佐賀県立佐賀北高等学校
佐賀県立佐賀北高等学校の最新ニュースをまとめて検索!
| 国公私立の別 | 公立学校(県立) |
|---|---|
| 設置者 | 佐賀県(教育委員会) |
| 学区 | 中部学区 |
| 校訓 | 挑戦 雄心 創造 |
| 設立年月日 | 1963年4月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 通信制課程 |
| 単位制・学年制 | 単位制 |
| 設置学科 | 全日制普通科 通信制普通科、被服科 |
| 学科内専門コース | 全日制普通科芸術コース (音楽科、美術科、書道科) |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 41102H |
| 所在地 | 〒840-0851 |
|
佐賀県佐賀市天祐2丁目6番1号
北緯33度15分28.5秒東経130度16分43.9秒 |
|
| 電話番号 | 0952-26-3211(全日制) 0952-23-2203(通信制) |
| FAX番号 | 0952-25-7042(全日制) 0952-29-4090(通信制) |
| 外部リンク | 全日制公式サイト 通信制公式サイト |
佐賀県立佐賀北高等学校(さがけんりつさがきたこうとうがっこう)は、佐賀県佐賀市に所在する県立高等学校。北高の通称で呼ばれている。
目次 |
[編集] 概要
1963年に県立佐賀高校が3校に分離し、佐賀高校北校舎を母体に発足した本校は市内西部の住宅街の中に囲まれた閑静な地区に位置している。設立当時はまだ田園が四方に広がる郊外にあり、市中心部の城内地区で佐賀高校の伝統を色濃く受け継いだ佐賀西高校に比べ、あまり伝統や大学受験に捕われず比較的のんびりした自由な校風を醸成した(佐賀高校から受け継ぐ伝統は制服や、秋に開かれる北高祭の前夜祭であるファイヤーストームなどがある)。芸術コースや単位制の導入といった独自色を打ち出しており、スポーツ競技でも全国を舞台に活躍する事例が増えるなど、文武両面で勢いがある。
1990年代からは、同窓会館館長だった糸山芳則がスポーツ大会などに学生服姿で応援に駆けつけ「粘れ、気張れ、頑張れ」と唱える三バレ精神(三バレ提唱の祖は11代校長の佐久間穣)が有名となり、生徒の精神的支柱となった。糸山は2006年に健康面の理由で館長職を退き、出身者からは退任を惜しむ声が新聞紙面やmixiのコミュニティなどで相次いだ。
全日制の生徒数は佐高分離後も県内最多が続き、おおむね1学年13クラス600人前後、致遠館高校開校以後は10ないし9クラス。少子化の影響で2004年度以降入学は8クラスとなった。1学年の定員ベースでは佐賀西高校・佐賀東高校と同じ320人で現在も県内最多である。生徒の男女比率は例年女子が上回っている。
卒業後は佐賀県内にとどまったり、県外に進学後社会人になって帰郷する人が多く、佐賀県庁、県教職、県警、地元金融機関やマスコミに出身者が多数存在する。
佐賀西高校の定時制が廃止されてからの一時期、通信制課程が設けられている関係で、NHK学園高校の佐賀県内におけるスクーリング協力校として指定されていた時期があり、この学校で行われるNHK学園高校入学式・卒業式の様子がNHKのローカルニュースで放送されていた。しかし、現在は在校生の減少からNHK側からスクーリング協力校の指定を解除されている。NHK学園高校が全国で行っている説明会も、佐賀県関係は佐賀放送局ではなく、福岡放送局へ行くよう指定されている。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
旧制佐賀中学校の流れを汲んで戦後発足した男女共学の佐賀県立佐賀高等学校が60クラス3000人と国内最大のマンモス校になり、1961年に佐賀県教育委員会が佐賀高校の分離を表明した。旧制佐中以来の伝統を重んじる佐賀高OBをはじめ、佐賀高等女学校、成美高の各関連高校同窓会、婦人会などは、男女別学や女子校新設などによる分離を要望。佐賀県高等学校教職員組合は別学に反対したほか、学校の格差拡大が懸念される県教委案の自由志願制ではなく総合選抜による均質分離を求めるなど議論が続いた。翌62年、佐賀高等学校職員会議は北校舎を女子校、西校舎を男子校、新設の第3高校を共学とする案を過半数で決めて佐賀県教委に要望。北校舎の女子校化が有力視されていたが、県教委は同年11月、男女共学と自由志願での分離を決め、63年に佐賀北高等学校(旧北校舎)、佐賀西高等学校(旧西校舎)、佐賀東高等学校(新設校)の3校がスタートした。
