佐藤ゆかり

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日本の旗前衆議院議員 佐藤 ゆかり
生年月日 1961年8月19日(48歳)
出身地 日本の旗東京都世田谷区
出身校 上智大学からコロンビア大学編入
ニューヨーク大学大学院
学位・資格 経済学博士 (Ph.D)
前職 証券会社エコノミスト
所属委員会
財務金融委員会経済産業委員会委員
世襲
選出選挙区 比例東海ブロック(岐阜県第1区)
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 元党副幹事長
  

佐藤 ゆかり(さとう ゆかり、1961年(昭和36年)8月19日 - )は、日本政治家自由民主党の前衆議院議員(1期)。元外資系証券会社エコノミスト。2005年総選挙で注目された小泉チルドレンの代表格の1人。安倍内閣で党副幹事長を務めた。2009年8月の総選挙で東京5区から出馬し落選。

目次

[編集] 来歴

  • 2007年9月、安倍の総理大臣辞任表明を受け、83会のメンバーらと共に小泉純一郎前首相の擁立を目指し国会議員らの署名を集める[10]が、小泉純一郎が福田康夫元官房長官を支持した為、追随した[11][12]。その後2008年9月には、福田の総理大臣辞任表明を受けた同党総裁選挙で“小泉後継”を掲げた小池百合子元防衛相を支援した[13][14]。2009年6月、“反麻生”として両院議員総会の開催を呼びかけた[15]が衆院が解散され頓挫した。

[編集] 序説

  • 初当選直後から衆議院議員所属委員会である財務金融委員会、経済産業委員会、郵政民営化に関する特別委員会、また予算委員会等で精力的に質疑に立つ[18][19]一方、初当選直後に開かれた郵政民営化に関する特別委員会では、自民党を代表する法案疑義者の一人として抜擢を受け、その初登板の映像が全国のメディアを通じて流された[20][21]。他方党内においても、自民党幹事長補佐(2005年11月)[22]、同副幹事長(2006年10月)の要職に就き、党運営の一端に携わった。また、政策立案のための数々の勉強会や党プロジェクトも立ち上げた。国家戦略本部では、「農業版JETRO創設PT」、「地域マンパワー革命PT」、「確定拠出年金に関する特別委員会」等各種プロジェクトチームの立ち上げを企画立案し、自ら座長並びに事務局長として党の政策提言を取りまとめ、当時の福田康夫総理に国家戦略本部プロジェクトチーム座長として提出した。
  • 小泉~安倍内閣の間は党内で厚遇が続いたが、安倍内閣での“郵政造反組の復党”を境に執行部と対立し、その後の福田~麻生内閣では党役職から離れ、無派閥ではあるが、小泉純一郎元首相や中川秀直及び武部勤両元幹事長、小池百合子元外務大臣などの“自民党改革派”“上げ潮派”と呼ばれる議員らと行動を共にし改革路線を堅持する姿勢のため[23]麻生内閣では“反麻生派”と目された[15]

[編集] 政治活動と報道録など

2004年埼玉8区補欠選挙での候補者公募に応じ最終選考に残ったが、柴山昌彦が選ばれた。(その後、埼玉15区で出馬準備をしたが公認を得られず断念した。)[要出典]

2005年4月、日本経済新聞紙上で小泉首相の郵政改革を50点(落第点)と採点し、次のように理由を掲げた。

350兆円の郵貯・簡保資金を低い金利で民間に回す道筋が不透明。国債消化を優先し、金融の効率化が期待できない--日本経済新聞2005年4月28日

これに関して、総選挙直後の同9月18日、テレビ番組「報道2001」で竹村健一から質問され、佐藤は「あの時は評論家としての立場で採点した」と答えた。[24]

2005年8月24日、総選挙に際し挨拶に行った佐藤が細江茂光岐阜市長から握手拒否をされる。この模様が全国放送されたため、市長が一部の視聴者から抗議を受けた。[25][26]

2005年9月1日、不倫メール500通」報道(週刊文春)が行われた[27][4]。(→不倫報道とバッシングに解説)

