何太后

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何 太后(か たいこう ? - 189年)は、中国後漢の第十二代皇帝霊帝皇后(何皇后)。第十三代皇帝少帝(少帝弁)の生母・皇太后。は不明。父は何真。母(舞陽君)は何真の後妻であり、何進は異母兄で、何苗(朱苗)は異父兄にあたる。また、妹が宦官張譲の子(養子?)の妻となっている

南陽の屠殺家という下賤の出自だったが、賄賂を用い宦官の伝手(つて)で後宮に入る[1]。後宮に入った後、霊帝の寵愛を甚だしく受け、男子(少帝弁)を生む。気が強かったため、後宮の和をたびたび乱した。

霊帝の皇后であった宋氏[2]が寵を失い、まもなく宦官の讒言により無実の罪を着せられ廃されたため、何氏が皇后に立てられた(180年)。父に車騎将軍と爵位を追贈し、母にも舞陽君を贈った。

霊帝の寵妃であった王美人[3]劉協(献帝)を生んだ時は激しく嫉妬し、王美人を毒殺している。霊帝は激怒し、何氏は廃されそうになるが、宦官のとりなしにより免れた。

189年、霊帝の崩御後、少帝が即位し、摂政皇太后となった。政敵であった董太后[4]との争いに勝ち、董太后を洛陽から追放する(のち謀殺?)。しかし、何太后の政権を支える大将軍・何進と宦官(十常侍)とが争い、何進が袁紹達と共に十常侍の殺害を計画すると、宦官とも結託していたため、弟の何苗と共に何進の計画に反対した。何進と十常侍が政争の末、共に滅び、何苗も殺害され、洛陽に入った董卓が権限を手中にした。

董卓は董太后と自分が同族であると信じていたため、董太后の報復として何氏を排除しようとした。董卓は何太后を脅迫して少帝の廃位を実行し、董太后が養育していた劉協を皇位に就かせた。さらに董卓は何太后のかつての董太后に対する振る舞いがの道に叛く行いだとし問責し、永安宮に幽閉し、のちに殺害した。何太后は霊帝の陵に合葬されたが、董卓は霊帝の陵の副葬品をことごとく奪った(董卓伝)。

[編集] 三国志演義

小説『三国志演義』では、董卓の命令を受けた李儒に毒酒を勧められるが、毒による自害を拒否したため、幽閉された塔の上から李儒に突き落とされたとされている。

[編集] 脚注

  1. ^ 同郷の宦官の郭勝であるという。『後漢書』霊思何皇后紀の注『風俗通』では、戸籍調査の役人へ賄賂を渡しており、恐らく宦官ではない
  2. ^ 扶風平陵の人で、父は執金吾に取り立てられた。宦官の王甫が調略により死においやった皇族の夫人と縁戚であったため、報復を恐れた王甫が讒言をし、無実の罪を着せられ、自害に追い込まれ、一族は三族皆殺しの刑に処せられた。無辜の死であったため、愛惜しないものはなかった。
  3. ^ 趙国の人で、祖父は五官中郎将であった。
  4. ^ 河間の人。霊帝の生母で、桓帝の未亡人である竇太后が死去した後、朝政に関与するようになり、一族の董重をとりたて官職につけるとともに、一部の宦官と結託して権勢を振るった。王美人の故の劉協を養育していた。 。

[編集] 参考資料

最終更新 2009年10月16日 (金) 15:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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