[編集] 年表
[編集] 佐賀県立佐賀高等学校
- 1949年 佐賀第一高等学校(旧佐賀中学校)、佐賀第二高等学校(旧佐賀高等女学校)、成美高等学校(旧成美高等女学校)が統合し佐賀県立佐賀高等学校が発足。
- 1956年 佐賀市上多布施町中折(現在の佐賀市天祐)に佐賀高等学校北校舎が完成。鉄筋3階建て普通教室36教室(4574平方メートル)
- 1957年 新築北校舎本館に第1学年生徒1000人収容。
- 1958年 北校舎に特別教室第1棟と渡り廊下(1693平方メートル)、特別教室第2棟と渡り廊下(1587平方メートル)完工。
- 1960年 北校舎に管理棟(1531平方メートル)完工。
- 1961年 佐賀県教育委員会が佐賀高校分離を表明。男女別学の試案をまとめる。
- 1962年 北校舎に体育館(1356平方メートル)竣工。弓道場養神館北校舎敷地に移築。佐高分離問題で議論が白熱。佐賀県教育委員会は佐賀高等学校の北校舎と西校舎(佐賀市城内)にそれぞれ佐賀北高等学校、佐賀西高等学校を設置し、佐賀市北川副町に新設する佐賀東高等学校とともに男女共学、自由志願とすることを決定。
[編集] 佐賀県立佐賀北高等学校
- 1963年 佐賀県立佐賀高等学校より佐賀北、佐賀西、佐賀東が分離発足。 佐賀北高等学校第1回生645人が入学。佐賀高等学校は2年生の男子全員と女子の一部、3年生の女子の大半が校舎を共用。佐賀高等学校通信制は廃止され、佐賀北高通信制と併合。
- 1964年 入学生689人。佐賀高等学校は3年生女子11クラスが校舎を共用。格技体育館「雄心館」竣工。校旗制定。
- 1965年 入学生689人。佐賀北高等学校の第1、2、3学年がそろい、佐賀高等学校は歴史を閉じる。50メートルプール、音楽教室完工。
- 1966年 校歌(高田保馬作詞、豊増昇作曲)制定。
- 1967年 食堂兼同窓会館「青雲館」完工。
- 1970年 指導別館完工。学校所在地表示変更により佐賀市上多布施町中折三本黒木1310番地から佐賀市天祐2丁目6番1号となる。
- 1973年 北高創立10周年記念式典挙行。
- 1979年 北高会館竣工(3階建て781.58平方メートル)。
- 1981年 特別教室棟改築竣工(4階建て3357平方メートル)。体育部室改築竣工(160平方メートル)。
- 1982年 テニスコート(3面)竣工。北高創立20周年記念式典挙行。
- 1985年 推薦入試を開始。
- 1988年 普通科内に芸術コースを新設。 青雲館解体。
- 1989年 新音楽棟(592平方メートル)完工。旧音楽教室取り壊し。普通教室棟西側を大規模改修。全校舎が土足から上履きに変わる。
- 1990年 普通教室棟東側を大規模改修。
- 1992年 美術倉庫増築。米グレンズフォールズ高校と姉妹校締結。北高創立30周年記念式典挙行。校訓制定。
- 1993年 佐賀県教育委員会が推薦入試の本格実施を承認(募集人員78人)。
- 1995年 管理棟(3階建て2,185平方メートル)改築竣工、旧管理棟解体。佐賀県教育委員会が単位制の導入を承認。
- 1996年 全日制・通信制とも、1996年度新入生より単位制となる。旧体育館北側に新体育館(1,350平方メートル)と柔剣道場(497平方メートル)改築竣工。旧体育館、旧柔剣道場解体。部室棟(2階建て、156平方メートル)改築竣工。テニスコート(4面)、バレーコート(3面)、バスケットコート(3面)竣工。
- 1997年 芸術コース10周年記念式典挙行。
- 2000年 特別教室棟パラペット改修工事。教育用コンピュータ(CAI)設置導入。学校情報ネットワークシステム(校内LAN)導入。
- 2001年 グラウンド整備工事。バックネット改修工事。
- 2005年 CAI更新。
- 2006年 北高会館食堂を改装。
[編集] 教育方針
