全日本女子プロレス

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曖昧さ回避 この項目では、かつて存在した日本のプロレス団体について記述しています。現在同名で興行を行っている団体[1]については「ニュー全日本女子プロレス」を、1950年代に活動した全日本女子プロレスについては「全日本女子プロレスリング連盟」をご覧ください。

全日本女子プロレス(ぜんにほんじょしプロレス)は、かつて存在した日本プロレス団体。登記上の商号は全日本女子プロレス興業株式会社。通称全女

目次

[編集] 概略

旗揚げ戦は1968年6月4日東京・品川公会堂。経営陣との対立から日本女子プロレスを退社した松永高司を代表に、松永を慕う選手達によって設立された。初代会長には、大日本一誠会万年東一会長が就任した。

旗揚げ当初、暴力団と関係があるとする中傷がなされ、興行のための施設借用に困難をきたした。このため興行は野外リングを設営し旅回りをすることが多かった。この時全女を支援し、その身元を保証したのが『デイリースポーツ』であった。以後1990年代まで、全女の主だった興行には「後援・デイリースポーツ」のクレジットがなされ、フジテレビによる試合中継にも『デイリースポーツ』記者が解説者として派遣された。また、全女旗揚げ時の『デイリースポーツ』編集局長であった植田信治は、のち全女のタイトル運営機関である「全日本女子プロレスリング協会」のコミッショナーに就任している。

興行は県立体育館や市民会館、スーパーの駐車場など様々な場所で行われ、最盛期には年間200を超え、全団体でも最多であった。

[編集] 歴史

  • 1968年6月4日 旗揚げ。
  • 1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となった。
  • 1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤マキ上田ビューティ・ペアを結成しWWWA世界タッグ王者となった。
  • 1976年11月 ビューティ・ペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、客層も一変する。
※1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
カップリングには豊田真奈美三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
かつての後輩である工藤めぐみコンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、伝説的な興行となった。
空席が半分以上ある中、段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックフィギュアスケートアメリカ代表、トーニャ・ハーディングを獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
日本レスリング協会もこの興行に協力し、山本美憂浜口京子らが出場した。
  • 1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
  • 1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
  • 1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ府川由美がフリー宣言。これを端緒として経営不安が表面化する。
  • 1997年10月 手形不渡りによる銀行取引停止処分を受ける。
この頃までに大半の選手が離脱。アジャ・コングらの「アルシオン」と井上京子らの「新日本女子プロレス(ネオレディース)(現:NEO女子プロレス)」とに別れた。
残留した選手は堀田祐美子、豊田真奈美、井上貴子、伊藤薫渡辺智子前川久美子高橋奈苗中西百重藤井巳幸脇澤美穂ら。一時退団していた納見佳容が再入団した他、IWA・JAPANから元川恵美がレギュラー出場し(その後、同団体の所属選手だった西堀幸恵も加わる)、「新生全女」をアピールして再出発。
  • 1998年 30周年を記念興行、ビューティ・ペアなどOGが出席する。
  • 2000年 つんくのプロデュースにより「キッスの世界」(中西百重、高橋奈苗、脇澤美穂、納見佳容)がデビュー。JWPとの業務提携を発表。
  • 2001年12月16日 川崎市体育館大会で脇澤美穂が引退。脇澤に代わって西尾美香が「キッスの世界」に加わる。
  • 2002年7月7日 東京・大田区体育館大会で豊田真奈美が退団表明。翌日GAEA大阪大会に現れたことで、全女-GAEA間に確執が生じる。
  • 2003年5月11日 横浜アリーナ大会を最後に堀田祐美子、西尾美香が退団し「Z-SPIRITS」を結成。西尾の離脱により「キッスの世界」解散。
  • 2005年3月29日を最後に主催興行を停止。
  • 2005年4月17日 後楽園ホールでの興行(主催はファースト・オン・ステージ)を最後に解散。

[編集] 体制など

[編集] 松永家

全女は松永家による同族会社であった。三男・松永高司を中心とする次男・健司、四男・国松、五男・俊国の四人で全女を立ち上げ、運営していた(長男は経営に加わらず)。また高司と国松の間の長女・吉葉礼子、次女・山口洋子も所属選手だった。兄弟には格闘技出身者が多く、今で言う総合格闘技の原型に当たる柔拳興行(プロボクシングと柔道の異種格闘技対決が売り物の格闘技興行)の経験者もいる。試合に出場した次男・健司は講道館を破門されている。そのことからしばしば全女では異種格闘技戦が行われた。洋子は1992年に、俊国は2002年9月22日に心不全により57歳で、国松は2005年8月17日に自殺により63歳で、礼子は2008年9月18日に肺がんにより70歳で、高司は2009年7月11日に間質性肺炎により73歳で、それぞれ亡くなっている。

[編集] 地方興行

全女は全国津々浦々を巡業するスタイルで、最盛期には年間250試合近くも行っていたといわれた、これは男子とくらべてもかなり多い数である。選手の知名度のみならず、緻密なスケジューリング、地元とのパイプがなければ難しく、既存の女子団体でこれを行えるのは全女くらいしかいなかった。ハードな巡業は選手に雑草魂を植え付けるといわれていた。

