佐野宗綱
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佐野 宗綱(さの むねつな、1556年(弘治2年)- 1585年(天正13年)?)は、戦国時代の武将。佐野氏の第17代当主で、佐野昌綱の嫡男。
父の死後、上杉謙信に度々攻められるが、これを堅城・唐沢山城と自身の知略をもって何度も撃退している。また配下に鉄砲の供出を義務付けるなど、当時の関東では遅れていた鉄砲の普及を推奨するなど 革新的な政策も施している。
また、早くから中央政権にも連絡をとっており、1576年6月10日には、 織田信長の推挙によって但馬守に任命され、その礼金を献じている。
はじめ北条氏と同盟を結んでいたが、北条氏との同盟を破棄して常陸国の佐竹氏と手を結び、北条氏と戦った。このため1581年、北条氏照に攻められたが、これは佐竹氏の援軍の助けもあり、撃退に成功している。 しかし1585年、北条氏に与する長尾顕長と彦間で戦った際に、敵将の挑発に乗り、単騎で突出したところを鉄砲で撃たれ、落馬したところを討ち取られてしまった。それまで長尾勢との戦いでは遅れをとった事がなく、自身の武勇を過信し、敵を侮った為とされる。
宗綱の死により、嫡子の無かった佐野氏は北条氏から北条氏忠を養嗣子として迎え入れ 佐野氏忠を名乗らせて家名を保った。が、事実上、北条氏に勢力を吸収された形となり 以後、佐野氏は反北条勢力の跋扈する下野国攻略の拠点として重要視される事となる。
1590年の小田原の役で、北条氏が没落し、佐野氏忠(北条氏忠)も運命を同じくすると 佐野氏は一旦断絶したが、小田原征伐で弟(叔父とも)の佐野房綱が功を挙げた為、 再興されている。
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最終更新 2009年4月25日 (土) 06:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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