個人的な体験

個人的な体験の最新ニュースをまとめて検索!

文学
File:Lit.jpg
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社文芸雑誌
文学賞
作家
詩人小説家
その他作家

個人的な体験』(こじんてきなたいけん)は、大江健三郎の小説。1964年(昭和39年)に新潮社より発行された。

大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者でありその実体験をもとに、長男の誕生後間もなく描いた作品である。主人公の鳥(バード)は、大江健三郎自身を描いたのではなく、同じ境遇にある別人を描いたと大江自身が解説している。主人公は脳瘤とおそらくそれによる脳障害をもつと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、受容という経過をごく短いあいだに経る姿を描く。

[編集] ストーリー


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


子供の出生前夜
主人公の27歳の青年、バード: 作品中本名は明かされず、最後までこの振り仮名が付く)は高校時代には地方都市で喧嘩を繰り返した人間だったが、その後東京の官立大学(様々な記述から東京大学と推定される)の英文学部を卒業し、大学院に入った。彼は学部の教授の娘と結婚し順風だったのだが、もともと酒に沈溺する逃避癖のある性格であり精神的に未熟であった。そして、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま将来の発展もない予備校の教員をしていた。少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていたのだが、実社会にて落伍し現実逃避の妄想は現在まで続いていた。鳥は初めての子供が産まれるのだったが、自分に子供を持つという事へも実感に乏しく、むしろかえって自由を失う強迫を持ちアフリカへの逃避がさらに強くなっていた。鳥は夜の盛り場に一人で行き、ゲーム機でパンチ力を試すのだが機械が指し示した体力は40歳相当であった。そのゲーム機の周りにいた若い不良少年の一群に絡まれ喧嘩をする。
出生と障害児であることの認知
出産のあとに産院に呼び出された鳥であったが、院長達から子供の後頭部に大きなこぶがあり、その中に脳が頭蓋内から飛び出ている脳瘤という病気であること、手術で頭蓋内に脳を収めても生涯植物的存在であろうことを告げられる。健常な子供であっても憂鬱だったのであろう鳥は、障害者である子供から受ける自分の人生への影響を想像しきれず強い混迷と絶望に陥る。しかし医師たちは非常に権威的で自らの威厳を保つことに神経を払い、病名、予後、解剖などの話を無神経に残酷に行い、整理のつかない鳥の神経を一層混乱させる。この時の医師たち、義母はまるで子供が見っとも無く恥ずかしい存在であるかのように振舞う。医師たちは大学病院に子供を搬送することを決め、妻は一度も子供を見ることなく転院した。義母は妻には絶対に脳の病気であることは告げないようにと念を押す。恩師である義父にも病気の事を告げに行ったが、義父も顔を赤らめ子供の存在を認めない態度を示す。義父、義母、医師のだれも鳥の理解をしてくれるものはいなく、唯一の妻も義母により不幸を共有する事を阻止された。味方のいない鳥はふと大学時代の友人であり、GMの赤いスポーツカーに乗る、一人暮らしの火見子の所へ訪れる。
障害児の親となることからの逃避
火見子は鳥の友人だったのだが、嘗て鳥は一緒に酒を飲んだ帰りに犯すようにして屋外で火見子の処女をうばった事があった。火見子はその後結婚したのだが、夫は火見子の分からない何かを理由に自殺し、彼女は多くの男性と寝る事で孤独を紛らわしていた。性技の達人となった火見子は恐怖と不安の虜になった鳥の心を性技で解きほぐし、唯一鳥を理解できる存在となる。そして鳥は妻にも会わず子供の面会もわずかに火見子とのセックスへ逃避していった。
鳥はこの時期には、子供を胎内で戦傷した兵士のように可哀想な存在と見ていたが、医師に言われた早い死を信じ、また願っていた。しかし大学病院で担当医に子供の手術と生存の可能性を言われて、急激に自分の将来を破壊する存在に子供が変革する。担当医はすばやく察して栄養を制限して死を穏やかに迎えさせる秘密の相談をする。鳥は激しく自分を恥じつつも受け入れ、火見子へ逃避していった。あるとき、火見子の家にレズビアンの相手である大学時代の友人が訪れ、鳥の事情を知り説教をする。彼女も高学歴を持ちながら落伍した人生を送る人間であり、落伍者の他人への当てつけのような説教であったが、「自分で引き取って殺すほうが、他人にゆだねて死を待つより自己欺瞞がない」と真実を着かれてしまう。
逃避しつつも仕事に行っていた鳥だが、二日酔いの挙句授業中に嘔吐し、生徒に指弾されて職を追われることになる。一方仕事がなくなったと同時に、窮地の外交官のスラブ人が日本人の愛人を作り愛人宅に潜伏したのを連れ出すよう依頼される。自分の立場よりも愛を選んだスラブ人は、鳥を歓迎しつつも帰ることを拒絶し、最後の対面であろう鳥にスラブ語辞書をプレゼントする。辞書に鳥は何かを書いてくれと頼んだ所、書かれた文字は「希望」と言う意味の現地語であった。
逃避から障害児の親となる事への決意
鳥は脳外科の教授に呼ばれ手術を促されるも激しい拒絶をし、火見子と一緒に子供を大学病院から受け取った。受け取る時に妻が名づける積りだった名前「菊比古」を子供に与える。その後、鳥は火見子に彼女の知り合いの堕胎医に医療の形での死を迎えさせるよう依頼する。堕胎医のところに子供を捨てた鳥は、自分の不良時代の後輩で米兵によりホモセクシャルに目覚めさせられたゲイバーの店主、菊比古に出会う。(鳥は妻に嘗て彼との不良時代をの思い出を語っていたために妻が子供にこの名前を名付けた。)火見子は子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカ旅行をする事を思い描いていたが、鳥は急激に子供に手術を受けさせるよう思い直す。「正面から立ち向かう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいかれをひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。初めからわかっていたことだ」と言い怒る火見子を置いて大学病院に子供を連れ戻す。
(二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ))
子供を手術した所、大きく脳がはみ出ていたのではなかったことが分かった。ただし脳外科教授はそれでも重度の障害者となる可能性は残る事を示唆した。しかし脳外科教授とも家族とも和解する事ができ、自分の将来も意欲をもつ決心をする。教授に対し鳥は「現実生活を生きるということは結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつの間にか、それを拒むほかなくなってしまう」と言う。病院の廊下に数日前ゲーム機で出会い喧嘩した若者たちが、仲間の誰かの見舞いに来ていたが、かれらは鳥に気づくことなくその場を過ぎ去る。教授は「君がすっかり変わってしまった感じだから」「もう鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と鳥に言った。

