国府、守護所、一宮、総社、国分寺)

国府は阿拝郡にあり、現在の伊賀市坂之下国町にあたる。1990年平成2年)、1991年(平成3年)の調査で政庁跡が確認された。

守護所は「府中(こふ)」と呼ばれていた現在の伊賀市の東条・西条あたりだと想定されている。

延喜式神名帳には大社1座1社、小社24座24社の計25座25社が記載されている。唯一の大社は伊賀市の敢國神社(南宮明神)で、伊賀国一宮とされている(名神大社ではない)。敢国神社を一宮とする初見の史料は『源平盛衰記』である。源範頼源義経入京の際に当国の一宮南宮大菩薩に拝したとある。

ただし、それより以前の1165年の史料に、伊賀国の神社の筆頭として南宮社が挙げられている。二宮は、伊賀市の小宮神社であるが、中世に当社が二宮を称した記録はなく近世以後の比定である。ただし、伊賀国に二宮があったことは確かのようである。三宮は伊賀市の波多岐神社。『伊賀記』(伝北畠親房著)に「里人称之三宮。又号波太伎社之宇都可明神説見于上」とあるのが初見。四宮以下はないようである。

総社は不詳。伊賀市府中の府中神社は若宮八幡宮が明治以後に他神社と合祀されて改称したもので、総社ではない。

国分寺の僧寺は、伊賀市西明寺字長者屋敷にあり、尼寺は伊賀市西明寺字長楽寺にあった。どのようなものであったかは不詳。

[編集] 守護

[編集] 鎌倉幕府

[編集] 室町幕府

  • 1337年~1339年 - 仁木義直
  • 1339年~? - 千葉貞胤
  • 1340年 - 桃井直常
  • 1342年~1343年 - 千葉貞胤
  • 1346年~1347年 - 仁木義長
  • 1347年~1350年 - 高師冬
  • 1351年 - 千葉氏胤
  • 1351年~? - 仁木義長
  • 1352年~1353年 - 細川清氏
  • 1353年~1360年 - 仁木義長
  • 1365年~1380年 - 中条元威
  •  ?~1433年 - 仁木国行
  • 1433年~? - 山名時熙
  • 1470年~1477年 - 仁木氏
  •  ?~1487年 - 仁木貞長
  • 1491年 - 仁木氏

[編集] 伊賀守

[編集]

[編集] 地理

[編集] 脚注

  1. ^ 一文字目が「伊」の国は他に伊豆(豆州)・伊勢(勢州)・伊予(予州)があり、また二文字目が「賀」の国は加賀が存在する。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年8月11日 (火) 16:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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