[編集] 三禁

煙草、男の三つを嗜んではいけないという掟。女子レスラーが煙草、酒をたしなむ様子は、風俗嬢そのものであると考えた松永兄弟が禁止させたという。また、全女の選手には未成年も多いことも関係していると思われる。「男が出来ると股を開くのを嫌がるし、ケガをすることを嫌がってファイトに精彩がなくなる」と公式に回答していた頃もある。ただし、酒に関しては、トップクラスの選手に限り、ある程度までは黙認されていたらしい(当時、全日本プロレス阿修羅・原長与千種の同郷の先輩という縁で、試合会場が近いときなどは女子選手を労うべく頻繁に飲み会を開いていたことを語っている)。北斗晶佐々木健介(当時新日本プロレス)と結婚するに際し、この三禁の掟が焦点となったが、会社に認められて北斗の結婚後の現役続行がOKになったというエピソードがある。

[編集] 25歳定年

かつては「25歳(ないしは在籍10年)に達した選手は引退する」という暗黙の了解があった。理由としては、世代交代を潤滑に行うためと、もし引退しても25歳くらいなら、結婚や他の仕事を探す等、新しい生活が出来るだろうというフロントの考えからである。年を取り人気の落ちた選手には、会社から有形無形のプレッシャーが掛けられ引退への道を進むこととなった。1993年には、エース格として全女を牽引するブル中野が25歳に達したことから、その去就が注目されたが、団体対抗戦の渦中だった状況もあり会社は現役続行を容認。この結果、「25歳定年」は事実上はなくなった。

25歳定年が暗黙の了解として存在していた頃は、強制的に世代交代が行われ、その都度新たなスターが登場したが、それが無くなることにより、ベテラン選手がいつまでもトップに存在し、世代交代が行われることが困難になり、女子プロレスが衰退するひとつの原因にもなっている。

[編集] 上下関係

いわゆる体育会系の厳しい上下関係があり、相当悪質ないじめなどもあった。特に平成元年組の後輩いじめが酷く、多くの新人が寮から脱走した。いじめで有望な選手が育たない、途中で辞めるなど経営的にも大きな打撃があったのは事実である[要出典]

『後輩レスラーは、先輩レスラーの得意技をその先輩が引退するまで使ってはいけない』と言う暗黙の掟があり、そのため、選手達は知恵を絞ってオリジナル技を開発していた。

毎年のように入団する選手がいた昭和60年代以降は、入団年によって昭和(平成)xx年組と分けて呼称されていたが、入門希望者の減少等の要因によりそういった呼称はあまり見られなくなった。

[編集] ミゼットプロレス

いわゆる低身長症の人間が行うプロレス。通称「小人プロレス」。コミカルな面が強く、彼らを笑い物にしているとして一部の人権団体からは非難があるとされるが(これにより全女のテレビ中継でもほとんど扱われなかった。森達也によるとあるミゼット選手が「どうして大きいのはいいのに小さいのは駄目なんでしょう」と漏らしたという)、これも立派なプロレスであり、全女の興行には欠かせないものであった。むしろこちらがメインで、女子プロレスが前座扱いであった時期もあるという(ミゼットの選手達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていた)。また、かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも現在とは比べ物にならないくらいに多かったことから、ミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の一つであった。試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もこなしていた。

確かな技術に裏打ちされた完成されたエンターテインメントとして高く評価するファンも少なくない。レフェリーをも巻き込んで展開されるコミカルな試合は、今でこそどの団体でも日常的に見られるが、その嚆矢としてミゼットプロレスが果たした役割は小さくない。

ただし、身体的ダメージが蓄積されて健康を害する選手も多く、リスクに見合った金銭的な評価も期待しづらいため、後継者難に悩まされている(全女が経営難になる前は、秩父市に存在した全女の施設の管理人と言う形で、引退後の生活を保障されていたが、現在は施設も存在しないため、引退後の保障も無いと言う厳しい状況となっている)。全女解散後はAtoZが引き継いでいたが、AtoZ消滅後は2009年の「RINGSTARS秋まつり」にて「松永高司会長追悼試合」と題してミゼットプロレスが復活した。

余談だが、メキシコのプロレス(ルチャリブレ)においては、「ミニ・エストレージャ」と呼ばれる、大型レスラーのキャラクタを模した小柄なルチャドール(ルチャリブレのレスラー)が相当数いる。その大半はミゼットというより若干小柄という程度の体格だが、中には明らかに小柄な選手もおり、大柄な選手ではできないようなトリッキーかつ素早い動きによって観客の目を引き付ける重要な役割を果たしている。中にはマスカリータ・サグラダなど、本家を凌ぐ人気を誇る選手さえ存在する。一時期、日本のミゼット選手とメキシコのミニ・エストレージャによる対抗戦が行われたこともある(ただし、両者のファイトスタイルが違っていたので、噛み合ったとは言い難かった)。また、アメリカでもミゼットプロレスというジャンルは存在する。

