佐藤充
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| 中日ドラゴンズ #70 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 埼玉県坂戸市 |
| 生年月日 | 1978年4月29日(31歳) |
| 身長 体重 |
190cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2004年5月3日 |
| 年俸 | 2200万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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佐藤 充(さとう みつる、1978年4月29日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称は、タレントのKABA.ちゃんに似ていることから「カバちゃん」。妻は中部日本放送元アナウンサー(現・広報部)の占部沙矢香。
目次 |
[編集] プレイスタイル
入団後に右ひじを手術してひじに負担をかけないフォームを作る必要性を痛感、二軍の本拠地・ナゴヤ球場の動作解析室で川上憲伸らのフォームのビデオを徹底的に研究し、現在のひじを一度高く上げるフォームにたどり着いた。
持ち球はフォークとスライダー[1]、投球比率は低いもののカーブやシュートも投げる。
ランナーを出してからの粘り強い投球が特徴で、特にセットに入ってからの投球は安定感がある。また細身だがスタミナも抜群であり、典型的な先発完投型の投手といえる。
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
埼玉県立坂戸西高等学校から日本体育大学に進む。日体大ではアマ日本代表に選ばれ、ドラフト獲得対象選手としても名前が挙がったが、指名されることはなかった。
大学卒業後は日本生命に入社。2002年の第29回社会人野球日本選手権では日本生命の優勝に貢献して最優秀選手を受賞したが、この時もドラフト会議での指名はなかった。翌2003年のドラフトで中日ドラゴンズから4巡目指名を受けて入団。
[編集] プロ入り後
ルーキーイヤーの2004年は、2試合に登板したがプロ初勝利はなかった。翌2005年はプロ初勝利を挙げる。シーズンは3試合に登板。
2006年は[2]セ・パ交流戦で最多勝(5勝)・最優秀防御率(0.91)で投手タイトル二冠王に輝き、日本生命賞をソフトバンクの松中信彦と共に受賞した。球団タイ記録となる5試合連続完投勝利を記録(うち2回が完封)、6月の月間MVPも受賞した。連勝は8まで伸ばし、前半戦は防御率1点台と圧倒的な数字を残し、投手陣の柱として活躍した。しかし8月に連勝が止まると、これ以降5点台の防御率で1勝しか上積みできず、最後は3連敗で惜しくも10勝に届かないままシーズン終了。結局新人王のタイトルは広島の梵英心に譲る結果となった。
更なる飛躍を期待された2007年は故障に見舞われたうえ2軍でも防御率5点台と打ち込まれてしまい、1軍登板はわずか1試合に止まった。この年の契約更改では上限を超える減俸を受け入れた。
2008年二軍で大幅な復活を見せ、7勝4敗、防御率2.64、59奪三振でウェスタン・リーグ最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振の4冠に輝いた。7勝のうち4勝は完封での勝利で、四球は9イニングあたり1.6個と少なかった。一軍では8月7日のヤクルト戦で7回2/3を1失点で2年ぶりの白星を挙げた。
2009年はファームで開幕投手を務め、6勝1敗、防御率2.56と二年続けて安定感のあるピッチングを見せたものの、右肘の手術の影響でプロ入り初の1軍未出場に終わった。
[編集] 人物
座右の銘は『投魂』。これは日本生命の投手コーチ(現・監督)の杉浦正則からプロ入りに際してもらった言葉で、「お前も俺と一緒で、技術じゃなく気持ちで投げるタイプ。この言葉をもっていけ。そしてプロで思う存分暴れてこい」と、自らの銘を佐藤に授けた。
埼玉県坂戸市出身で、ファンクラブに加入していたほどの熱血西武ファン(開幕戦は外野スタンドで踊っていたという)。
その西武を相手に2006年5月25日、プロ初完投初完封を成し遂げる。以降完投型の先発投手として無傷の8連勝を挙げた。[3]
捕手の小田幸平と仲がいい。
2005年9月19日甲子園での阪神戦において、初先発初勝利を挙げる(そのときプロ初ヒットを放っている。初ヒットのボールはそのときにショートを守っていた鳥谷敬から中日ベンチへ直接投げられた。鳥谷自身も、プロ初ヒット時にはそのボールを渡されている)。
実はコンタクトを使用しており、目が悪い(週刊ベースボール2006年7月17日号より)。
趣味は愛車ポルシェ・カイエンに乗って気分転換すること。2006年9月3日の巨人戦でKOされた後、気分転換で高速道路を少し回ろうと愛車を乗り回していたら、勢いで名神高速道路に乗ってしまい、京都まで行ってしまった。
