佐賀県立唐津東中学校・高等学校
佐賀県立唐津東中学校・高等学校の最新ニュースをまとめて検索!
![]() |
|
| 過去の名称 | 佐賀縣尋常中學校唐津分校 佐賀縣立第三中學校 佐賀縣立唐津中學校 佐賀県立唐津第一高等学校 佐賀県立唐津高等学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 佐賀県教育委員会 |
| 学区 | 北部学区 |
| 校訓 | 光 力 望 |
| 設立年月日 | 1949年4月1日(高等学校) 2005年12月1日(中学校) |
| 創立記念日 | 10月16日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 中高一貫教育 | 併設型 (2006年より実施) |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 高校コード | 41104D |
| 所在地 | 〒847-0022 |
|
佐賀県唐津市鏡3164番地1
|
|
| 電話番号 | 0955-77-1984 |
| FAX番号 | 0955-77-6471 |
| 外部リンク | 高校公式サイト 中学校公式サイト |
佐賀県立唐津東中学校・高等学校(さがけんりつからつひがしちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Saga Prefectural Karatsuhigashi Junior / Senior High School)は、佐賀県唐津市に所在する県立中学校・高等学校。
目次 |
[編集] 概要
ファイル:Karatsu east old.jpg ファイル:KARATSU HIGASHI 091007.jpg 1899年設立の佐賀県立第三中学校(旧制、後の唐津中学校)を前身とする佐賀県北部学区唯一の県立進学校。2006年に併設型中高一貫校に移行、2007年に現在地へ移転。2009年には創立110周年を迎えた。東校、ヒガシの通称で呼ばれる。
[編集] 校訓
- 『光 力 望』
- 天と諸子の心には光がみなぎり 地と諸子の五体には力があふれ
- 創造の一路は諸子と祖国と世界とをのせ 坦として無限のかなた望の門につづいている
1999年(平成11年)に創立100周年を記念して制定された。旧制唐津中学第六代校長下村湖人作詞による現校歌(天日かがやき)と、同じく旧制唐津中学の校歌(宇宙のみ生命)及び『校歌作意の文』から採った。
[編集] 校名の由来
1949年、新制高校移行の過渡期の終焉に伴い、旧制唐津中学を前身とする唐津一高(男子校)と唐津高女を前身とする唐津二高(女子校)が統合され男女共学の唐津高校となったが、校地は一高跡地の東校舎と二高跡地の西校舎がそのまま使われていた。1956年に唐津高校が分離され、東校舎がそのまま唐津東高校、西校舎が唐津西高校となった。元来前身として旧唐津高女も数えるのが正しいが、結果的には双方をそのまま新制高校に切り替え共学化したものと変わらなかったため、前身に唐津高女は数えられておらず、唐津西高の前身にも唐津中学は数えられていない。
1975年に西高が東高と相対的に南に位置する唐津市町田の丘陵地に移転したが、2007年に東高が西高と相対的に東に位置する唐津市鏡の東唐津駅至近に移転したことにより、再び名実ともに唐津東となった。
[編集] 特色
[編集] 鶴城
