佐野実
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佐野 実(さの みのる、1951年4月4日 - )は神奈川県横浜市戸塚区出身のラーメン屋「支那そばや」店主。有限会社「サノフード(1997年設立)」並びに有限会社「エヌアールフード(1999年設立)」代表取締役。別名ラーメンの鬼。ポマードで固めたオールバックの髪型と鋭い眼光、腕組みのポーズがトレードマーク。口癖は「甘ったれんな!」「帰っていいよ!」(バラエティ番組でしばしば口にしている)。
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[編集] 経歴
横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれる。本人によると、母親は彼が胎内にいたころ必ずと言っていいほどラーメンを食べ、「母はラーメンが胎教代わりになっていた」という。幼少のころから「ラーメン屋か寿司屋になりたかった」と言っていた。少年時代は非常に貧しく、家族みんなで外食できたのも年1回きりで、しかも、その時のご馳走がラーメンだった。貧しい家庭に育っただけに「食」に関する関心は人一倍強かった。短気で直ぐ「キレる」性格からか、友達をブランコから突き飛ばして幼稚園を退園処分になったことがある。父は土木建築の仕事をしていたが、短気で飲んだくれの性格ゆえに職を転々としていた。本人が悪戯をすると父は烈火のごとく憤慨し、酷い時には本人を庭の木に縛り付けたこともあった。その本人の性格はおそらく父の影響からだと思われる。横浜市立戸塚小学校、横浜市立戸塚中学校時代は、新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして苦しい家庭を支えていた。本人曰く、ラーメンを初めて自分で作ったのは中学生の頃だと言う。
私立藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では野球部に所属し、投手としてプロ野球を目指した。しかし、チームメイトには後に読売ジャイアンツなどで活躍した小俣進がいたため出番に恵まれず、プロ野球への夢を諦めた。高校時代、昼休みに学校をこっそり抜け出して近所のラーメン屋で外食していたことがあったという逸話もある。
高校卒業後、横浜市内の不二家のレストランでコックの修行を始める。そのレストランに就職したきっかけは、「そこで食べたカレーライスが美味く、3週間毎日通い詰めてたから」だという。27歳で店長になり、通算18年間勤めた後に退職。1986年8月、湯河原で1週間修業し、藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開業。開店当初は借金や原価率等が影響してまったく儲からず、厨房で涙を拭ったこともあるという。店が軌道に乗ったのは1988年以降のことだった。(その後、この鵠沼本店は佐野の弟子が経営していたが、本人が辞めてしまったため2004年に閉店した)。
「支那そばや」を開業した頃に13歳年下の女性と結婚したが、数年後に離婚。その後再婚。本人がラーメンの世界で唯一尊敬している人物は、東京池袋にあった「大勝軒(東池袋大勝軒)」店主の山岸一雄である。
現在、2000年に出店した新横浜ラーメン博物館内と、2008年11月に本人の実家近くの横浜市戸塚区戸塚町(東海道線・横須賀線・市営地下鉄・戸塚駅から徒歩5分以内)に再開店させた「支那そばや」本店がサノフード社直営店として営業している。戸塚本店の開店と同時に「ラーメンの鬼 佐野実の厳選ブログ」と言うタイトルでブログも運営している他、佐野を尊敬するラーメン店店主有志のチーム「佐野JAPAN」を発足している。
[編集] 本人の拘り
「支那そばや」の店内では、1986年8月の開業以来、一貫して私語・香水・喫煙・携帯電話厳禁のルールを遵守しなければいけない(しかし、佐野本人はヘビースモーカーかつ大酒飲み。その他、私語禁止に関して本人は「食事中は静かにと言っているだけ」と述べている他、香水を禁止にした理由として「香水の臭いがきつい女性客が来店した事があった」とコメントしている)。短気ですぐ「キレる」うえ、食材選びに厳しいため、ラーメンの鬼と称されている。また、その性格ゆえに「食材の鬼」とも揶揄されることもある。過去に、酒癖が悪く態度の悪い客が来店していて、なたを振り回してその客を追い出した事もある。 マナー面の他、スープを含めラーメンを残してもいけず、「残すんだったら最初から食うな」と本人が発言している。また、ベビーカーの子供連れの客も入店を突っ撥ねている。とはいえ、新横浜と戸塚に出店している現在では、営業時間中に本人が現場に出ることはあまりなく、前述の規則は無きに等しいものとなっている。