2005年9月の総選挙後、公職選挙法違反である有権者宅への戸別訪問を行う映像が『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ)で報道され、これを市民団体に告発された(総務省の見解では複数の有権者宅へ戸別訪問した場合、公職選挙法違反の適用を受けるため)。同団体に別件で告発された杉村太蔵らと共に週刊誌に“お騒がせ議員”として叩かれ[28]、佐藤も自身のサイトに戸別訪問をしない旨の注意書きを書いた

2005年10月7日、郵政民営化特別委員会片山さつき等とともに自民党を代表し郵政民営化法案の質疑をした[20][21][5][6]

2005年11月6日、早稲田大学での与野党の討論会[29]「(子供を産む女性も)自助努力で頑張っていくことが大事」と発言したことが報道され、子育てや女性の立場を理解しているのかと、物議をかもした。[30][31][7]

2005年11月7日、正式な役職ではないが、自民党幹事長補佐に任命された[22]

2006年3月、私的懇談会「金融経済研究会」を発足。発起人・事務局として、党幹事長、官房長官、金融担当大臣ら与党国会議員のために金融・経済分野の業界・学識経験者との勉強会を継続的に開催。

2006年5月11日、佐藤が中心となり83会などで立ち上げた日本列島意識改革リレーの会に「バカの壁」の筆者養老孟司を講師に勉強会を開催。

2006年6月、レギュラー出演していた朝のテレビ番組で、赤坂に建設中の“億ション”並の議員宿舎(都内に自宅を持たない議員が利用可能)が国会議員が安価で利用できる問題に関して、「程度問題。(地方選出議員には)この程度の宿舎が必要」と発言し、番組内で民主党河村たかし衆院議員(当時)や他の出演者に「年間4000万円も税金を貰っておきながらお金が足りないとは何事か」等と批判された。なお、同番組で新しい議員宿舎に入居しないと明言したにも拘らず、赤坂に入居。[8][9][10]

2006年6月、江崎洋一郎衆院議員との“不倫デート”が週刊新潮から報じられた。(→不倫報道とバッシングに解説)

小泉チルドレンではあるものの、2006年の皇室典範改正議論の時には、女性天皇許容の小泉総理の意見よりも、慎重論の自民党執行部の意見に与し、武部幹事長の補佐として動いた。また、2006年の「骨太の方針」策定の際には、毎年2200億の医療費削減の方向性に反対するなど、社会保障が市場原理に則さない事をエコノミスト出身の立場から力説した。[要出典]

2006年9月、総裁選山本一太片山さつきらと共に安倍晋三候補の応援を行った[32]。10月、自民党副幹事長に抜擢。

2006年11月、選挙区を争う野田聖子議員などの郵政造反組12名の自民党復党問題に絡んで復党に反対する議員連盟を発足させたが少数の議員の賛同しか得られず、小泉前首相の“政治家は使い捨て”発言も出て、復党を容認する流れを覆すことはできず、“私は100%自民党”と決定に従った。その後、復党した野田聖子議員(岐阜1区選出)に対して“私が支部長”と同選挙区の公認候補を争う構えを見せ、岐阜1区(岐阜市)内の自民党支持者を分裂させる争い(岐阜1区騒動)を起こした。この争いは内閣の支持率低下を招いた為、自民党内でも不評を買い、また民主党はこの件につき「コップの中の争い」とコメントした。TVや週刊誌等のメディアでも「女の争い」というイメージで報道した。

2006年12月、野田聖子が復党すると、『私が(選挙区・岐阜1区の)支部長』とテレビを通じ次期選挙での小選挙区公認候補を譲る意思のないことを強く主張した[33]。国会閉会日の12月19日に議場で野田が佐藤に近づき握手を行った[34]。この対立は、2008年2月、佐藤が東京5区に選挙区を転出するまで続いた。(→岐阜1区騒動に解説)

2006年12月経済産業委員会の採決を無断欠席したことで、党国対委員会によって、同様に経産委員会を無断欠席した片山さつき議員と共に「所属常任委員会を変更」「国会開会中海外渡航を1年間禁止」「2007年3月まで国対委員会へ出席停止」という処分が下された[35][11]。また、佐藤は11月10日財務金融委員会(関税暫定措置法採決)も無断欠席しており、その委員からも外された[33][12]。両議員とも決算行政監視委員会に変更されたが、後に復帰した。