旧唐津藩の藩校であった英学校耐恒寮以来、2007年(平成19年)まで本校は唐津城二ノ丸御殿跡に校地を置いていた。そのため唐津城の模擬天守も至近距離にあり、校内随所からその雄姿が確認でき、校内に唐津城の石垣があった。また唐津城は全国的にも珍しく堀の一部が海という城で、海岸側校舎からは唐津湾が一望でき、夏になると部活動帰りの生徒が近くの海水浴場で行われている花火大会を眺めるという情景がみられた。唐津城の東西には松林が広がっており(東側が松浦川と満島を挟んで虹の松原)、その姿が翼を広げた鶴に似ていることから舞鶴城などと呼ばれ、後に東高も鶴城(かくじょう)と呼ばれるようになった。
しかし城下の校地は大変手狭であったため、1991年(平成3年)2月の振興会新聞で振興会長が校舎移転を中心に据えた記事を掲載し、これ以降校舎移転の必要性が徐々に議論されるようになった。同年には校舎改築促進実行委員会が設立され、中高一貫教育や理数科の設置、現校舎高層化の可能性について協議され、翌年には「現地での校地拡張・校舎改築にはかなりの困難」という結論が出された。1993年(平成5年)には、同窓会が校舎移転を奨める方向で合意するに至り、翌年には移転改築促進期成会が発足した。その後しばらく暗礁に乗り上げていたが、2002年(平成14年)に中高一貫教育の導入が公表されると、鶴城同窓会による佐賀県への要望書提出や市民の署名活動が行われ、2004年に校舎移転が決定し、2007年に東唐津駅前に移転が完了した。
校舎移転まで秒読みの2007年(平成19年)1月、早稲田佐賀中学校・高等学校の開校地が本校跡地予定地(当時)に決定したことにより、多くの関係者から移転を惜しむ声が相次いだ。鶴城は現在でも唐津東を象徴する代表的な言葉であり、学校の発行物や行事などの名称には高い確率で『鶴』の字が用いられる。また、校章・シンボルマークも鶴をモチーフとしたものである。
[編集] 自由な校風
校風は高等学校の教育方針にみられるように、伝統的に生徒の自主・自立を重んじる比較的自由な校風である。自由な校風を表すものとして記録に残っているものは、旧制唐津中学第24回卒業生の卒業写真に教師のいない後方列の生徒が談笑する姿がみられる。また、現校地に移転する前は土足で校舎内に出入りすることが認められていた(そのため昇降口に下足箱は存在しなかった)。
戦時中には軍事教練を兼ねたグランドの拡張工事を生徒が行ったことがあり、その日は一日中働かされたのにも関わらず、昼食はパン一個というあまりの待遇の悪さに全員が作業をボイコットし、校長に直談判した結果校長が辞任したという逸話があり、これが次郎物語にて次郎が中学を中退することになった原因のストライキの元となる出来事であるという説がある。
[編集] 中高一貫教育
1998年(平成10年)に学校教育法が改正され中高一貫教育が正式に認められたことによる流れと当時の文部科学省の方針で、2002年に佐賀県教育委員会は県内のいくつかの普通科高等学校において併設型中高一貫教育を行うことを決めた。初の対象となったのは佐賀県立致遠館高等学校(2003年に併設型中高一貫校に移行)で、様子を見て2006年(平成18年)に県下2番目の県立中学校として佐賀県立唐津東中学校を開校し、本校は併設型中高一貫校となった。中学時に120名を適性検査及び合否判定により選抜し、高校時に通常の佐賀県公立高校後期入試によって更に120名(+入学辞退者分)を外部進学組として選抜する。
『次代を担うパイオニアの育成』『本校に学ぶ者はすべからく学徒であれ』を合言葉に中学1-2年を基礎期、中学3年-高校1年を深化期、高校2-3年を応用期とし、6年間を見通せる中高一貫教育の利点を全面に押し出している。また、中学時は校歌・校訓から一日の日程を『光の時間』『力の時間』『望の時間』と3つに分けて定義。光の時間はHRと読書、力の時間はいわゆる授業、望の時間は自習やプリント学習・HRなどを行う。高校時は習熟度別指導や少人数授業・TT指導を行い、大学受験に備える。