自主・自立を重んじ、知性を高め人格の完成をめざす。
- 心身ともにバランスのとれた能力の伸長を図り、個性を磨く。
- 自由と責任を両立させて、明るく、思いやりのある学校生活を作る。
- 社会の変化に対応できる柔軟性、創造性、国際性を身につける。
[編集] 校章
楠の若葉に2つの実をデザイン。形は縦に細長く萌黄色を当てており、若々しくはつらつとしたさまをイメージしている。高柳種行作。楠の緑はスクールカラーでもある。
[編集] 校歌
高田保馬作詞、豊増昇作曲で全4番。校名は1番のラスト1カ所のみ、フルネームでなく「北高校」と出る。卒業式など節目節目に歌われるが、秋に開かれる北高祭の前夜祭であるファイヤーストームでも3番までしか歌わない。このため、平和への願いをこめた歌詞が秀逸と一部で評価の高い4番を歌える現役生徒やOBはほとんどいない。
校歌は開校からおよそ3年間存在せず、修学旅行でバスガイトから校歌を歌ってみるよう促された生徒たちが苦笑いしたというエピソードもある。校歌発表は1966年2月10日で第1期生の卒業式のちょうど1週間前だった。
校歌とは別に開校年の1963年12月に発表された北高賛歌(富永みさを作詞、小出芳憲作曲・全4番)と佐賀北高逍遥歌(富永みさを作詞、立石直之作曲・全4番)があり、男子はストームで必須の歌である。(校歌、賛歌、逍遥歌の歌詞)
[編集] 歴代校長
- 永井茂雄(1963-)
- 高添泰巖(1968-)
- 坂田力三(1972-)
- 植松泰勇(1976-)
- 西太郎(1978-)
- 境正美(1980-)
- 田原碩孔(1982-) 県教職退職後、弘学館高等学校校長。1999年春の勲五等双光旭日章
- 脇山正大(1985-)
- 野田巖(1987-) 2006年春の正六位瑞宝小綬章
- 西山武人(1989-)
- 佐久間穣(1992-) 現職時代に北高「三バレ」エールを最初に唱えた
- 西牟田勲(1996-)
- 田中祐嗣(1998-)
- 井上正一郎(1999-) 2002年度-2005年度は佐賀県体育協会専務理事
- 河東英明(2001-) 現在は唐津市相知町で住職を務める
- 川崎湧三(2003-) 2007年度から佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校校長
- 山田一彦(2005-) 野球部部長も経験
- 山崎俊介(2007-)
- 重永哲郎(2009-)
[編集] 学校行事(2007年度)
[編集] 全日制
- 4月 入学式、開学記念式
- 5月 前期考査
- 6月 後期考査
- 7月 クラスマッチ
- 9月 北高祭(前夜祭、文化祭、体育祭)
- 10月 前期考査
- 11月 後期考査
- 12月 クラスマッチ
- 1月 修学旅行(2年生)
- 2月 学年末考査
- 3月 卒業式、クラスマッチ
部活動以外で学年間の干渉が通常ほとんどない中、毎年秋に開かれる北高祭(前夜祭、文化祭、体育祭)は準備や練習を通じて先輩・後輩が交流を深める機会となる。佐賀高校からの伝統を受け継ぐ前夜祭(ファイヤーストーム)は女子禁制で、開学当初は女子を含めた早朝ストームが行われたこともある。
修学旅行は開学年度から男女で関東や関西方面へ実施していたが1969年度以降は女子単独での実施となり、男子は大分の久住山での研修合宿が恒例となった。女子単独の理由は「女性は結婚して家庭に入るから、今のうちに見聞を広めさせておく」という趣旨だったが、1990年代初めごろ朝日新聞紙上(西部本社発行の夕刊など社会面)で時代錯誤な慣習として本校を中心に複数の県立高校がやり玉に挙げられ、その後は男女とも再び修学旅行を実施している。女子のみのころは京都・奈良が定番で、1990年代には中国にまで行くようになった。アメリカ同時多発テロ事件が発生した2001年以降は東京など国内旅行に戻っている[1]。
以前は春に学年ごとに遊園地や公園を目的地とした行楽的な色合いの強い日帰り旅行を実施。1月には1、2年生全員参加で学校周辺を走る耐寒訓練が行われていた。
[編集] 進学状況