2007年4月17日、衆院財務金融委員会で日銀総裁に『美しい国、日本のための美しい金利観』について質問した[13][14][15]

2007年7月、議員在籍年数に比して議員秘書の辞職者が多い[36]が、佐藤は「私の事務所よりも多数の秘書が辞めた議員もいる」とコメントした[37][16][17]

2007年9月8日、佐藤が代表を務める自民党岐阜県第1選挙区支部が、平成17年の政治資金収支報告書に自民党本部からの交付金300万円を記載せず、昨年9月に県選管に訂正を届け出ていたことが分かり、佐藤の事務所は「選挙運動費用収支報告書には記載しており、それで十分だと思っていた」とコメントした[38]

2007年10月~、日本テレビ太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」に2ヶ月に一度ほど出演。[39][40][41][42][18]

2008年1月、自民党国家戦略本部に「地域マンパワー革命PT」、「農業版JETRO創設PT」の設置と立案。佐藤は座長として在宅勤務制度の確立や農産物輸出促進に関する提言書をとりまとめ、同年6月、福田総理に報告。

2008年2月、自民党本部(古賀誠選対委員長)は岐阜1区の公認問題を終結させるために候補者調整を行い、夫人の借金問題で引退[43][44]する小杉隆元文部大臣の後任として、佐藤を衆院東京5区に“国替え”させた(→岐阜1区騒動に解説)。一部の報道に『里帰り』『5区で育った』等の表記がある[45]が、佐藤は東京6区世田谷区代沢に生家がある。

2008年4月小池百合子猪口邦子、佐藤ゆかりで政策提言ユニット「TPL」(Tokyo Projects of/by/for Ladies)を結成[46][47]。同年9月、総裁選で小池百合子候補の推薦人となり[13][48]、同陣営の経済・金融政策担当の総裁選マニフェスト立案を行った。

2009年6月、総選挙を前に麻生内閣の支持率が低迷した為、佐藤は『マニフェストを通じた総裁選を事前に行って改革路線を堅持する党のリーダーを決めよう』と、両院議員総会の開催を呼びかける署名活動をし、“麻生おろし”に一役買った[49]。この“麻生降ろし”劇はメディアに“自民党の内戦”と逐一報道され、自民党の支持率急落の一因となった。佐藤は同7月に夕刊フジ[15]やラジオ番組[50]等で「麻生降ろしではない」と弁明するも、中川や武部が麻生批判を繰り返したこともあり[51]、直後に行われた2009年東京都議会議員選挙に悪影響を与え、自民党は歴史的惨敗を喫した[52]。この選挙結果に自民党都議団は『“麻生降ろし”議員は応援しない』と強く抗議[53]。佐藤は都議団へ弁明し[54][55][56]、再度、複数のマスコミのインタビューに『私は親麻生。反麻生ではない』と報道させ、マスコミが反麻生派だとレッテルを貼ったと責任転嫁した[57][58][19]

[編集] 第45回衆議院選挙で落選

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には自民党公認のほか公明党の推薦を受けて東京5区から出馬した[59]が、自民党への大逆風のため民主党の手塚仁雄に敗れ、さらに比例区でも惜敗率が及ばず落選した[17][60][61][62][63][20]

[編集] 日本アムウェイへの関与

2008年10月マルチ商法業者が問題視される中で、日本アムウェイと関りがあるとして、自民党の野田聖子吉田六左ェ門猪口邦子などと共に名前があがった[21][22][23]。佐藤は日本アムウェイが主催する集会に参加したとされる。

[編集] 不倫報道とバッシング

[編集] 「不倫メール500通」報道

「不倫メール500通」報道とは、2005年の総選挙で野田聖子への刺客候補として注目された佐藤に対し、2005年9月1日に週刊文春が報道した“女性エコノミスト佐藤の正体を暴いた”とされる記事のこと[64][65][66][67][68]。「二股不倫」「W不倫」とも言われた[27][69]