2009年(平成21年)現在では中高一貫教育を受けて高等学校を卒業した者が発生していないが、進学指導の強化は特に国公立大学の進学率に如実に表れている。
[編集] 沿革
[編集] 略歴
江戸時代後期の1823年(文政6年)に唐津藩の藩校として創立された志道館を起源としている。
明治維新後、1870年(明治3年)に当時の唐津藩主小笠原長国が、海外留学後帰国した高橋是清を講師とする藩校として英学校を設立した。これが耐恒寮であり、このとき初めて唐津城二の丸御殿跡地に校地が置かれた。その後耐恒寮はわずか1年ほどで廃藩置県により消滅したが、東京駅丸の内駅舎や旧日本銀行本店などを設計した建築家辰野金吾など優秀な人材を多く輩出した。1876年(明治9年)に耐恒寮の血を引く形で公立准唐津中学校が設立され、その後変遷を繰り返したがいずれも奮わず、佐賀県会での紛糾など紆余曲折の末、1896年(明治29年)に佐賀県尋常中学校唐津分校が設置された。1899年(明治32年)には独立して佐賀県立第三中学校となり[2]、1901年(明治34年)6月に佐賀県立唐津中学校と改称した。
1947年(昭和22年)、学制改革により佐賀県立唐津第一高等学校となる(男女別学、男子校)。1949年(昭和24年)に佐賀県立唐津第二高等学校(男女別学、女子校)と統合され、男女共学の佐賀県立唐津高等学校が新たに設立されたが、1956年(昭和31年)に佐賀県立唐津西高等学校を分離し、佐賀県立唐津東高等学校となった。
2003年、佐賀県教育委員会が本校に中学校を併設し併設型中高一貫教育を行うことを決定。県は当時の校地で中高一貫教育を行うのは困難と判断し、2005年には筑肥線新線開業に伴って開始されていた新東唐津駅土地区画整理事業の事業地内(東唐津駅付近)への移転を決めた。2006年4月に佐賀県立唐津東中学校が開校。2007年9月の鶴城祭終了後に新校地へ全面移転した。
[編集] 年表
[編集] 佐賀縣立唐津中學校(佐賀縣立第三中學校)
[編集] 佐賀県立唐津高等學校
- 1948年 学制改革により佐賀県立唐津第一高等学校となり、一時的に新制中学校を併設する。普通科を設置。男女別学(男子校)。
- 1949年 旧制唐津高女を前身とする唐津二高と統合し、佐賀県立唐津高等学校となる。普通科、家政科を設置。男女共学。
- 1950年 校章・バッジ・校歌(天日かゞやき)制定。
[編集] 佐賀県立唐津東高等学校
- 1956年 東西校舎分離独立して、佐賀県立唐津東高等学校となる。正門一帯の改造工事に着工する。初代校長に角辰次着任。
- 1959年 第2代校長に副島勝平着任する。創立60周年記念式典が挙行される。記念事業として正門一帯の改造工事竣工する。
- 1960年 女子制服が改定される。校舎改築委員会が設立される。
- 1961年 正門登校道路が整備される。海岸校舎解体撤去される。
- 1962年 1年生定員360名(7学級)。新海岸校舎(鉄筋4階)落成する。
- 1963年 第3代校長に斉藤正夫着任。1年生定員440名(8学級)。旧柔道場、東側倉庫、東側男子便所解体撤去される。
- 1964年 鉄筋3階管理棟落成する。旧保健室、講堂、解体撤去される。
- 1965年 旧体育館撤去される。新たに講堂兼体育館落成する。
- 1966年 1年生定員416名(8学級)。以後毎年細かい定員の増減を繰り返す。
- 1968年 第4代校長に佐久間大三着任する。
- 1971年 唐津中学校校歌碑(下村湖人作詞)建立される。
- 1972年 時報サイレンのかわりに時報チャイムとなる。
- 1974年 第5代校長に小寺仁着任。1年生定員360名(8学級)。
- 1976年 生徒会広報誌「鶴輪」創刊。
- 1977年 体力づくり研究指定校となる。鶴城同窓会館使用開始する(80周年記念事業として購入)。
