備州山大八郎
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備州山 大八郎(びしゅうやま だいはちろう、1919年11月4日-1962年3月19日)は、大相撲の力士である。広島県福山市出身、本名は三谷順一(みたに じゅんいち)。伊勢ヶ濱部屋所属。最高位は関脇。身長167cm、体重128kg。
[編集] 来歴
1936年1月場所に初土俵をふむ。番付についてからすべて勝ち越しで1941年1月場所に新入幕をはたす。短躯肥満の体型からの鋭い突き押しが得意で、新入幕から3場所連続で負け越したが、東西制の時代だったので、逆に番付があがるという現象をみせてしまった。1942年5月場所、初めての対戦で横綱羽黒山を破り、金星を獲得。以後羽黒山を何度も破り、対戦成績は備州山からみて2個の不戦勝も含めて7勝6敗と互角にたたかった。なお、羽黒山引退のときの最後の不戦敗が備州山相手のものである。
1945年6月、空襲のさなかに行なわれた本場所で、備州山の大活躍があった。この場所は5月に神宮外苑で予定されていたものが空襲で延期され、6月に両国国技館でほぼ非公開の状態で、7日間で実施されたものだった。東前頭筆頭の備州山は初日に羽黒山を破って勢いに乗り、そのまま全勝、幕内最高優勝を遂げたのである。翌場所関脇に昇進、5勝5敗の五分の星であったが、次の場所には小結に下げられる。その後は平幕の中堅力士として推移し、三役への返り咲きも一度だけだった。
最初は「びしゅうざん」と名乗っていたが幕内に肥州山がいて読みがまぎらわしいので「びしゅうやま」と変えた。
1955年1月場所には十両に陥落、幕内優勝経験者が十両で相撲をとる最初のケースになった。同年3月場所限りで引退、年寄桐山を襲名して後進の指導にあたったが、42歳の若さで亡くなってしまった。
[編集] 成績など
[編集] 関連項目
最終更新 2008年1月14日 (月) 13:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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