“小泉マドンナ刺客作戦”の正体見たり

佐藤ゆかり「不倫メール」500通

「個人情報」を有権者に隠す本当の理由

野田聖子への刺客として颯爽と登場したマドンナには過去がある。元夫と別居中に妻子ある会社員と同棲。さらに大手マスコミ幹部とも不倫関係に陥った。佐藤はこの男の紹介で政界に足掛かりを作ったが、膨大な数の不倫メールから関係が発覚し、男の家庭は崩壊した。男の元妻は「彼女に立候補する資格はありません…」。 --(週刊文春2005年9月8号PR)

この様に、記事は佐藤の過去の男性関係が赤裸々に書かれ、メディアによって仮名となっているお相手探しが行われたりした。これに対し佐藤は週刊文春の記事を悪評の流布(いわゆる“紙爆弾”)として対処。選挙中は報道を一切無視し、記者に質問されても沈黙を守った[70]

しかし選挙後は一変し、週刊誌による不倫疑惑報道をネガティブキャンペーンとみなし“選挙妨害”と主張した[71][72]。選挙直後の討論会ではメディア規制に賛成する立場に立ったため、メディア規制反対の立場の櫻井よしこにたしなめられたりしたが[73]、2006年8月7日販売の婦人公論8月22日号[74][75][76]などで「不倫メール」報道を“謀略”との主張を展開した。また事務所を通じウィキペディアにも抗議をした。佐藤のメディアへの反撃は“個人のブログへの規制”にまで言及している。[77]

なお週刊文春の「不倫メール500通」報道は他の幾つかのメディアでも取り上げられた[27][78][79][69][80][81][82][24]

[編集] 「不倫デート」報道

2006年6月、同僚の江崎洋一郎衆院議員と神楽坂のフレンチレストランで会食していた模様を週刊新潮にスクープされ、“不倫デート”と報じられた[83]

[カメラは見た!]懲りない「佐藤ゆかり」 

今度は〈48歳〉議員と「不倫デート」 

元祖「不倫メールの女」と「花街育ちの代議士」。

人目もはばからず、レストランで手を握り合う2人は──--(週刊新潮2006年6月22日号PR)

記事中の江崎のボディータッチについて、佐藤は「散発的な不規則行為」「不倫ではなくセクハラ」とし、乃木坂のフランス料理店の支払い明細のコピーを示したりして、不倫疑惑を全面否定。TV[84]や自身のHP[85]で反論した[86]。江崎も事実を認め謝罪した[87][88]。 また佐藤は会食の場所などの情報が週刊誌に漏れたのは事務所にスパイがいると考え、全ての関係者に守秘義務の誓約書を書かせたり、または秘書を入れ替えたりしたとされる[89][90][91](辞めさせられた秘書が多数いるため、「日本アムウェイへの関与」などの内部情報がますます流出した)。

[編集] バッシング報道

週刊誌やタブロイドからのバッシング報道は不倫疑惑だけに留まらず、公職選挙法違反の告発[28]、出資詐欺への関与[92]、秘書の金銭トラブル[93][94][95][25]政治資金収支報告書の未記載[38]、又は委員会採決欠席[96][35][33][26][27]、議場での居眠り[97][98]、審議中の写真撮影[99]、更には相次ぐ“ドタキャン”[100][101][102]、車の事故[103]、出身地偽装[104]、果ては“化粧の濃さ”[105][106]、又は“男性への媚び”[107]、“目力”(めぢから)[108][109]など多岐に渡った。

このため、佐藤は“メディア嫌い”[110]であり、メディア(特に週刊新潮)に対して抗議を続けたり[85][111][112][113][114][115][116][75]、議員宿舎の玄関で佐藤を取材しようと待っていた写真週刊誌記者を威嚇したり[117]、岐阜での会合ではテレビカメラの前を通過する際にレンズを手で押さえつけた[118][28][29]こともある。なお、週刊プレイボーイは「取材を拒否される」と誌面に幾度か書き[104]、他メディアも取材拒否について触れた。

