佐々木主浩
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シアトル・マリナーズ時代
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1968年2月22日(41歳) |
| 身長 体重 |
190cm 98kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト1位 |
| 初出場 | NPB / 1990年4月7日 MLB / 2000年4月5日 |
| 最終出場 | 2005年8月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者・野球評論家。名前の表記は「かずひろ」ではなく、「かづひろ」。
抑え投手として一時代を築き、日本では「(ハマの)大魔神」、メジャーリーグでは「KAZU」の異名で知られる。メジャー移籍の入団発表ではGREAT DAIMAJINと紹介され、登板の際にも「DAIMAJIN」の文字が球場の大型スクリーンに登場したことがある。背番号は日米のキャリアを通じて22。
前妻は元タレントの清水香織。現在の妻はタレントの榎本加奈子。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
東北高校では竹田利秋監督のもとで2年の夏からエースとして3季連続甲子園に出場し、3年の春夏はベスト8に進出した。大学進学の際に東京へ行くことも考えたが、東京で遊びに走ることを憂慮した竹田監督の勧めで地元の東北福祉大学へ進学した。東北福祉大学時代は全日本大学野球選手権で2度準優勝(2年・3年)している。
[編集] 横浜入団
1989年、ドラフト1位(野茂英雄の外れ1位)で横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)に入団。背番号22を与えられる。背番号は2月22日午後2時22分生まれに由来するといわれ、ルーキーイヤーの春季キャンプを扱ったスポーツニュースでは「平成2年2月22日に22歳の誕生日を迎えた背番号22の佐々木投手」という特集も組まれたこともある。また市外局番の「022…」が宮城県に割り振られていることにも言及し、「宮城県出身の私にとってもうれしい」と自著で触れている。[1]
2年目には故障した遠藤一彦に代わってクローザーに定着、速球と落差のあるフォークボールを武器に高い奪三振率を記録した。1991年8月28日の対広島東洋カープ戦の9回、見逃し5球、空振り4球、ファウル無しの「三者連続三球三振」を達成する。
1992年には初タイトルである最優秀救援投手賞を獲得。1995年から1998年には4年連続で最優秀救援投手賞を獲得した。この年、中継ぎの盛田幸妃から佐々木への継投リレーが確立されている。
1998年には51試合に登板し防御率0.64の安定感で、当時のプロ野球記録となる45セーブを挙げ横浜の優勝に貢献。MVPをはじめ、正力松太郎賞、日本プロスポーツ大賞を受賞した。この45セーブは計算上3試合に1セーブを記録していることになり、46セーブを記録している岩瀬(3.17試合)、藤川(3.13試合)を超える記録(非公式)である。10月8日のリーグ優勝を決めた試合にも抑えで登板し、自らこの試合を「ベストゲーム」としている[2]。9月19日、横浜の優勝を祈願する目的で横浜駅東口の地下街「ポルタ」内に「ハマの大魔神社」が設置され、翌1999年1月17日に撤去されるまでの間に約1660万円のお賽銭が集まった。お賽銭は全額横浜市社会福祉協議会に寄付された。また「ハマの大魔神」はこの年の新語・流行語大賞を受賞した。
[編集] シアトル・マリナーズ
1999年オフにFA宣言し、メジャーリーグのシアトル・マリナーズに移籍。この際マリナーズのオーナーであった任天堂の山内溥は「メジャーリーグのピカチュウになってほしい」とコメントしている。2000年はアメリカンリーグ新人王に選ばれ、2001年・2002年にはMLBオールスターゲームにも出場した。2003年は故障者リスト入りを繰り返し、シーズン終了後、1年間残っていたマリナーズとの契約を破棄して退団。その理由について「日本で家族と一緒に暮らすため」と説明した。
[編集] 横浜復帰
2004年横浜に復帰。多少威力は衰えたとはいえ、数種類に変化するフォークボールは他球団の脅威となっていた。しかし、8月4日の中日戦、7日のヤクルト戦で連続して救援に失敗、翌8日のヤクルト戦では土橋勝征、岩村明憲、古田敦也に3連続本塁打を浴びて逆転負けを喫する。11日、引退の意向を球団に伝えるが慰留を受けて後に撤回。その後二軍落ちし、そのままシーズンを終えた。