岩村明憲(タンパベイ・レイズ)が苦手だった。プロ初被安打(しかも初被本塁打で初失点だった)をヤクルト時代の岩村から食らって以来、9打数5安打3本塁打と打ち込まれた。その岩村が2007年からメジャーに挑戦するにあたり、佐藤はトークショーで「デビルレイズに移籍してくれて助かる。」と発言していた。
本人いわく「僕の人生設計では27で結婚するはずだった」らしい(その後、2007年10月に中部日本放送アナウンサーの占部沙矢香と結婚)。
上述の通り、容姿が人気振付師のKABA.ちゃんに似ているため、テレビやラジオの実況担当者や解説者からも彼が登場するたびに必ず「カバちゃん」と呼ばれている。各スポーツ紙でも彼の記事には必ずといっていいほど苗字の「佐藤」の前に「カバちゃん」という文字が大きく表記される。また、2006年6月21日には中日スポーツの一面で本物のKABA.ちゃんからのコメントが掲載され、「私も(佐藤が自分に)似ていると思っていた」と本人直々に似ていることを認められ、「一度会ってお話がしたい。今後の健闘を祈ります」とエールを贈られた。(この愛称は佐藤自身も気に入っていてまんざらでもない様子だったが、[4]最近は記者に対して「自分でも似てるとは思いますけど、オカマキャラというのはちょっと…」とこぼしたことから、現在中日スポーツでは佐藤に配慮して「カバちゃん」という表記を行なっていない。[5])
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 4.0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 0.50 |
| 2005 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 71 | 16.0 | 17 | 2 | 6 | 1 | 0 | 11 | 1 | 0 | 10 | 10 | 5.63 | 1.44 | |
| 2006 | 19 | 19 | 6 | 2 | 1 | 9 | 4 | 0 | 0 | .692 | 529 | 129.0 | 134 | 9 | 24 | 2 | 4 | 83 | 1 | 0 | 42 | 38 | 2.65 | 1.22 | |
| 2007 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 19 | 4.1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4.15 | 1.85 | |
| 2008 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 169 | 40.2 | 47 | 4 | 7 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 20 | 20 | 4.43 | 1.33 | |
| 通算:5年 | 33 | 30 | 6 | 2 | 1 | 11 | 10 | 0 | 0 | .524 | 802 | 194.0 | 206 | 18 | 39 | 3 | 4 | 124 | 4 | 0 | 76 | 72 | 3.34 | 1.26 | |
- 2009年度シーズン終了時
[編集] 主な表彰・タイトル
アマ時代
- 第29回社会人野球日本選手権最優秀選手賞(2002年)
プロ時代
- 月間MVP:1回(2006年6月)
- 日本生命賞(交流戦優秀選手賞):1回(2006年)
[編集] 日本代表キャリア
- 四カ国対抗戦(2000年)
- 第35回IBAFワールドカップ日本代表(2003年)
[編集] 背番号
- 16(2004年 - 2009年)
- 70(2010年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 西武ライオンズ・土井正博ヘッドコーチ曰く「フォークかスライダーか見分けがつかないぐらいにボールが手元で動く」らしい。
- ^ 2006年は入団3年目ではあるが、登板機会がほとんどなかったため新人王の資格を有していた。
- ^ この前後に規定投球回数に到達したため、一時防御率部門で当時1位だった川上憲伸を抜き首位に立ち、中日投手陣の柱の一人となった。
ただし、登板のたびに防御率1位になっては試合数の関係で規定投球回に達せず、新聞の防御率の欄から名前が消えるのを何回も繰り返していた。 - ^ 2006年のナゴヤ球場における秋季キャンプ4日目において、観客席から「カバちゃんて呼ばれるのイヤなの?」といわれて、「イヤではない」というジェスチャーで返していた(2006年の秋季キャンプはナゴヤ球場でのグランド練習をファンが自由に見学することができるように、内野の観客席を開放していた)。
- ^ 本人いわく、「ただ単に『カバ』と呼び捨てで呼ぶのはやめてほしい」とのこと(ファンの子供から「あ、カバだ!」とかよく言われてへこんでいるらしい)。
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