有名な選手にリトル・フランキー、角掛留造、Mr.ブッタマンらがいる。

[編集] 格闘技戦

1990年代中頃まで行われていた試合形式。格闘技戦と銘打っているがバーリトゥードではなく、レスラー同士がグローブを着用し殴ったり蹴ったりするキックボクシング形式の試合(後に、レスラー同士だけでなく、キックやシュートボクシングの選手を招いて所属選手と対戦させている)。松永兄弟がボクシングの経験者であったことから、この形式を思いついたらしい。ファンの間では、レスラーにグローブを着けさせてキックボクシングの真似事をさせたことに関しては賛否両論だったが、これをきっかけに成長した選手がいたのも事実である。一方、日本初の女子総合格闘家である高橋洋子は全女でレスラーとして活動し、後に全女のリングで総合ルールを戦って格闘家への転向に成功した。

[編集] 新団体旗揚げのサポート

新団体(インディー団体)が相次いで旗揚げされた1990年代前半には、全女はこれらの団体の旗揚げを支援していた。例えば旗揚げ前のパンクラスには東京・目黒の道場を練習の場として提供。ユニバーサル・プロレスリングW★INGプロモーションにはリングの貸し出しだけでなく、所属選手を派遣してカード編成を補助している。このことが、それまで女子プロレスを見たことの無かった男性ファンを全女に呼び寄せ、ブームを巻き起こすきっかけになっている。

[編集] 女子レスリング界との協力関係

女子レスリングについても全女は日本レスリング協会と協力体制を採っていた。1980年代の旗揚げの際に、女子レスリング普及に努めていたレスリング協会の福田富昭(現・会長)は全女の承認を得た上でオーディションの不合格者をレスリングにスカウトし、吉村祥子ら多くのトップ選手を育て上げた。一方、全女側もジャガー横田がコーチに就任して練習生をレスリングの練習に参加させたり、合同練習やエキシビションマッチを組み、女子レスリング国内外公式戦に練習生や新人選手を派遣させるなどしていた。これにより女子レスリングの知名度向上に一役買う一方で、多くの選手もレスリング技術を身に付けて後のトップレスラーに成長することができた。中でも豊田魔波井上京子らは国内大会優勝を経験している。また、斉藤和枝のようにアマ経験が豊富な選手がプロ入り後も参戦を続けるケースや、三田寺由香のように全女練習生として参加後プロにならずアマチュアの実力者となるケースもあった。1990年代に入っても東京ドーム大会にトップ選手の山本美憂や新人時代の浜口京子も参加しており、以降もレスリングルールのエキシビションを行った。一方で、井上貴子府川唯未らレスリング出身者も全女に入門した。なお、全女解散後、プロアマ協調路線はエスオベーションが引き継いでいる。

[編集] テレビ放映

全女が全国的人気を獲得できたのは、フジテレビによる試合中継番組の影響力も大きい。1975年からの放映開始以来「全日本女子プロレス中継」「格闘女神ATHENA」と引き継がれ、2002年まで長きにわたって放映されてきた。さらに、試合中継を放映するにとどまらず、所属レスラーのテレビ番組出演・オリジナル楽曲発表など、フジテレビの全面的バックアップで所属レスラーは全国的人気を獲得した。これらの施策により「女子プロレスブーム」が幾度となく起こり、全女への入門希望者が激増するということも起こった。

  • この項にも、当初、間違った記述がされていたが、1968 - 70年にテレビ放送されていた小畑千代らの団体は、「日本女子プロレス」であり、全女とは別団体である。

現在、FIGHTING TV サムライにおいて、「全女CLASSICS」と題した過去の名勝負を放送している。

[編集] 経営難となった要因

松永一族のワンマン経営によると言われているが、プロレス興業だけでなく、飲食業経営や土地転がし、株の投資に手を出したことが著しく悪化させた最大の要因である。ただし、不動産事業に関しては、外部から不動産業務のプロを招き入れたため、この事業のみ黒字で、一番の原因は博打的な株の投資で大損害を負ったからとも言われている。しかし実際は興行面で利益確保が難しく、地方興行は立見券(1,000円)での入場者がかなり目立ち、座席に空席が多く見られた。アジャ・コングや北斗晶が在籍していた頃でさえ地方興行のほとんどが赤字遠征であった。結局、飲食産業部門の売上げでプロレス興行の赤字分を補填し、倒産するまでの5年以上前から自転車操業状態であった。

一時は団体対抗戦でなどで盛り返しも見せたが、内部関係者のビデオダビング代金の横領(ロッシー小川、ビデオ業者、フジテレビ元ディレクター)などでも大きな損害を被った。

[編集] タイトル

全日本女子プロレスが認定する王座は「World Women's Wrestling Association」(世界女子レスリング協会)の頭文字からWWWAと呼ばれる。