2005年は年齢と度重なる怪我の影響で登板3試合連続サヨナラ負けを喫するなど打ち込まれ、8試合0勝3敗4セーブ防御率9.53の成績で二軍落ち。その後復帰を目指して調整を続けていたが調子は上がらず、またその間にクルーンが抑え役に台頭したこともあり、チームの戦力構想外となる。8月7日に現役引退を表明。「お袋の前で投げたい」との希望により、2日後の9日、故郷仙台のフルキャストスタジアム宮城で行われた巨人戦で事実上の引退登板。対戦相手は高校時代からのライバルで親友でもある清原和博であった。しかし、佐々木は球団との契約を盾に湘南シーレックスのユニフォームを着用せず、イースタン・リーグでの調整登板もしていない状態であり、またチームがAクラス争いをしている最中ということから、横浜の牛島和彦監督はゲームに影響が出ないよう、普段は救援投手である秦裕二を先発させ清原の第1打席で佐々木を投入。清原の打席後、あらためて本来の先発投手門倉健を登板させるという継投策を取った。この投手起用について牛島は試合前、巨人の堀内恒夫監督に「お騒がせして申し訳ない」と謝罪した。この引退登板については公式戦の私物化と批判する意見もあり、チーム内でも野村弘樹コーチと福田功ヘッドコーチ間で対立が生じた。
10月8日、本拠地横浜スタジアムでのヤクルト戦で最終登板する予定だったが、Aクラス入りがかかった試合での登板はチームに迷惑をかけるとして自ら辞退、セレモニーのみが行われた。この時の挨拶で「生涯野球人であることを誓います」と述べた。
[編集] 現役引退後
現役引退後は横浜の親会社であるTBSと日刊スポーツの野球解説者に就任。野球評論家としても活動中。2002年と2003年、オーナーを務める「TEAM 22」でフォーミュラ・ニッポンに参戦(メンテナンスはムーンクラフト(2002年)とルマン(2003年)に委託)。チーム名は背番号「22」に由来。2002年は伊藤大輔、2003年は脇阪寿一をドライバーに起用し、脇阪が2勝を挙げた。 2006年5月16日、NARの馬主免許を取得、2007年にはJRAの馬主免許を取得している。
[編集] プライベート
1991年元アイドルの清水香織と結婚。この際、以前交際していた女性とのトラブルが発覚し「球界の琴錦」とも呼ばれた。その後長女長男が誕生したが、メジャーリーグに行った頃に起きたすれ違いや榎本加奈子との不倫騒動などもあり2005年3月18日離婚。子供2人の親権は佐々木が持つことになった。その後4月29日に榎本との間に男児が生まれ、5月9日に再婚する。2006年6月29日、再婚後2人目の子(男児)が誕生した。
[編集] 投球スタイル
佐々木の武器となる球種は、150km/h超の空振りが取れる重い速球と最大の武器である135km/hから143km/hの落差のある高速フォークである。投球の割合は速球とフォークボールがほとんどだが、たまに投げる120km/h台の縦割れカーブも一級品である。ほぼストレートと高速フォークの2球種のみでありながら日本、MLBで高い奪三振率を誇った。
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
奪 三 振 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | 大洋 横浜 |
22 | 16 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 2 | .333 | 215 | 47.2 | 49 | 10 | 30 | 0 | 44 | 4 | 1 | 31 | 31 | 5.85 | 8.39 |
| 1991 | 58 | 0 | 0 | 0 | 6 | 9 | 17 | .400 | 467 | 117.0 | 72 | 7 | 51 | 4 | 137 | 5 | 1 | 33 | 26 | 2.00 | 10.54 | ||
| 1992 | 53 | 0 | 0 | 0 | 12 | 6 | 21 | .667 | 356 | 87.2 | 47 | 6 | 39 | 1 | 135 | 8 | 0 | 32 | 24 | 2.46 | 13.93 | ||
| 1993 | 38 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 20 | .333 | 226 | 55.0 | 35 | 6 | 21 | 2 | 84 | 3 | 0 | 24 | 20 | 3.27 | 13.75 | ||
| 1994 | 31 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 10 | .750 | 178 | 46.0 | 27 | 5 | 15 | 0 | 59 | 1 | 0 | 11 | 11 | 2.15 | 11.54 | ||
| 1995 | 47 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 32 | .778 | 210 | 56.2 | 30 | 5 | 17 | 0 | 78 | 4 | 0 | 12 | 11 | 1.75 | 12.49 | ||