卒業生を含む国公立大学合格者は2期生卒業年の1967年から5年間は70人前後で、地元佐賀大学合格者は30人前後と佐賀県内で2番目の多さだった。国公立大合格者はその後下降線をたどり、80年代には30人ほどまで落ち込んだが、近年は100人近くまで合格者を伸ばしている。一方、開学時に女子の過半数を占めていた就職希望者は減少をたどり、就職者は現在10人程度となっている。
[編集] 生徒会活動・部活動など
部活動は盛んで、スポーツは男子バスケットボール、女子バレーボールなどが全国的に有名。全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では、1965年に地元の佐賀県体育館(現・市村記念体育館)で開催された剣道(男子団体)で全国制覇を果たしたほか、99年の陸上男子100メートルで当時2年生の北村和也が10秒60で優勝。陸上は2000年の国民体育大会でも少年男子B400メートルで原俊一が48秒36で優勝している。同年は野球部が全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園、82回大会)に初出場したが、初戦の2回戦で敗れ甲子園初勝利はならなかった。全国高等学校サッカー選手権大会は過去5度出場。文化系では「全日本高校書道コンクール」の団体部門で第1回大会から現在まで13連覇中と他を圧倒している。吹奏楽も95年より07年まで13年連続で県代表として九州吹奏楽コンクールに出場している。2007年野球部は、7年ぶり2度目の夏の甲子園(89回大会)出場を果たし、初優勝を果たした。11年ぶりとなる公立高校優勝で、佐賀県勢としては佐賀商以来13年ぶり。同年の地元佐賀県で開催のインターハイ「2007青春・佐賀総体」には、団体でバスケットボール男女、体操男女、バレーボール女子のほか、個人で陸上、柔道、体操、ボクシングの各競技に選手が県代表となっている。
[編集] 全日制
[編集] 体育部
|
|
|
[編集] 文化部
|
|
[編集] 同好会
|
[編集] 通信制
[編集] 体育部
|
[編集] 文化部
|
[編集] 制服
男女とも開学時からほぼ変わっていない。
[編集] 男子
- 冬服 黒詰め襟学生服(学ラン)。校章入り金ボタン5個、袖ボタン2個、カラーを着用。襟は校章あり・学年章なし。以前は襟用の校章はなく、校章と白線2本入りの制帽が義務付けられていたが1980年代には誰も着用しなくなった。
- 夏服 半袖白の開襟シャツ。左胸ポケット上部に青で「佐賀北高」の刺繍(昔はアルファベット筆記体でKITAKO表記)
[編集] 女子
- 冬服 テーラーカラージャケット。校章入りボタン4個
- 合服 ウエストキットと白ブラウス
- 夏服 白のオーバーブラウスにネクタイ(平ボウタイ)
ジャケット、ウエストキット、ネクタイはそれぞれ濃紺。いずれも同色のひだスカートを着用する。校章を合服の左胸、または冬服の左ラペル下部に取り付ける。夏服はネクタイのループに校章があしらわれている。制帽はないが草創期には夏の麦わら帽子があった。
女子の合服と夏服は前身の佐賀高等学校と同じデザイン。佐賀西高等学校も基本は同じだが夏服のネクタイは青く、冬服のボタンは6個と微妙に違う。かつては佐賀東高等学校も北高や西高と同じタイプで、北高とは冬服に背縫いのある点が違っていた。
[編集] 交通
通学手段は自転車か徒歩がほとんどだが、学区拡大などで遠方からのJR通学者も増えた。
[編集] 著名な関係者
[編集] 出身者
- 古田求(脚本家、1966年卒=1回生) - 西遊記シリーズ(日本テレビ・1978年-)、忠臣蔵(テレビ朝日・2004年)、映画「バルトの楽園」(2006年)など担当。1994年には忠臣蔵外伝四谷怪談で日本アカデミー脚本賞を受賞。2008年8月、脚本を手がけたラストゲーム・最後の早慶戦が全国ロードショー公開される。
- 服部大次郎(洋画家、1966年卒) - 代表作に水彩画「記憶の風景」シリーズなど
- 富吉賢太郎(ジャーナリスト・コラムニスト、1968年卒=3回生) - 佐賀新聞社論説委員長。佐賀新聞1面コラム「有明抄」の(賢)氏。
- 木原慶吾(ミュージシャン、1970年卒=5回生) - サウンドスピリッツ代表。佐賀を拠点に歌手やラジオパーソナリティーとして活動中。