本人は特に「麺」に強い拘りがあり、麺は自家製麺を使用しており、新たな麺の開発にも積極的である。本人が開発した「絹越和伊麺」(きぬこしわいめん)は、原料として、パスタで使われるデュラム・セモリナ粉と国産小麦(おそらく山形県産)をブレンドしたものを用いている。また、黒小麦をブレンドした小麦粉で作った麺も開発している。出来立ての麺は木箱に入れ、入れてから2 - 4分間、少し蓋を開けておき、ある程度の温度まで下げる。その後、高湿冷蔵庫(通常は蕎麦屋で使われる)でひと晩保管して熟成させる。製麺作業は手作業のため、大量生産は困難である。いい加減な物を出す訳にはいかず、本人が麺に対して納得いかない時は店を臨時休業にする程の拘りである。その他、鶏ガラは名古屋コーチン、潅水はモンゴル産、ネギは九条ネギ等最高級の食材を使用したり、ラーメンの器も最高級の有田焼の器を使用しているため、強気の価格設定ができている。本人は「器も食材の一部」と述べており、戸塚本店では醤油味と塩味で形状とデザインを変えている。
2001年12月23日放送のTBS系『世界ウルルン滞在記』にて、次のようなエピソードがある。中国蘇州の名店「同得興」のオーナーである肖偉民が来日し、ぜひ一度日本のラーメンを食べてみたいと思い、ラーメン博物館に出向いて支那そばやのラーメンを食したところ、いてもたっても居られず、店主の佐野本人を呼び出して「お前うま味調味料を使いすぎてんだろ、味が濃すぎるぞ」と指摘した。 その指摘に対して本人は、「オレが管理しているわけじゃないから」と反論した。
メニューに「ラーメン」ではなく「支那そば」と表記したのは、本人曰く「ラーメンという新しい印象のネーミングより支那そばというネーミングの方が愛着があったから」だという。
[編集] マスメディアへの露出
マスメディアで初めて本人が取り上げられたのは、1998年4月にスタートしたテレビ東京系列の『愛の貧乏脱出大作戦』で、横浜ラーメンの達人としてクローズアップされた。
1999年から2003年にかけてTBS系列で放送されていたバラエティー番組『ガチンコ!』の企画「ガチンコラーメン道」で、ラーメン職人を育てるための指導者に抜擢されたことで一躍有名になった。同番組では、「甘ったれんな!」「帰っていいよ!」等出演者を激しく罵倒したり、冷水をかけたり、ことあるごとにスープを捨てたりしていた(食品を粗末にする行動で放送倫理委員会から抗議が相次いだという)。ラーメンの鬼と呼ばれるのはこれらの言動・行動の影響も大きい。その一方、出演者が作ったラーメンの出来がよかった時には「美味かったよ」と無表情ながら誉めるシーンも見られた。
他のバラエティ番組では、笑顔を見せるなどひょうきんな一面を見せる事もあり、また、ラーメン関連の番組に出演する際も「キレる」ことをギャグ的要素として使っていることもある。ラーメンを批評する際には、毎回のように具材のことを取り上げているが、美味いラーメンを食した時には素直にその味を認めている。
『世界ウルルン滞在記』(TBS系列)で、日本出店を懇願するある中国人店主が出演していた時、その店主は羊のチャーシューを使ったラーメンを出していて、本人がそのラーメンを試食すると「チャーシューにクセがあるのは日本では受け入れられない」と日本出店を突っ撥ねた経緯があった。その一方、中国人店主は「絶対売れるし成功する」と信じたシーンが放送されていたことがあった。
アニメ『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系列)で、本人をモチーフとしたラーメン店店主が登場したことがある。店名は塩ラーメン専門店の「しおしお屋」。しかも、私語・携帯電話・香水・タバコ等全て禁止のルール、店主の怒鳴り声はここでも健在であり、しんのすけとひろしの2人で来店したものの、すぐ折り返していた。
[編集] バラエティー番組での発言
- 「俺は厳しいぞ!よく覚えとけ!」
- 「ラーメンはセンスだ!」
- 「ラーメンのスープの具材は何か言ってみろ!」
- 「ダメなラーメン屋の見本だよ!」
- 「百点満点中…5点だ!」(その他、7点や0点の時もあった)
- 「いいか、これはお前らだけの戦いじゃないんだよ、お前らの気持ち?じゃあ俺の気持ちはどうすんだよ!」
- 「○○(名指しで)、帰っていいよ!」等
[編集] 著書
- 『佐野実、魂のラーメン道』 2001年10月、竹書房、ISBN 978-4812408148
- 『オレが唸ったラーメン一杯—ガチンコオヤジ佐野実』 2005年4月、講談社 ISBN 978-4061795631
- 『佐野実のラーメン革命— 麺は男、スープは女』 2009年9月、朝日新聞出版 ISBN 978-4022506306
[編集] 関連項目
- チャルメラ - 明星食品から発売されているインスタントラーメン「チャルメラ」に期間限定で佐野実シリーズが発売されていた