| 1996 | 39 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 25 | .571 | 200 | 49.2 | 37 | 6 | 16 | 1 | 80 | 4 | 0 | 17 | 16 | 2.90 | 14.63 | ||
| 1997 | 49 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 38 | 1.000 | 219 | 60.0 | 25 | 6 | 17 | 1 | 99 | 2 | 0 | 6 | 6 | 0.90 | 14.85 | ||
| 1998 | 51 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 45 | .500 | 212 | 56.0 | 32 | 1 | 13 | 1 | 78 | 1 | 1 | 7 | 4 | 0.64 | 12.54 | ||
| 1999 | 23 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 19 | .500 | 94 | 23.1 | 19 | 1 | 6 | 0 | 34 | 3 | 0 | 5 | 5 | 1.93 | 13.25 | ||
| 2000 | SEA | 63 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 37 | .286 | 265 | 62.2 | 42 | 10 | 31 | 2 | 78 | 1 | 0 | 25 | 22 | 3.16 | 11.29 | |
| 2001 | 69 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 45 | .000 | 261 | 66.2 | 48 | 6 | 11 | 4 | 62 | 4 | 0 | 24 | 24 | 3.24 | 8.43 | ||
| 2002 | 61 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 37 | .444 | 249 | 60.2 | 44 | 6 | 20 | 2 | 73 | 6 | 0 | 24 | 17 | 2.52 | 10.91 | ||
| 2003 | 35 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 10 | .333 | 150 | 33.1 | 31 | 2 | 15 | 1 | 29 | 4 | 0 | 17 | 15 | 4.05 | 7.89 | ||
| 2004 | 横浜 | 25 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 19 | .333 | 89 | 22.2 | 18 | 4 | 3 | 0 | 18 | 0 | 1 | 8 | 8 | 3.18 | 7.14 | |
| 2005 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | .000 | 31 | 6.0 | 11 | 2 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 6 | 9.00 | 7.50 | ||
| NPB:12年 | 439 | 0 | 0 | 0 | 43 | 38 | 252 | .530 | 2497 | 627.2 | 402 | 59 | 230 | 10 | 851 | 35 | 4 | 192 | 168 | 2.41 | 12.21 | ||
| MLB:4年 | 228 | 0 | 0 | 0 | 7 | 16 | 129 | .304 | 925 | 223.1 | 165 | 24 | 77 | 9 | 242 | 15 | 0 | 90 | 78 | 3.15 | 9.76 | ||
| 通算:16年 | 667 | 0 | 0 | 0 | 50 | 54 | 381 | .481 | 3422 | 851.0 | 567 | 83 | 307 | 19 | 1093 | 50 | 4 | 282 | 246 | 2.60 | 11.56 | ||
- 各年度の太字はリーグ最高、赤字は日本人最高
[編集] 背番号
- 22 (1990年 - 2005年)
[編集] タイトル
- 最優秀救援投手:5回(1992年、1995年、1996年、1997年、1998年)
- MVP:1回(1998年)
- 最優秀投手:1回(1998年)
- ベストナイン:1回(1998年)
- セ・リーグ会長特別賞:1回(2005年)
- アメリカンリーグ新人王(2000年)
[編集] エピソード
[編集] 人物
