佐藤元彦
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 熊本県熊本市 |
| 生年月日 | 1943年1月1日(66歳) |
| 身長 体重 |
179cm 70kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1965年 ドラフト7位 |
| 初出場 | 1966年 |
| 最終出場 | 1972年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。
[編集] 経歴
熊本高校時代はオーバースローだったが、慶應義塾大学への進学と同時にサイドスローに転向。当時の慶應大は投手王国であったため、台頭したのは4年秋だった。
大学卒業後、サッポロビールを経て、1965年暮れにドラフト7位指名で東京オリオンズに入団。その後、1972年に新井昌則内野手との交換トレードで大洋ホエールズへ移籍し、同年オフに引退。1968年にはオールスターゲームにも出場している。武器はカーブ、チェンジアップ、威力のあるシュート。
1967年6月30日、東京スタジアムでの東映フライヤーズ戦では1回無死から3番手投手として登板、9回まで無失点で切り抜けて勝利した。先発鈴木隆・2番手木樽正明が無失点ならば「交代完了投手の完封勝利」だったが、木樽が降板するまでに1点を失っていたのでならなかった(この記録は1972年5月9日に阪神タイガース・上田二朗が、大洋ホエールズ戦で達成している)。
また1971年5月3日の同カードの10回表には、作道烝・大下剛史・大橋穣に連続本塁打を浴びて降板。リリーフに立った佐藤政夫も続く張本勲・大杉勝男に本塁打を浴び、5者連続本塁打の日本記録を献上することとなった。
ミスタープロ野球・長嶋茂雄(讀賣巨人軍)とは、ロッテオリオンズ時代の1970年の巨人軍との日本シリーズでは佐藤の登板時に長嶋に打席が回らなかったため対戦できなかったが、ホエールズに移籍後の1972年に川崎球場での巨人軍戦で実現した。しかしベンチの指示は「敬遠」であったため、佐藤はそれに従って長嶋を歩かせた。その後長嶋と対戦することはなく、佐藤の対長嶋対戦成績は1打席0打数0安打1故意四球という結果に終わってしまった。このエピソードは、約四半世紀後の朝日放送のスポーツドキュメンタリー番組『キラリ(ナビゲーター:中村雅俊)』で“たった一度の長嶋茂雄”として取り上げられ、佐藤本人も証言者として出演した。
[編集] 年度別投手成績
| 年度 | チーム | 背番 号 |
登板 | 完投 | 完封 | 無四 球 |
勝利 | 敗北 | 投球回 | 被安打 | 被本 塁打 |
与四 死球 |
三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 東京 | 17 | 10 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 30 | 29 | 3 | 8 | 11 | 12 | 3.60 |
| 1967年 | 45 | 2 | 1 | 0 | 8 | 8 | 167.2 | 137 | 13 | 59 | 85 | 52 | 2.79(13) | ||
| 1968年 | 48 | 9 | 1 | 1 | 12 | 13 | 207 | 207 | 22 | 80 | 88 | 85 | 3.70(17) | ||
| 1969年 | ロッテ | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 17.1 | 26 | 3 | 11 | 11 | 16 | 8.47 | |
| 1970年 | 31 | 1 | 1 | 0 | 5 | 5 | 93 | 94 | 10 | 27 | 44 | 35 | 3.39 | ||
| 1971年 | 24 | 1 | 0 | 0 | 3 | 4 | 61.1 | 67 | 14 | 19 | 33 | 40 | 5.90 | ||
| 1972年 | 大洋 | 16 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 16 | 23 | 4 | 4 | 7 | 14 | 7.88 |
| 通算成績 | 179 | 14 | 2 | 1 | 30 | 35 | 592.1 | 583 | 69 | 208 | 279 | 254 | 3.86 | ||
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年7月28日 (火) 13:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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