- 1978年 耐寒訓練始まる。第6代校長に中山克巳着任。保健体育の指導研究に対して全国表彰を受ける。
- 1979年 体力づくり研究に関して、研究発表し全国表彰をうける。創立80周年記念式典が挙行される。
- 1980年 第7代校長に平林利夫着任。
- 1982年 第8代校長に迎司郎着任。1年生定員315名(7学級)。学習指導法開発研究実践校第1次指定うける。65分授業導入。
- 1984年 第9代校長に原正水着任。勤労体験学習(西ノ浜清掃始まる)。下村湖人生誕百年記念校内行事実施。
- 1985年 学習指導法開発研究実践校第2次指定うける。
- 1986年 校保健統計調査で文部大臣全国表彰をうける。テニスコート2面完成。
- 1987年 耐寒訓練10周年記念行事。第10代校長に松野浩二着任。
- 1988年 学習指導法開発研究実践校第3次指定うける。
- 1989年 第11代校長に前山本惟着任。創立90周年記念式典が挙行される。
- 1991年 第12代校長に波多江利雄着任。
- 1993年 1年生定員320名(8学級)。
- 1994年 第13代校長に兵働文雄着任。教頭2人制実施。
- 1997年 第14代校長に永ノ間昭彦着任。
- 1999年 創立100周年記念式典が挙行される。校訓を制定。
- 2002年 第15代校長に山下一夫着任。校内LAN整備工事。
- 2003年 1年生定員280名(7学級)。唐津東高校に併設型中高一貫教育を導入することが決定される。
- 2004年 1年生定員240名(6学級)。
- 2005年 第16代校長に井上洋着任。全国学校体育研究優良校として表彰される。
[編集] 佐賀県立唐津東中学校・高等学校
- 2006年 併設型中高一貫教育導入(佐賀県立唐津東中学校開校、新時制導入)。初代校長に井上洋着任。中学1年生定員120名(3学級)、高校1年生定員240名(6学級)。開校記念式典が挙行される。読書活動優秀実践校として文部科学大臣賞を受賞。
- 2007年 新校舎移転(唐津市鏡、土地面積71,202m²、建物面積13,209m²)。落成記念式典が挙行される。
- 2008年 第17代・第2代校長に浦郷公道着任。
- 2009年 創立110周年記念式典が挙行される。
[編集] 基礎データ
ファイル:Higashikaratsu sta south gate2.jpg ファイル:Karatsuhigashi chu ko mae.jpg
[編集] 所在地
- 佐賀県唐津市鏡3164番地1
- 新東唐津駅土地区画整理事業地内である。東唐津駅の至近であり、グラウンド南側に国道202号バイパスが隣接する一方、正門周辺は区画整理により形成された閑静な住宅街となっている。唐津市は本校周辺を文教・福祉エリアと位置づけている。
[編集] アクセス
- 最寄り鉄道駅:東唐津駅(徒歩5分)、鬼塚駅(自転車15分)
- 最寄りバス停留所:昭和自動車(昭和バス)唐津東中高前停留所
- 大手口ゆき、大島液化ガスゆき、唐津インター経由山本ゆき、七山経由細川ゆきなど多数発着する
およそ半数の生徒が通学に鉄道を利用する。鉄道沿線の生徒の多くは筑肥線(筑肥東線)や唐津線を経由し東唐津駅で下車する(唐津線経由の生徒は唐津駅での乗り換えを強いられる)。少数だが運賃節約のため鬼塚駅で降車し自転車で唐津大橋を渡って通学する者や、伊万里市方面から筑肥線(筑肥西線)を経由して通学する者もいる。またバス利用の生徒は昭和バスの各路線を利用して唐津東中高前停留所で下車するか、唐津大手口バスセンターを経由する。その他の生徒の通学手段は徒歩や自転車、自家用車などである。ちなみに鉄道利用と自転車利用を使い分けるなど日によって通学手段が異なる生徒も存在する。