- 大学時代は故障続きで腰の手術を行ったこともあって、ドラフトで横浜大洋ホエールズから1位指名を受けた際はプロ入りに前向きではなかったが、球団から説得され入団。当時の監督・須藤豊は「チームで最もいい投手がストッパーを務めるべきである」という考えから遠藤一彦をストッパーに起用していたため、2年目までは先発で起用されることもあった(1990年に7試合、1991年に1試合)。
- 1999年にFAの権利を取得しメジャー移籍が可能になり、シーズン中にも関わらず手術を行ったことに対して球団は不信感を持ち、佐々木も残留をにおわすような発言をした。メジャー移籍後球団が背番号22を他の選手に渡したのは、佐々木の行動に対する失望や不信感からだとされている。ただ、それ以後も22番を一貫して投手の番号として扱い、復帰した際に佐々木に22番を再度与える等、大切にしている部分もある。
[編集] その他
- 東北高校の同級生、チームメートに元阪神(現コーチ)の葛西稔がいる(佐々木は葛西を「みーくん」と呼んでいたという)。また高校時代に親しかった同級生の2つ年下の弟には斎藤隆がおり、昔からの顔見知りであった。斎藤はその後高校・大学・日本プロ野球で佐々木と同じチームに属することになる。
- 「大魔神」という呼び名は、もともとサンケイスポーツの巨人担当記者がつけた(敵チームから見て)「悪魔の守護神」を略した「魔神」であった。その後「ハマの大魔神」として定着するが、サンケイスポーツだけは魔神という表記をずっと続け、またグループ企業のニッポン放送では引退後も「魔神」と呼ばれることが多い。
- 2006年3月19日に放送された日本テレビの番組『いつみても波瀾万丈』内で「二日酔いの日も投げていた」と告白。しかし「二日酔いである事をチームメイトが知っているので、打たれる訳にはいかない」との思いで普段より頑張って投げていたという。
- 1990年代後半によくゲストで登場していた『ショウアップナイタープレイボール』で横浜の先発オーダーを佐々木が発表する際、唯一年上の駒田[3]には「5番ファースト駒田さん」と敬称を付けていた。
- 引退後TVで「フォークは試しに投げたら、たまたま落ちた」「大学の2年間は野球をしていなかった」などと自分は努力をしないタイプである事をアピールすることが多い。
- 2004年に横浜に復帰する際、球団経営権が移ったばかりで財政事情が厳しいTBSに高給取りの佐々木が呼べるのかという噂が流れていたが、TBSが発売した『8時だョ!全員集合』のDVDが予想以上の売れ行きだったため、「ドリフが佐々木を呼んできた」と言われた。
- 商業用(いわゆるBBM系など)のトレカにはサインをしない主義であったが、「BBM2006 1st Version」の「引退選手」のコンテンツで初めて商業用の直筆サインを50枚書いた。
- 甘いもの(特にプリン)が好物で、実際に作ったことがある。また料理も小学生の頃からしていたため得意。『浜ちゃんと!』(2006年10月24日放送)では浜田雅功に料理を振る舞い、絶賛された。
- みずしな孝之の漫画『ササキ様に願いを』では自称「ササキ様」で傲慢かつ乱暴なキャラとして登場している。漫画の知名度が上がったため実際の佐々木も「ササキ様」と呼ばれるようになった。
- 子供が見ていた影響で『美少女戦士セーラームーン』の水野亜美の熱狂的ファンになる(『関口宏の東京フレンドパークII』]に出演した際、クイズの問題にされた)。
- 2005年3月、自身とニックネームである大魔神をモチーフとしたパチンコCR大魔神が登場。
[編集] テレビ出演
- 武蔵 MUSASHI(NHK大河ドラマ)
- にっぽん釣りの旅(NHK 2009年5月1日)
[編集] 現在の出演番組
[編集] 著書
- 大魔神伝 (2000/5・集英社) ISBN 4087803112
- ロッカールーム―僕とメジャーリーガーたちの栄光と屈辱 (2003/3・祥伝社) ISBN 4396611838
[編集] 音楽作品
- break new ground(2000/03)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 宮城県出身の人物一覧
- 横浜ベイスターズの選手一覧
- 日本人メジャーリーグ選手一覧
- 日本人メジャーリーガーが獲得したタイトル・表彰一覧
- 岩瀬仁紀 - 2005年シーズンにセーブ記録を更新される。
- トニー・アタナシオ - メジャー時代の契約に携わったスポーツエージェント
- 五十嵐英樹 - 1998年横浜優勝時のセットアッパー。佐々木のニックネーム「大魔神」にあやかって「ヒゲ魔人」と呼ばれた。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月22日 (日) 07:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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