通称「赤いベルト」。全女最強の象徴と称され、その歴史の中での数々の名勝負が行われた。
100代以上を数える伝統あるベルト。選手権試合は度々三本勝負で行われる。
WWWA世界シングルに対して「白いベルト」と呼ばれる。
  • WWWA世界スーパーライト級王座
いわゆる「最軽量級」を対象とした王座だが、長らく保持したチャパリータASARIの代名詞的な扱いを受けた。同王座の発案者はロッシー小川で「煙草の『スーパーライト』(という銘柄)を見て思いつきました」と、当時小川は語っている。
当初は20歳以下を対象にしたタイトルだったが、新人選手の高齢化に伴い、キャリア2年以下の選手を対象に改められる。
格闘技王座と銘打たれているが、ルールはキックボクシングに近いため、全女内のみならずキックボクシングやシュートボクシングの選手も挑戦している。
  • IWA世界女子王座
元々はカナダに存在した団体の女子王座だが、長与千種が海外遠征に行った際に持ち帰ったタイトル。団体自体は消滅したが、この王座のみ日本に定着し、タイトルマッチが行われていた。
  • UWA世界女子タッグ王座
ユニバーサル・プロレスリングが管理・運営するタイトルだが、ユニバーサル自身は所属の女子選手が少ないため、主に全女中心でタイトルマッチを組まれていた。
基本はトーナメント形式でその年にデビューした新人選手によって争われる。新人選手が少ない年は2年目の選手が参加する場合もある。新人王に輝いた選手にはメダルとトロフィーが授与される。
  • WWWA世界ミゼット王座

[編集] 主な全女出身のレスラー

全女でのデビュー年別。

[編集] 昭和29年(1954年)

  • 奄美百合子
  • 本堂活子

[編集] 昭和30年(1955年)

日本人初の女子プロレス世界王者。

[編集] 昭和31年(1956年)

  • 遠藤恵子
後の松永会長夫人。

[編集] 昭和40年(1965年)

[編集] 昭和41年(1966年)

後に松永国松社長と結婚。

[編集] 昭和43年(1968年)

  • 浜名マリ

[編集] 昭和44年(1969年)

娘は中山香里
  • 小川春子
  • 大西弘子
  • 嵐和子
  • ミス・ジャイアント

[編集] 昭和45年(1970年)

東京都品川区にて「Pub Snack マリ子の店」経営
  • マキシ村田
  • ペギー黒田

[編集] 昭和46年(1971年)

  • 佐々木順子

[編集] 昭和48年(1973年)

  • 阿蘇しのぶ
ビューティ・ペアのライバル『ブラック・ペア』として活躍。引退後、旗揚げが予定されていた「ワールド女子プロレス」でカムバックする予定だったが、旗揚げ前に団体自体が消滅している。1987年ジャパン女子プロレスに覆面レスラー『ザ・スナイパー』として参戦。
  • 宮下淑子

[編集] 昭和49年(1974年)

アイドルレスラーの草分け的存在。引退。
  • オスカル一条

[編集] 昭和50年(1975年)

ビューティ・ペアを結成し一時代を築いた。ビューティ・ペアは第28回NHK紅白歌合戦にも(ゲストという形ながら)出場している。引退。
ビューティ・ペアを結成し一時代を築いた。1986年ジャパン女子プロレスの旗揚げに参加。引退後インストラクターとして活動していたが死去。
  • 池下ユミ
  • ユカリ・レンチ
  • 日野ミエ子

[編集] 昭和51年(1976年)

引退による退団後、ジャパン女子プロレス旗揚げに際し、一時カムバックする。
  • ビクトリア富士美
  • シルバーサタン
  • 安藤ますみ
  • リトル・フランキー(ミゼット)

[編集] 昭和52年(1977年)

小柄ながら長期間王者として君臨しつづけた偉大な王者。引退後はコーチ業につき、吉本女子プロレスJd'で一時現役復帰、同団体の選手を指導していた。Jd'時代にも一度引退するが、その後再復帰し現在も現役。ハッスルでは「ジャガーY」のリングネームで参戦。
  • マミ熊野
  • トミー青山
  • ルーシー加山
  • 塙せい子
  • 小宮山忠子
  • 玉岡光恵
  • 高橋真由美

[編集] 昭和53年(1978年)

元アイドル歌手のアイドルレスラー、オールパシフィック王者。引退後は芸能界に復帰したが、のち新興宗教の教祖に。
全女退団後もレスラーを続け、30年のキャリアを持つベテランレスラーとなったが2008年12月30日に引退した。
佐藤の引退後パワーボムの使い手に。1985年に引退したが、近年はLLPWを中心に再びリングに上がっている。
  • 佐藤ちの
日本の女子レスラーでは最初のパワーボムの使い手。引退後は日活ロマンポルノにも出演した。
  • 小峯広子
  • 平田二三代

[編集] 昭和54年(1979年)

  • 岩井和子
  • 高橋三奈
  • 川上法子

[編集] 昭和55年(1980年)

クラッシュギャルズとして一世を風靡した。引退後芸能活動をしていたが、1993年の「夢のオールスター戦」にエギジビション参加したことをきっかけに1994年復帰。翌年GAEA JAPANを旗揚げし、2005年に再び引退したが、2006年にKAORUの復帰戦で再びリングに上がっている。
クラッシュギャルズとして一世を風靡した。一時レーサーを志していたが1994年復帰しJd'旗揚げに参加。のちGAEA JAPANに活動の中心を移し、2005年に再び引退。
ヒール集団「極悪同盟」のリーダーとして、クラッシュギャルズと激しい抗争を繰り広げた。引退したが、窮地に陥った全女に特別出演している。