[編集] 岐阜1区騒動

[編集] 序論

衆院岐阜1区は自民党の野田聖子元郵政大臣(当時)が連続当選してきた様にもともと保守的な選挙区(“保守王国”)であったが、2005年総選挙で野田を落選させるための“刺客”(対立候補、落下傘候補)として佐藤が立候補し“小泉劇場”の注目選挙区の一つとなったことで岐阜の自民党内が分裂し激しく争った。しかし両者共に当選したため、次回の選挙に向けて佐藤派と野田派の2派に分裂して激しく対立し、その対立が生んだ“しこり”が一連の“騒動”(選挙区をめぐる激しい公認争い)の遠因といわれる。全国に注目された“騒動”は佐藤の国替えまで続いた。[119][120][121][30]

[編集] あらまし

佐藤は2005年の総選挙に際し8月20日、自民党岐阜1区の落下傘候補(刺客)として公表され、その選挙区に強い地盤を持つ野田聖子を落選させるべく立候補した[122]。選挙戦の序盤から候補者の一挙手一投足が過熱に報道され、また佐藤の過去の不倫疑惑が週刊誌から報道されるというネガティブキャンペーンが行われたりして、全国に注目された[123][124]。総選挙は野田の支持母体の自民党岐阜県連及び岐阜市の自民党市議らを二派に分裂せさ、激しく票を争わせた。

総選挙の結果、野田は佐藤を退け5選し、佐藤も比例で復活当選したため、“二虎”が並び立つこととなった。総選挙後、自民党執行部(武部勤幹事長)などが求めた離党勧告に従い、野田ら“郵政造反組”は自民党を離党(この際、佐藤は野田が行った佐藤への選挙妨害を党本部に訴えたとされる)、更に野田を支持・支援した岐阜県連の幹部(県議)らにも離党勧告が行われこれも離党[125]、並びに佐藤は野田支持派の多い自民岐阜市連の役員になろうとしたり[126][127]、岐阜市政に影響力を発揮しようとしたりしたが、これらは佐藤が岐阜1区(岐阜市)で野田の地盤を壊すための措置であるため、野田支持派にはいわゆる“粛清”とみなされ、逆に感情的な対立へと導くものとなった。

総選挙後も岐阜市の自民党内では、選挙区当選した無所属議員(当時)の野田を支持するグループと佐藤を支持するグループとの間に対立が続き[128]、岐阜市内で与謝野馨担当大臣(当時)などが“融和”を、河野太郎などが“非融和”を訴える中央政界を巻き込んだ政治的な対立に向かった[129][31](対立は安倍政権下でも続き、情を取るか路線をとるかで揺れた[130])。ただし、佐藤の岐阜市内の支持派は野田聖子の支持派に比べ(市議会議員の人数でも、支援者の人数でも)少数派で、選挙区奪取には劣勢であった。

自民党執行部が安倍体制に代わると、保守層の再結集のために2006年12月4日に野田聖子を始めとする保守系無所属議員が自民党に復党したが、これに先立って選挙区が重なる刺客組の佐藤などが“復党反対”の自民党国会議員と市民の署名を集め[109]、テレビなどマスメディアを通じ大きく反対したため[131]、政権支持率が急落。佐藤は世論の一部に反発を招き、クレーマーに選挙区調整について脅迫電話を受ける原因となった。(別件だが、野田聖子も河村たかし安住淳両衆院議員らと2005年3月に脅迫を受けたことがある[132]。)

佐藤は野田聖子の復党反対の署名を集めるが、その署名を自民党本部に提出する際、国会の委員会採決を無断で休んだことにより、野田聖子の復党と同じ日(2006年12月4日)に党から処分を受けた[96][33]

野田聖子など郵政造反組(郵政反対組)の復党は“政治家が簡単に信念を変えるのか”とする問題があり、特に野田聖子の場合は反対派の急先鋒であったため、“変節”と呼ばれ、野田は強い批判を浴びた。

野田聖子の復党後も佐藤は党内融和を行わず[133]、12月11日に「岐阜1区の支部長は私」「100%従わないと握手しない」等の発言を記者会見で行い、また野田聖子が党員による予備選挙での公認候補決定をと同月10日に提案したがこれも拒否し、一歩も引かなかった[134][135]。自民党岐阜県連会長の金子一義衆院議員は、佐藤の「野田議員が100%協力してくれれば握手をする」との発言に『それは僭越。『100%私の言うことを聞け』なんて政治家の発言ではない」と批判した[136]