校舎移転前は自転車通学の割合が非常に高く、鉄道やバスを利用する者は半数以下であった(唐津線沿線の生徒は唐津駅、バスを利用する生徒は市内路線バス網のターミナルたる唐津大手口バスセンターで下車し徒歩15分程度で通学していた)。
[編集] 象徴
- 校歌
- 現在の校歌は下村湖人(旧制唐津中第六代校長)作詞、諸井三郎作曲によるもの。正式な名称は無いが、後述の『宇宙のみ生命』などと区別する際慣習的に『天日かがやき』と呼ばれる。『天日かがやき』には『我等は松浦の浜の』という歌詞があり、旧校舎時代の匂いを漂わせる。旧制唐津中学時代には赤司曄作詞作曲による『碧波万里』(当初は応援歌の類であった)、また下村湖人作詞高田重男(旧制唐津中十一期卒)作曲による『宇宙のみ生命』も校歌とされていた。
| 高校 | 男子 | 冬服、学生服(カラーの取り付け)、夏服、開襟シャツ、黒のスラックス |
|---|---|---|
| 女子 | 冬服、濃紺のセーラー服(スカーフは紺色)、夏服、薄い水色のセーラー服(スカーフは紺色) | |
| 中学校 | 男子 | 冬服、学生服(カラーの取り付け)、夏服、開襟シャツ、黒のスラックス |
| 女子 | 冬服、濃紺のセーラーブラウス(リボンは紺色)、夏服、白のセーラーブラウス(リボンは紺色) |
- スラックスのポケット部分には中高それぞれの校章が入り、セーラーのポケット部分も同様である。また、中学校男子冬服のボタンにはシンボルマークが入る。北部学区に所在する高等学校で女子制服にセーラー服を採用しているのは本校のみである。また、女子制服の夏服は珍しい色のため人気が高い。
- シンボルマーク
- 2005年(平成17年)制定。デザインは当時の生徒から募集され、鶴をモチーフとしたデザインが採用された。ファーストバッグとセカンドバッグのデザインは中学校は開校当初からシンボルマーク入りのものであったが、高等学校のセカンドバッグは2007年(平成19年)から順次シンボルマーク入りのものに切り替えられ、2009年(平成21年)よりファーストバッグも切り替えられた。なお、ファーストバッグ切り替えにあたりサイズが大型のものになった。
- 通学自転車用ステッカー
- 学年カラーの下地に明朝体で『唐津東高』あるいは『唐津東中』、その下に登録年度と登録番号が記載される。以前は登録番号を出席番号と所属するクラスで構成していたためステッカーを毎年張り替える必要があったが、現在は基本的に3年間通して同じステッカーを使用する。
[編集] 学校行事
[編集] 鶴城祭
9月第1土曜日から日曜日にかけて行われる学校祭。1956年度から開催されており、土曜日に文化祭、日曜日に体育大会が開催される。
- 第1日目・文化祭
- 高校体育館でオープニング映像の上映と音楽部による演奏の後、自由行動となる(中学生は中学校体育館に移動し中学校文化祭としてステージ発表を行い、その後自由行動)。お化け屋敷や校内ミスコン、一発芸大会、書道部によるパフォーマンスなどのアトラクションのほか、映画の上映や茶道部による茶会(鶴城茶会)、模擬店、武道場でのバンド演奏などが行われる。学区内の高等学校の文化祭では最大規模である。
- 第2日目・体育大会
- 生徒は出身中学校・小学校で壱區弐區参區肆區のいずれかに振り分けられ、それぞれで応援団を結成し対抗する。生徒数は人口の多い肆區が例年最多である。応援紹介では参區が例年東京農業大学の応援歌青山ほとりを模した大根踊りを行っている。壱區の地元では唐津神社の秋季例大祭(唐津くんち)が行われるために応援で曳山囃子が演奏されることがある。さらに、肆區では「けえらん」と言いながらサイサイ節のリズムで下駄を鳴らす『けえらん節』が行われていたが(地元発祥の和菓子けえらんから)、2005年の体育大会で応援席が損壊したため行われなくなった。