[編集] 昭和56年(1981年)

山崎五紀とのタッグチーム「JBエンジェルス」(Jumping Bomb Angels)として、アメリカWWFにも参戦。日米をまたにかけて活躍した。一時引退したが1992年LLPW旗揚げに参加。現在も同団体に所属。
JBエンジェルスとして立野記代とともに日米をまたにかけて活躍した。ロープ際の魔術師とも言われ、背面式ドロップキック、フライング・ヘッド・バットなど、長い黒髪をなびかせた空中殺法はファンを魅了した。現在は、ニューヨークで、日本料理店を夫とともに営む。
  • 浅見美樹

[編集] 昭和57年(1982年)

  • 小松原浩美
  • 小菅奈津子

[編集] 昭和58年(1983年)

クラッシュギャルズ引退後の全女を支え、「女帝」と称された。金網の上からのギロチンドロップは衝撃を与えた。公式の引退声明は出ていないが、現在は渡米しプロゴルファーを目指している。50キロも体重を落とすことに成功し、ダイエット本も出版した。
引退後、一時期Jd'のマネージャーを務めていた。
現在は、フリーランスのレフェリー『トミー蘭』『Tommy』として活動中。
  • 田島優子
  • Mr. ブッタマン(ミゼット)
  • 角掛留造(ミゼット)

[編集] 昭和59年(1984年)

引退後は漫画家として活動。極悪同盟のメイクを担当していた。
  • 永堀一恵
  • 加藤悦子
引退後、2002年に女子総合格闘家として「AX」に参戦。
  • 田村久美子
  • 川田ルリ子

[編集] 昭和60年(1985年)

試合中、首の骨を折り長期欠場するも復活、デンジャラスクイーンと呼ばれるようになる、団体対抗戦時代には神取忍と血みどろの抗争を繰り広げた。
新日本プロレス北朝鮮で行なった「スポーツと平和の祭典」興行に女子プロレス代表として参加したことが出会いとなってプロレスラー佐々木健介の妻となり子供も出産するが現役ママさんレスラーとして活躍。引退後もマイクアピールの巧さを活かして、夫の活動のサポートを行う傍ら、その恐妻ぶりから「鬼嫁」と呼ばれ、夫婦タレントとしても活躍。2005年健介office(登記上の名称は、「株式会社健介オフィス」)を設立し、代表取締役社長に就任した。
北斗晶と海狼組(マリンウルフ)を結成していた。北斗とともに豊田、山田と激しい抗争を繰り広げた。その後も中堅のポジションで、完成度の高いレスリングを披露するが首を痛めて引退。
全女入団前は極真会館の元世界王者・中村誠の下で空手を学んでいた。クラッシュから受け継いだ格闘路線の選手で、総合格闘技にも何度か出場している。1997年の選手大量離脱事件後も残留していたが、2003年にAtoZを旗揚げ。若手時代は西脇充子とファイヤージェッツを結成していた。
堀田祐美子とファイヤージェッツを結成していた。現在は引退して大相撲力士魁皇夫人。
吉葉礼子の長女。ダンプ松本の影武者として登場。引退後は日本プロレス界初の女性リングアナとして、一時期選手のコールを行っていた。

[編集] 昭和61年(1986年)

ブル中野と激しい抗争を繰り広げた。独特のキャラクターからCMなどにも出演している。現在はOZアカデミーに所属。
アジャのタッグパートナーとして活躍。ヒールながらもソバージュヘアーを振り乱してのケサ斬りチョップでファンの人気も高かった。一時引退するが、フリーランスとしてカムバックした後、吉本女子プロレスJd'に移籍し、初期にはエースとして活躍するものの、再び引退する。
全女時代は特に目立った功績はないが、後にマスクを被り、CoogaとしてJd'黎明期に活躍した。現在は引退。夫は元十両力士若隼人
全女時代は同期の高橋美華(引退)と組み『ハニーウイングス』のタッグチームとして活躍。後にユニバーサル・プロレスリングに移籍しリングネームを「インフェルナルKAORU」に改名するが離脱。その後、GAEA JAPAN旗揚げに参加し、リングネームをKAORUに改名する。GAEA JAPAN解散後はフリーランスとして活躍している。
全女時代は、新人の頃に特に目立った活躍をしないまま引退し、後にFMWの試合に乱入という形でカムバックする。FMW参戦時にはヒールだったが、ベビーフェイスに転向、大仁田厚と並んでFMWを支える存在となり、『邪道姫』の尊称と共にデスマッチも行っている。引退後は暫くタレント活動を行なっていたが、プロレスラーBADBOY非道と結婚。
全女時代は、新人の頃に特に目立った活躍をしないまま引退したが、後にFMWの試合に工藤めぐみ、天田麗文(引退)と共に乱入という形でカムバックし、コンバット豊田とリングネームを改名、工藤がベビーフェイスに転向した後はヒールのトップとして活躍するが、現在は引退。
全女時代、新人の頃から怪我に苦しんだが、全日本Jr、全日本タッグ、全日本シングルの三冠を獲得。怪我の為引退したが、後にFMWの試合に工藤めぐみ、豊田記代と共に乱入という形でカムバック。一時はヒールのトップとして活躍するが、古傷である腰痛が悪化し、惜しまれつつ引退する。
  • 平田八千代
  • ダーレン大橋