- 島善高(法制史学者、1971年卒=6回生) - 早稲田大学社会科学総合学術院教授。著書に『近代皇室制度の形成』など。
- 西村純二(アニメーション監督、1974年卒=9回生) - 代表作にプロゴルファー猿(テレビ朝日・1985年-1988年)、らんま1/2 熱闘編(フジテレビ・1989年-1992年)、今日からマ王!(NHK・2004年-2009年)、true tears(UHF局・2008年)など
- 百崎敏克(高校教諭、1975年卒=10回生) - 教科は国語。2004年度に佐賀北高着任。硬式野球部監督も務め、2007年に全国高等学校野球選手権大会で母校を優勝に導く。
- 岸川勝也(元プロ野球選手、1984年卒=19回生) - 現役時代は南海ホークス(のちに福岡ダイエーホークス)-読売ジャイアンツ-横浜ベイスターズで主砲、代打の切り札として活躍。現在は読売ジャイアンツ2軍打撃コーチ。
- 八谷和彦(メディアアーティスト、1985年卒=20回生) - メールソフト「ポストペット」の開発者。ペットワークス代表。
- 若林暁生(社会人野球指導者、1991年卒=26回生) - 九州三菱自動車硬式野球部監督
- 村岡格(アナウンサー、1993年卒=28回生) - STSサガテレビ報道制作部主任。
- 夏秋佳代子(女優、1994年卒=29回生) - テレビ、映画、CM、舞台などで活動中。
- 田中拡邦(ミュージシャン、1998年卒=33回生) - MAMALAID RAGのギター&ボーカル。
- 中越典子(女優、1998年卒) - 2003年NHK連続テレビ小説「こころ」で主演。他「おとなの夏休み」(日本テレビ・2005年)など出演。
- 中野洋司(プロサッカー選手、2002年卒=37回生) - Jリーグ1部アルビレックス新潟のDF。高校時代の2001年にU-18日本代表に選ばれたことがある。
- 諸石幸生(音楽評論家、1967年卒=2回生)-フリーの音楽評論家、ジャーナリスト
- 辻利恵(ピアニスト、1994年卒=29回生)-米国のR&B歌手ビヨンセの世界ツアーにバックバンド(キーボード)として参加。
- ノーマ(モデル、2000年卒)NHK教育TVハングル講座に出演中(2008年9月現在)
- 大野伸介(映画監督、1988年卒)今村昌平、北野武などの助監督を経て、2008年シャカリキで監督デビュー。
[編集] エピソード・伝説など
野球部で屈指の強打者として後にプロ入りした岸川勝也は、在校中に校内練習で打球を頻繁に校外に飛ばし、道向かいのマンションや商店をたびたび直撃していたため、学校グラウンドに高さ10メートルの外野ネットが設置された。生徒や教職員の間では設置当初から岸川ネットと呼ばれ、ネットが6メートル高くなった今もその名を残す[2]。
2007年の夏の甲子園大会決勝の応援でアルプススタンドに駆けつけた中越典子は、TBSテレビ系列で同年9月22日に放送された「チューボーですよ!」にゲスト出演した際に母校の応援の振り付けなどを紹介した。
[編集] 教職員
- 溝邉ゆかり(新体操部監督・シドニー五輪日本代表、2004年から教諭) - 2000年シドニーオリンピック新体操全日本チームの主将。佐賀女子高等学校出身。
- 百崎敏克 (2004年から教諭)- 出身者の項目を参照
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 『第89回全国高校野球選手権大会 佐賀北 優勝記念特別号』(ベースボール・マガジン社)
- 『佐賀北高校熱闘写真グラフ「甲子園に吹いた感動の風」』(佐賀新聞社)
- 『がばい伝説 佐賀北高初優勝』(西日本新聞社)
- 『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)
[編集] 外部リンク
この項目は、ウィキプロジェクト/学校の「高等学校テンプレート」を使用しています。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年11月25日 (水) 21:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【佐賀県立佐賀北高等学校】変更履歴





