佐渡島
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| 佐渡島 | |
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![]() 佐渡島(2007年8月) |
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| 座標 | 北緯37度50分-38度20分 東経138度10分-33分 |
| 面積 | 855.26km² |
| 海岸線長 | 262.7km |
| 最高標高 | 1,172m |
| 所在海域 | 日本海 |
| 所属国・地域 | |
佐渡島(さどがしま)は、新潟県沖の日本海上にある島。全島が新潟県佐渡市に属する。人口は64,363人(2008年9月1日現在)。本州などの4島を除く日本の島の中では、沖縄本島に次いで第4位の面積を持つ[1]。
目次 |
[編集] 地理
カタカナの「エ」、アルファベットの「S」の字に似た特徴的な形の島である。地勢は三分でき、北西が大佐渡山地、南東が小佐渡丘陵(小佐渡山地)で、この2つの間に国仲平野が広がる。
大佐渡山地の方が高く、島で最も高い金北山(1,172m)がある。小佐渡丘陵の最高点は大地山(645m)である。大佐渡山地の北西側海岸は、山が海に迫る景勝地で、山地と共に佐渡弥彦米山国定公園の一部になっている。中でも尖閣湾が有名である。小佐渡丘陵の南端、小木半島も同じ国定公園に含まれる。
国仲平野は、島の平野としては広く平坦で、山から下る多くの川で潤い、水稲栽培が行われている。大佐渡、小佐渡の山地と国仲平野で相似形の湾を2つ作る。東側が両津湾、西側が真野湾で、国府川が真野湾に注ぐ。国仲平野の東端、両津湾のそばに汽水湖の加茂湖があり、カキの養殖などが行われている。
[編集] 歴史
大化の改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。古代から遠流の地とされ、順徳天皇、日蓮、日野資朝などが配流されている。 鎌倉時代以降は本間氏が守護代として支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。
関ヶ原の戦いの後、佐渡全島は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)、佐渡金山が発見された。佐渡では戦国時代中期頃から鶴子銀山等で銀が採掘されていたが、佐渡金山の産出量は群を抜いて多く、以降佐渡奉行のもとで幕府による直轄支配が行われた。明治以降は佐渡県、後に相川県が置かれたが、1876年(明治9年)には新潟県に編入された。
[編集] 文化
佐渡島には独特の文化があったとされ、現在でも伝統芸能が受け継がれている。過去、流刑によって、京から流された都人が、都の文化を伝えていったことと、西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたことによって、貴族文化や武家文化、町人文化がまさに渾然一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれる。能の大成者である世阿弥が配流された島であり、全国一の密度を持つ能舞台が存在する。薪能の他に古浄瑠璃、文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞などが代々受け継がれ、現存している。
佐渡金山は最盛期には、国内一の金産出量を誇っていたが、江戸時代の終わりには衰退を迎え、現在では金の採掘は行われていない。残された多くの史跡や博物館等の資料館で当時の様子をうかがい知ることができる。他に、順徳天皇や日蓮ゆかりの寺などの、歴史的な寺社仏閣が保存されており、こうした様々な史跡めぐりをする観光客が毎年訪れている。
[編集] 気候
佐渡沖を対馬海流が流れている影響から、島内全体として冬は新潟県の本土側に比べ気温が1~2度程度高く積雪は少ない。但し相川地域のように、北西方向からの強い季節風をもろに受ける地域もある。気候も三分でき、大佐渡山地より北側の地域は日本海からの風の影響で島内で一番積雪が多く、小佐渡山地より南側は温暖で積雪は少ない。国仲平野はその中間くらいである。夏は島内全体として本土よりも涼しい。
暖流と寒流の接点にあるため、植生にきわめて富んでおり、島内で北海道・沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域である。
また、暖流にのって現れるシイラ、カツオ、アオリイカ、寒流にのって現れるブリなどの多様な水産物にも恵まれている。
[編集] 島内外の交通
佐渡市#交通の項を参照。
[編集] 所属自治体
かつては、両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村が存在していたが、2004年に島内のすべての自治体が合併し現在は佐渡市1市のみとなっている。
[編集] 著名な出身者
詳細は佐渡市#出身有名人の項を参照。
[編集] 舞台にした作品
[編集] 映画
[編集] 小説
[編集] 漫画
[編集] ゲーム
- 『マブラヴ オルタネイティヴ』(Muvluv Alternative)(2006年2月24日)アージュ
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 佐渡市役所
- 佐渡観光Navi~トキめき佐渡~(佐渡観光協会)
- 佐渡トキ保護センター