2006年11月、佐藤は犯人を特定せずに「私の支持者宅に動物の死骸を投げ込んだ」「支持者へ中傷ビラがまかれた」とテレビを通じて発言したり[137][138][32]、週刊新潮に江崎洋一郎議員と東京神楽坂で会食をした模様を“不倫デート”と報道されたことを秘書がスケジュールを漏らした(スパイである)と考えたことが報道され[89][90][91]、ますます感情的な対立を深める方向に誘導したりした。

2007年4月、統一地方選(岐阜県議選、岐阜市議選)が行われたが、自民党の中で佐藤派と野田派に分裂した選挙戦となった[139][140]。また野田派県議へのこの県議選での公認を佐藤は「反党行為があった」として拒否し、公認を数ヶ月遅らせるなど確執が表面化した[141][142]

2007年7月、佐藤事務所がインターネット掲示板に野田聖子の悪口を書いたと元秘書により週刊誌に告発された[37][143]

2007年8月10日、野田聖子事務所への放火事件が起き、同時に佐藤を中傷するビラも路上にまかれる事件が発生した。犯人は不明とされる[144][145][146]

2007年10月8日、放火された野田の事務所が再開されたが[147]、その前日の7日に、佐藤の後援会「キラリ岐阜ゆかり会」の設立総会が行われた。[148][33]

佐藤は野田聖子の復党後も次回(第45回)総選挙でも引き続き岐阜1区支部長として公認するよう党本部に求めていたが、福田政権となって地元から選挙区調整を行うよう申し入れがあり、党本部(古賀誠自民党選対委員長)などが調整した[149][150][151]

2008年1月、自民党は独自の世論調査で“頭一つの差”で優勢な野田聖子を同選挙区の公認候補とする方針を決定した[152]。また、佐藤は東京5区への転出がうわさされ始めた[153][154]。これに対して佐藤の後援会役員及び秘書らが街頭で岐阜残留を求める署名を行い対抗し、2万以上の署名が集まった。[155][156](東京5区への転出説は以前にもあった[157][158])。

協議の結果、衆院東京都第5区への転出が決まり[159][160]、同2月8日、党本部内の記者会見[161][162]で野田・佐藤両者が握手を行い[163]、円満解決を演出した[9][164][165][166][167]

[編集] 騒動その後

選挙区の公認争いは決着したが、両者の対立の“しこり”はその後も続き[168][169]、佐藤が“国替え”した後の“立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題”を契機に岐阜市の自民会派は分裂した[170][171][172]。また2009年衆院選では自民党への大逆風の中、佐藤の元支持者らが自民党から離党し[173]、更に佐藤派だった笠原多見子県議会議員が自民党を離反して県議を辞職し民主党に鞍替えして衆院比例区候補となった[174][34]りして保守層が分裂、野田聖子は選挙区で落選(比例復活)の苦杯をなめた。一方、東京5区に“国替え”した佐藤も自民党への大逆風と後援会組織の構築が間に合わなかったこと(同選挙区で議席をもっていた自民党・小杉隆の協力もなかった)により落選した[17]

[編集] 政策

最近は、『国会みずから改革宣言』というスローガンを掲げ[35]共働き、片親世帯、独居老人など、生活に様々な障壁を抱えている家庭に対し、お互いに助け合う地域社会や社会基盤を構築することで、日本の国家的再生に繋がるとし、国会議員の定数削減、バラマキ政治の改革を進め[175]、弱者に温かい政治アジアの繁栄を築く強い経済の構築を目指す[要出典]としている。

[編集] 経済政策維新

『経済政策維新』とは2005年の総選挙でHPに公表した経済政策中心の政策提言[176]のこと(この『経済政策維新』は佐藤がかつて経済産業省の委員会において外資系証券会社のエコノミストとして発言した趣旨[177]でもある)。総選挙向けの政策提言としては、「規制緩和なくして、増税なし」、「サラリーマンと企業の新たな共存方法」等が書かれ、『一般家計向けの「株式投資優遇税制」の再設計が急務』とし、株式から配当を得る家計を推奨した。