[編集] 昭和62年(1987年)

柔軟な体と跳躍力を誇り、「ゾンビ」とまで呼ばれるしぶとさを持つ。その華麗さとしなやかさから、最も女子プロレスラーらしいプロレスをするともいわれる。
1997年の選手大量離脱事件後の全女を支え続け、何度も王者についた。全女脱退後はフリーとして活躍。
回転してのフォール技や、出身地(島根県益田市)に因む「日本海」の名を冠した必殺技を多く持つ。
増刊少年サンデーにて豊田を主人公とする漫画『燃える!!女子プロレス』(島本和彦著)が連載されていた。
豊田真奈美の同期でライバルと言われていた。頸椎ヘルニアで長期欠場後復活し不死鳥と呼ばれた。
豊田とタッグを組んで王者となるも、シングルではライバルとして戦い続け、ついには豊田と髪切りデスマッチを行うに至った。
1997年7月、師匠の長与千種を慕いGAEA JAPANに移籍。居酒屋を経営しつつ現役を続行していたが、2004年限りで引退。
若手時代は170cmを超える恵まれた体格を持つものの大して活躍できず、北斗晶に弟子入り。ラス・カチョーラス・オリエンタレスとして活躍した。必殺技であるデスバレーボムは、新日本プロレス時代の高岩竜一が使用して以来男子レスラーにも広まった。現在はNEO所属。
三田の後に続いて北斗晶に弟子入り。二人は北斗の脱退後もラス・カチョーラス・オリエンタレスとしてタッグで活躍、全女倒産後はフリーとして活動。女子選手を有するほぼ全ての団体に出場するほか、男子のみちのくプロレスやアメリカのECWにも出場経験がある。2003年に引退し、AtoZのエージェントマネージャーに就任したが、堀田に挑発されて復帰。現在はメキシコに活躍の場を移す。
  • 長谷川弘美
  • 中村幸子
  • 市川千秋

[編集] 昭和63年(1988年)

そのプロレスセンスから天才とも言われるレスラー。楽しさと厳しさを併せ持つ名レスラーで全女離脱後は新日本女子プロレス(ネオレディース、現NEO)を旗揚げする。
デビュー前はレスリングを学びつつモデルもしていたというアイドルレスラー。良くとおる声でマイクアピールも得意。井上京子とのタッグで第100代WWWAタッグ王者となった。現在はLLPW所属。
若手時代はメキシコ留学もしており、ルチャを得意としていた。その後首の負傷から二年近くの欠場を強いられたのを機に関節技主体に移行。1997年に離脱しARSION旗揚げに参加する。現在は「息吹」を主宰。必殺技はクモ絡み。
  • 小畑麻代
  • 脇恵衣子

※JWPに在籍した外山寿美代改めさぶろうも昭和63年組だが、全女でデビューする前に退団した。

[編集] 平成元年(1989年)

ソバット、裏投げを武器に活躍。ドーム興行においては仮面を被りブリザードYuki角川書店月刊少年エースの同名漫画とのタイアップ)としてデビューするもぱっとしなかった。上背もあり、ボーイッシュなスタイルから次期エース候補に期待されるが、試合中のアクシデントにより首を痛めたことにより、精彩を欠くようになり1996年に引退。一時期アルシオンの広報も務める。現在はZERO1-MAX渉外担当のオッキー沖田と結婚し、一子をもうけている。
フットスタンプを得意とする。若手時代、W★INGプロモーションにゲスト参戦した際にケビン・サリバンから教えられた技で、軽快に技を決める姿とボーイッシュなルックスとで「ピーターパン」と呼ばれていた。柔道の有段者でもあり、1996年頃には同じ武道のスキルを持つ堀田祐美子、渡辺智子、前川久美子と「U-TOPS」なるユニットを組んでいた。1997年の選手の大量離脱後も全女に留まり、WWWAシングル王者にも就いた。2003年に退団しフリーとなり、ダリアンガールズのコーチを経て現在は「伊藤薫プロレス教室」を主宰。1998年以降は時々覆面レスラーZAP-Iに変身する。
素顔ではコミカルなファイトも見せる正統派、覆面レスラーZAP-Tでは悪役とキャラクターを使い分ける。全女解散時には最古参だった。柔道出身で、「U-TOPS」のメンバーでもあった。その後フリーとして主にIWAジャパンを中心に活動。2006年12月29日に開催された「伊藤薫プロレス教室興行 伊藤道場〜心〜 第二章」での試合を最後に引退。
空手出身で、リングネームはローキックで木製バットを蹴り折った所から名付けられた。格闘技戦では堀田祐美子に勝利し、プロレスにおいても井上京子にフォール勝ちするなど、順調な活躍を見せるが、首の負傷の為惜しまれつつ引退。その後は受身を取る必要の無いことから、格闘技戦要員として復活するが、目立った活躍もないままフェイドアウトしている。
アマチュアレスリング出身。愛称は「たまごちゃん」。引退後はフロント入り。
  • 鈴木敦子

