伏見港

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ファイル:伏見港公園.jpg 伏見港(ふしみこう)は、かつて京都府京都市伏見区に存在した河川港。1950年代頃まで、京都と大阪(大坂)を結ぶ水運の拠点として栄えた。

目次

[編集] 概要

三栖閘門と三栖閘門資料館

桃山時代豊臣秀吉が太閤堤の建設をはじめとする宇治川の治水事業を行い、宇治川と濠川(ごうかわ、ほりかわ)を結ぶ形で港が設けられ、三十石船が伏見大坂の間を行き来した。

江戸時代には角倉了以素庵父子が高瀬川を開削し京都と伏見が結ばれたことから、港湾の役割はさらに増した。幕府の伝馬所(問屋場)も置かれ、参勤交代の大名が立ち寄るために本陣や大名屋敷も置かれていた。幕末期には坂本龍馬が伏見港の船宿である寺田屋を常宿としていたのは有名である。

明治時代に入り琵琶湖疏水(鴨川運河)が開通すると疏水とも接続、大津から大阪までの新たな水運のルートが拓かれ、宇治川には三十石船などに代わって蒸気船(外輪船)が運航された。また、日本初の電車である京都電気鉄道伏見線(後の京都市電伏見線)が伏見港と京都市内を結ぶために建設された。1929年、宇治川の堤防が整備され宇治川と濠川に水位差が生じたため三栖閘門が建設されている。

蒸気船による水運は京都市と大阪市などを結ぶ鉄道が開通したあとも運賃が低廉だったことなどから一定の需要があったが、大峯ダム[1]の建設や京阪本線の開通による淀川での水運の衰退とともに港湾も衰退した[2]。第二次世界大戦後はほとんど使用されず放置されていたが1967年、跡地を埋め立てて公園とする都市計画が決定され港湾機能を喪失したが、法制上は現在も地方港湾としての港格が残っている[3][4])。現在は公園内に港湾施設の復元模型があるほか、濠川から三栖閘門の周辺は遊歩道が整備され観光用の十石舟が運航している。※観光船については、伏見十石舟を参照。

また、伏見区内には京橋、南浜、弁天浜、材木町といった港町に因んだ地名が残っている。

[編集] 公園

現在は、跡地が公園となっている。

伏見港公園
  • 体育館
  • テニスコート
  • 相撲場
  • プール
伏見みなと公園
  • 港湾施設の復元模型

[編集] 交通

[編集] 位置情報

[編集] 脚注

  1. ^ かつて宇治川に設置されていたダム。天ヶ瀬ダムの建設により水没した。
  2. ^ 『流域紀行 宇治川の原風景を訪ねて』 p.23ほか - 宇治市歴史資料館 編(2008年9月発行)
  3. ^ Ⅴ 事業の概要-1 交通・物流 > 2 港湾 (p.33)(平成21年度 京都府建設交通部の概要) - 京都府
  4. ^ 管内の港について - 舞鶴港湾事務所(国土交通省 近畿地方整備局)
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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月20日 (日) 16:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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