この『経済政策維新』で注目された部分は以下である。

ビジネスモデル上、企業の利益最大化の答えが固定費削減である限り、人件費は今後も抑制傾向が続く…(中略)…家計にとり、合理的選択とは、企業活動に貢献する一方で、収益を上げそうな企業の株主にもなり、収益が上った企業から非給与所得という形で株主還元を受けること

佐藤は企業の人件費抑制が続く事を見越して「(サラリーマンは)所得が無いなら、株を買って生活費を補えばよい」という趣旨を2005年総選挙で訴えた。この趣旨はマリー・アントワネットの様な発言と批判されたり、当選後もフジテレビジョン系報道2001で発言し「国会議員の発言ではない」と竹村健一浜矩子にたしなめられる場面もあった[24]。だが佐藤は『家計も自らの所得体系をより柔軟に組み立てて行く必要がある』としている。

[編集] 小国資本主義・日本

『小国資本主義・日本』とは佐藤の処女本『日本経済は大転換できる!』の核となる政策提言。相対的に小国化する日本に向いた国家経済モデルとして、政策的な主力を内需振興策から転換し、新興諸国向けの輸出主導型経済と、それを支えるための積極的な新興経済への対外投資(金融資産の運用効率の向上による資本ストックの維持)を両輪とした「資本化国家」の提唱である。

[編集] 保守主義思想

佐藤は「保守の理念」として「相互扶助と自立の精神で互いに助け合い努力する、日本社会の繁栄の礎ともいえる思想。この保守理念のもと、政治は万民均等機会の提供に腐心し、そこから先一人ひとりの自由と尊厳ある営みにはできるだけ干渉せず、しかし機会に恵まれず助けを必要とする人たちには温かい支援を行う」としている[56]

[編集] その他

[編集] “ゆかりタワー”

JR岐阜駅前の“岐阜シティ・タワー43”のこと。2005年ごろ、佐藤が自民岐阜1区支部長だった頃に中央から補助金(“刺客手当”)を得て建てたとされる駅ビル。岐阜では一部に『(佐藤ゆかりが建てたから)ゆかりタワー』と宣伝されたが、実は駅ビルは佐藤が岐阜に刺客として来る前から既に着工されており、佐藤は中央の補助金カットを取り戻しただけである。[178][179][180]

なお佐藤がPRに作らせたお土産菓子“ゆかりたんの岐阜改革物語”(鮎パイ)[181][182]には当時まだ完成していない駅ビルが描かれた。

[編集] ふるさと税

ふるさと税構想とは2006年5月頃に佐藤がHPで公表した政策提言[183]。佐藤の考えた「ふるさと税」とは“納税番号制度”を用いて納税者の地方税の一部が納税者の“ふるさと”に移譲されるというもの(佐藤は証券業界のエコノミスト出身の議員らしく納税番号制度(納税者番号制度)の導入に積極的な立場)。同年7月1日の“新生銀行リテール5周年感謝セミナー”での講演でも「ふるさと税」について発言し、その内容が7月30日付けの日本経済新聞内の銀行の広告として大きく広告された。この「ふるさと税」は、後の2006年自民党総裁選で谷垣禎一財務大臣(当時)が取り上げたり、河野太郎議員も言及した[184][36]。 但し、ふるさと税構想は、佐藤の選挙区岐阜1区の野党系元候補者の過去の公約と類似点があり、『政策のパクリではないか』と日刊ゲンダイに指摘され[185][37]、佐藤は『エコノミスト時代の発案』としている。また与党内でも最初の提言者が誰かの様々な主張がある。