[編集] 開校記念登山
開校記念の名のもと毎年5月に行われる。唐津城や虹の松原と同じく唐津地方の象徴たる鏡山に中高合同で登山する。
[編集] 耐寒訓練
[編集] 生徒会活動・部活動・愛好会
- ※下記一覧において、中高両方に存在する部には★印を付記。その他は高校のみに存在
[編集] 生徒会
- 本部:本部、部活動部長会
- 専門委員会:生活、文化、体育、図書、保健、ホームルーム
生徒会広報誌として『鶴輪』(かくりん)を1975年度から毎年度末に発行している(但し『生徒会広報誌』との表記は2000年頃から消えている)。大正初期から戦前にかけては校友会誌として『鶴声』(かくせい)が発行されていた。
[編集] 体育部
野球★、陸上★、サッカー★、バスケットボール★、バレーボール★、ソフトテニス★、卓球★、剣道★、弓道、登山、硬式テニス、ボート、ヨット、空手道
[編集] 文化部
以前は新聞部や天文部など多くの文化部が存在したが入学定員削減の煽りを受けて廃部となった。文化部は中高一緒に活動することが多い。
[編集] 同好会
同好会に準ずる組織として非公式の写真愛好会が存在していたが、2009年度から美術部に統合され、美術部写真部門となった(便宜的に写真部と称することが多い)。また、バドミントン愛好会は2009年度から同好会に昇格され、愛好会は消滅した格好となった。
[編集] 進路状況
入学する生徒の90%以上が四年制大学への進学を希望し、半数程度が国公立大学へ進学する。国公立大学は九州大学や佐賀大学、長崎大学・熊本大学への進学が主で、私立大学は地元の福岡大学や西南学院大学へ進学する者が多い。また、早稲田大学や慶應義塾大学への指定校推薦枠が存在する。
[編集] 学校関係者と組織
[編集] 学校関係者組織
[編集] 出身有名人一覧
- 保利茂 (唐中20) - 自民党衆議院議員 第59代衆議院議長 内閣官房長官
- 広津素子 (東高16)- 自民党衆議院議員 小泉チルドレン
- 峰達郎 - 佐賀県議会議員
- 宮崎ちずる - 唐津市議会議員
- 福士敬子 - 東京都議会議員
- 川口俊夫 - 江戸川区議会議員
- 川原英之 - 通産省官房長
- 山田義見 - 大蔵次官
- 山崎元幹 - 南満州鉄道総裁
- 横尾龍 - 播磨造船所会長
- 内田寛一 - 地理学者 日本における歴史地理学の開拓者として知られる
- 熊本典道 - 裁判官 袴田事件を担当
- 松原弘信 - 熊本大学法学部・大学院法学研究科教授
- 川添信介 - 哲学者 京都大学大学院文学研究科教授
- 市丸利之助 - 大日本帝国海軍中将 硫黄島の戦い参照
- 原清 - 大日本帝国海軍中将
- 中里逢庵 (唐中42) - 陶芸家 日本工匠会会長 国際陶芸アカデミー会員
- 辰野金吾 - 建築家 工学博士 帝国大学工科大学学長 日本建築学会会長 東京駅など設計
- 曽禰達蔵 - 建築家 旧三菱銀行神戸支店など設計
- 板井典夫 - フードスタイリスト
- 中里雅子 - テレビ朝日アナウンサー
- 田久保尚英 - テレビ西日本報道制作局アナウンス部長
- 重由美子 - ヨット選手
- 原田晃 - プロ野球選手
- 林茂 - プロ野球選手
- 木塚忠助 - プロ野球選手 南海ホークスを経て近鉄や東京でコーチを務めた
- 山口和雄 - プロ野球選手
- 中村忠一 - 経済評論家、教育評論家
- はちみつボイス☆知展 - シンガーソングライター
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月25日 (水) 21:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【佐賀県立唐津東中学校・高等学校】変更履歴