以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] 解説

難しいテーマを与えている作品であるが、基本的に作者がところどころに解説となる文章を入れており、理解は困難ではない。テーマは人間の「成長」であり、障害者の親となることが実体験を元に人生の最も困難な事件として主人公に降りかかり、「絶望」の中の「逃避」から「希望」のある「受容」と「忍耐」へと移行する様を描いている。

大人になれない逃避癖の持ち主「鳥」が奇形児の誕生を契機に、障害児を持つ親が最初に感じる拒絶、日本人的な恥の感覚、現実逃避の姿勢から、最終的に至る受容の姿勢に極短期間に移行する様を描いている。逃避世界の住人として火見子と言う情人、理解者、伴侶の性格をもつ女性を登場させる。彼女も鳥をまた必要とし、ともすれば彼女と生きる道も残されたのだが、最後に鳥は逃避していた今回だけでなく、過去の全ての自分を捨て、現実味のある希望と忍耐に満ちた人生を歩もうと決意する。

障害児と現実逃避の世界の女神、火見子の存在そのものが、もともと現実逃避の方向にいた鳥をその極限まで突き飛ばし、極限を強く感じる事で現実を初めて本当に自覚し、鳥は逃避のない大人の人間になる事ができた。最初と最後に出現する不良グループは鳥の当初住んでいた未熟で現実逃避的な世界の人間でありその世界から抜け出たことを示すために登場する。また他にも逃避の世界の人間としてスラブ人の外交官、レズビアンの火見子の友人のDJ、菊比古が登場する。外交官は逃避であるが愛の決意者であり子供を捨てようとする鳥を激しく叱責する。DJは逃避側の人間だが逃避とは何かを知っており逃避ではないと言い張っている鳥に、自分の手を汚す事が逃避ではなくなることであること(現実)を教える。菊比古は少年時代に鳥と一緒に遊び感覚で脱走した精神障害者を探したのだが途中で逃げ出した経緯をもつ。彼は自分が転落した人間と思い、鳥を少年時代のヒーローとして未だに思慕しており、変わり果てた彼が最後に火見子に逃避世界に連れて行かれることを阻止してくれる。

最初の産院の医師たちは鳥の感情を負の方向に落とすべくしている人間であり、もしかするとそのような人間たちであるというよりも、障害者の親にはそのような存在に見えてしまうという事を描いているかもしれない。大学病院の医師たちは一方、最後の脳外科教授に表現されるように障害者の受容者となった親の理解者で、医療だけでなく親の持つ心理や哲学的側面をも理解しコメントしている。   大江自身の解説では、鳥は自分ではなく、同じ境遇に置かれた仮想の人間であると言っている。当時の大江は自分を青春の完全に終わった人間であると規定し、同じように鳥も27歳にして40歳の肉体に落ちた人間として登場させている。しかし一方、そのように書いた積りが長い時間を経て自分の作品を見返すと驚くほど、青春のにおいが残った人間であると驚いている。アスタリスク以降の大団円的な終わり方に、発表当時は非難が集中し、英語版を出版するときも出版社から省くように言われたと語っている。だが、大江は「成長」が一つの作品テーマであり、やはりこの終わり方でよかったと述べている。また、アスタリスク以降は大団円に見えるが、実際には子供は障害者である可能性は充分に残っており、その後の困難もたくさん控えていることは充分に予兆される。それまでの文に比べての明るい感覚は当時の自分の一つの願望を入れたかもしれないとも言っている。   これらからは、この作品は大江の文学的な作品であると同時に、自分の人生に決定的な一槌を入れた大事件のなかで感じた心境の告白であり、アスタリスク以前が鳥という仮想の人間が、文学的な心境の変化や、あるいは早すぎるとも言える悟りにいたっており、仮想的なのに比べ、アスタリスク以降は大江自身の告白性がより強く表現されていると言ってよいかもしれない。

最終更新 2009年11月4日 (水) 03:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【個人的な体験】変更履歴

ご利用上の注意