[編集] 議員以前の活動

  • 外資系証券会社のエコノミストとして活躍(1998-2005)。
    • 2005年総選挙での立候補の肩書きは、外資系証券会社クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券(CSFB)におけるチーフ・エコノミスト兼経済調査部長(同社での在籍は2004年9月から1年間)。[186]
    • 2004年にアメリカの投資情報誌インスティテューショナル・インベスター」誌上の投票で日本経済レポート担当のエコノミストとして第2位となる気鋭のエコノミストだった[187](1位はロバート・フェルドマン)。ほか週刊エコノミストのランキングにも入った。日本経済の動向調査とレポートの仕事[188]をしながら、新聞や経済誌などに寄稿又はインタビューをうけたり[189][190][38]、経済についての講演や対談[191]、また経済番組などにTV出演[187]をした。[192]
    • 『逆張りの佐藤ゆかり』。金融業界でエコノミストたちがほぼ右へならえの弱気予想でいる時に、佐藤一人バブル崩壊の恐れを指摘した。誰もが予想し得なかった日本経済のターニングポイント(転換点)を独自の予想で何度か的中させてマーケットの話題になったため、経済誌では「逆張りの佐藤」と呼ばれたこともあった。[193]
    • 投資銀行(インベストメントバンク)のエコノミストとして日本経済の構造分析や政策提言を行う一方、活躍は証券会社内に留まらず、財務省や経済産業省の委員会の委員、自民党の民間アドバイザーを務め、また地域経済を活性化させる提言を講演(例:2005年7月31日、埼玉県蕨市でのレッズランドについて講演[194])をした。
  • 2004年度に早稲田大学大学院公共経営研究科の兼任講師を務め、獨協大学でも教鞭をとっている[186]。またニューヨーク大学では、博士課程在籍中に、ビジネススクールと経済学部生を対象にミクロ・マクロの経済理論の[要出典]教鞭をとった。

[編集] 人物

  • 現在独身、結婚・離婚歴あり、子供なし[76]。離婚した元夫はテレビ朝日の報道マン。2005年総選挙出馬の際の記者会見では家族構成や婚姻の有無を聞かれたが個人情報として明らかにしないことも。その後、女性雑誌のインタビューで複数回、結婚願望や子育てについて答えた[195][196][76]
  • 2005年の総選挙出馬に際し選挙区が岐阜1区(岐阜市)に決まったことに対して、当初「2月に観光でライトアップの時期の白川郷に行き、岐阜にはまた何度でも来たいと思っていたら、まさか選挙活動に来るなんて、という気持ちです」と急造の落下傘候補のため選挙区と無関係の地名を出した[197][39]が、党本部から注意され新幹線でJR岐阜駅に到着するとホームで「岐阜に嫁ぐ気持ちでやってきました」と言い直した[198][199]
  • 女性誌で、“私なら家政婦を3交代で雇って子育てをする”と語ったことがある[200]。また、母親が多忙で家政婦任せのため、“おふくろの味を覚えてない”とも語っている[201]
  • 世田谷っ子。世田谷で生まれ、代沢小学校を卒業。佐藤栄作元総理とはご近所づきあい[202]
  • 学生時代は“地球人になる”をモットーに国連の職員を目指していた。[203]
  • 中学高校時代、学芸会で主役を演じた際はユーモアで会場を沸かせる[要出典]、教室の花瓶の造花に香水をかける[205]などユーモラスな面もあるが、会社員時代は毎日深夜まで残業し、経済の判断材料を提供するなど研鑽を重ねた。
  • ペットにオウムを35年間も飼っていた。[74]
  • 政局となるとよくテレビに出演するが、エコノミストとしてテレビ初出演は日興時代の経済番組。また、英語でインタビューをすることもある[207][40][41]
  • 週刊誌報道での佐藤は“いじられキャラ”であり、「迷惑しています。もっと政策面を取り上げて欲しい」[95]としている(2006年12月)。

[編集] 家族・縁戚

  • 母親は探偵[208][209][42][43]
  • 家族(両親兄)がいずれも故人であり、相続で都内など複数に住宅・宅地・山林を所有[210][211][212]。株への投資は相続した二銘柄のみ(本人は資産運用に興味無しとコメント)。平塚に賃貸物件(アパート)を所有。[213][214][215][216]
  • 親戚には日本製鋼所社長や、英国大使を務めた後、広島から衆議院議員となった叔父(松本俊一)もいる。また、民主党衆議院議員の横光克彦は外縁の親戚(横光夫人が従姉妹)。

[編集] 略歴

[編集] 所属団体

[編集] 著作

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 脚注

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  44. ^ 『小杉元文相の妻が自己破産、怪しげな投資話に次々』 ZAKZAK 2006年12月13日
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最終更新 2009年11月21日 (土) 16:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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