[編集] 平成2年(1990年)

  • ぬまっち
キャラクターレスラーがブームになった際に、土木作業員をモチーフにしたキャラクターレスラーに変身し、その際にリングネームを本名の沼田三絵美から『ぬまっち』に改める、試合中のアクシデントで首を負傷し、それが元で引退。その後、ダイエットした後に芸能プロダクションのオスカープロモーションに所属するが、タレントとしてはあまり注目されなかった。
  • 鳥巣朱美
バット吉永の格闘技戦の対戦者として登場するが、敗戦後全女に入団。退団後暫くして2001年にスマックガールに参戦するも星野育蒔に血まみれにされKO負け。
  • 李由紀
後にJd'にてカムバックするが、団体内での自分の扱いに不満を持ち離脱、フリーになるが、目立った活動もないまま1999年に引退。
  • 中見川志保
金村キンタローの前妻で現在はRINGのプロデューサー、2008年椿志保のリングネームでKAIENTAI-DOJOで現役復帰を果たしている。
  • パンティップ・ソンティタム
タイからの留学生として姉妹で全女のリングに上がる。
  • ピラスィニー・ソンティタム
姉のパンティップと同じくタイからの留学生。

[編集] 平成3年(1991年)

蹴りの得意な選手で、新人時代に一度引退したが復帰した。堀田祐美子同様極真会館の出身で、テコンドーなども学んでいる。2006年3月に引退する。
同期の選手達の中で最後まで全女に残り、お嬢様キャラで注目を浴びるも引退。後にJd'にてカムバックするが、団体内での自分の扱いに不満を持ち離脱し、フリーになるが、Jd'時代よりも目立たないまま引退する。現在は大阪プロレスでフロント(ゼネラルマネージャー)として勤務。同プロレス所属のタイガースマスクと結婚。
前川と同じく、新人時代に一度引退したが復帰する。小柄だが、はつらつとしたファイトで注目を浴びるが、全女の経営危機の際に離脱、アルシオンに移籍し、その際、リングネームを玉田凛映に改める。現在は引退。
練習生時代は怪我等のため、中々プロテストに合格せず、同期の中で最後にプロテストに合格するが怪我の為引退。その後、1993年にLLPWにて再デビューし活躍するものの、1998年にアルシオンに移籍。その後アルシオンを退団、M's STYLEに参加していたが解散しその後はフリーとして活躍するが2007年に寿引退。
  • 小泉恵美
後にFMWにてカムバックするが、すぐに退団している。
  • 寺川真由美
  • 熊沢菜緒子
同期の中で、最初に巡業への帯同や試合前の公開スパーリングを行う等、その才能を期待されたが、デビューしてすぐに引退。後に小泉と同じくFMWにてカムバックするが、すぐに退団している。
  • 大木紀子

[編集] 平成4年(1992年)

小柄ながら体操経験があり、デビュー前からオリジナルの空中技スカイツイスタープレスを準備していた変わり種。現役はすでに引退している。ちなみにリングネームの『ASARI』の由来は、全女入団時に自己紹介した際に、本名の『真美(まさみ)』が先輩レスラー達に『アサリ』と聞こえ、それがあだ名となったため。
ASARIと同期で、一時引退したが後に復帰する。全女の経営危機の際に離脱、新日本女子プロレス(現NEO)に移籍し、旗揚げに参加する。2006年大晦日に引退。

[編集] 平成5年(1993年)

小柄ながらも可愛らしいルックスからアイドルレスラーとして注目され、先輩達とCDを出し、ビデオも出している。全女の経営危機の際に離脱、アルシオンに移籍し、その際、リングネームを府川唯未に改め、玉田凛映とのタッグ等で活躍する。その後引退し、プロレスラー(田中稔・ヒート)と結婚した。
  • 横江実姫

[編集] 平成6年(1994年)

同期の中では最初にタイトル(全日本ジュニア)に挑戦するなど、団体から期待をかけられていたが、全女の経営危機の際に離脱、新日本女子プロレス(現NEO)に移籍し、旗揚げに参加。現在は『タムラ様』のキャラクターで人気を博している。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!の女子プロレス予備校出身。この企画の出身者の中で唯一全女の新人オーディションに合格する。上背もあり、スケールの大きなレスラーになることを期待されたが、全女の経営危機の際に離脱、新日本女子プロレス(現NEO)に移籍し、旗揚げに参加する。2008年大晦日に引退。
同期の中では小柄だったが、ネズミをモチーフにしたコミカルなキャラクターとして活躍するが、全女の経営危機の際に離脱、新日本女子プロレス(現NEO)に移籍し、旗揚げに参加。現在もコミカルなファイトを行っている。
同期の中では、元気美佐恵に次ぐ長身選手で、同様にスケールの大きなレスラーになることを期待されたが、怪我の為引退。その後、吉本女子プロレスJd'にてレフェリーとして復帰、それと平行して格闘家としても活動し、現在も格闘家として活躍している。
オリエンタルプロレスでデビューするが、経営難により団体が消滅。その後、全女で新人扱いで再デビュー。

[編集] 平成7年(1995年)

ルックスの良さから将来のアイドルレスラーとして期待され、「リングの魂」の番組企画で『水無月えりさ』に改名する予定があったが、新人時代に引退。その後暫くゴルフ場でキャディをしていたが、のちに現役復帰。経営危機の際の選手が大量離脱後した後の全女を支え、脇澤美穂との『ミホカヨ』コンビで人気者になる。現在は引退し、女優として活動している。
  • 最上眞理
  • 高松和代

※Jd'、大日本に在籍した藤村奈々やFMWに在籍した池田陽子も平成7年組だが、全女でデビューする前に退団した。

[編集] 平成8年(1996年)

小柄ながらもスポーツ万能な選手で、全女入団前は栗栖正伸に師事していた。倒産直後の全女において活躍し、同期の脇澤やIWA・JAPAN元川恵美、Jd'の坂井澄江らとの抗争で名を上げる。WWWA世界シングル王者にも就いた。2003年にフリーとなったが、大江慎(シュートボクシングからUWFインターナショナルに転じた元格闘家)と結婚し、2005年1月7日に引退。現在は一子をもうけ、「U.W.F.スネークピットジャパン」(元UWF宮戸優光が主宰するジム)のコーチを務める。
アニマル浜口門下。中西百重との『ナナモモ』で人気者になった。解散時の全女のエース。プロレスリングSUNを後輩のHIKARU、前村早紀、夏樹☆たいようと共に設立。意見の食い違いから2008年4月に夏樹☆たいようと共に脱退、フリーとなった。
納見佳容との『ミホカヨ』で人気者になった。2001年に引退。2008年からお笑いコンビ「吉川☆ミホカヨ」を結成し修業中。
デビュー時から本名の藤井巳幸で正統派として戦っていたが、2003年にダンプ松本に弟子入りし、スキンヘッドに蠍のペイントを塗って変身。極悪同盟のメンバーになる。2009年4月に引退。
  • 関口瑠美
全女退団後はネオ・レディースの練習生になるが退団。その後女子総合格闘技スマックガールにも参戦するがすぐにフェードアウト。
  • 高橋麻由美
デビュー前に全女を辞めるが、その後、プロレスに対する情熱が忘れなかったため、再入団する。たびたび貧血で倒れていたので、ファンや選手達から『バッタン』の愛称で呼ばれていた。体調不良のため、それ程試合数も多くないまま引退している。
  • 川本八千代

[編集] 平成9年(1997年)

  • 中原奈々
  • 豊田紀子
経営難による選手の大量離脱後に入団した最初の選手。

[編集] 平成10年(1998年)

1998年の第3回ジュニア・オールスター戦を最後に退団。現在は総合格闘家「HARI」として活躍。

[編集] 平成11年(1999年)

デビュー時は本名の塩谷良美で出場していたが、怪我が原因で退団。2002年12月に再デビューし、2003年1月に現在のリングネームに変更。ハッスルにも参戦している。プロレスリングSUNに所属していた。2009年1月に金本浩二との婚約を発表した。2009年4月に現役を引退した。
  • 関綾子
171cm105kgの巨漢で「アサシオ」のニックネームで親しまれたが2000年に退団。

[編集] 平成12年(2000年)

2003年に退団後AtoZに移籍。2006年に退団し現在はOZアカデミー所属。試合中に胸椎と腰椎を負傷しリハビリ中。
  • 寺下ちゑ
全女退団後は出版業に転身、現在は竹書房に勤務しレディースコミック出版に携わる。

[編集] 平成13年(2001年)

2002年に退団後、2003年にAtoZに移籍、リングネームを未来に改名。2005年にフリーとなり、活躍が期待された矢先の9月14日に不慮の事故により急逝。
同期では唯一、全女解散まで在籍。解散後はドリームキャッチャーを経てプロレスリングSUNに所属。2009年4月26日に現役を引退した。
2002年に退団。しばらくのブランクのあと2005年に伊藤薫プロレス教室にて復帰。
新人王となるも2002年に退団。しばらくのブランクのあと2006年に伊藤薫プロレス教室にて復帰。
  • 山根富美子

※女子総合格闘家のberry15(高橋里枝、引退)も平成13年組だが、全女でデビューする前に退団した。

[編集] 平成14年(2002年)

[編集] 平成15年(2003年)

2004年年頭にデビューするも半年で退団。翌2005年に我闘姑娘で「夏樹☆ヘッド」として復帰。2006年にドリームキャッチャーに移籍、プロレスリングSUN旗揚げと共に夏樹☆たいように改名。
  • 廣瀬桂子
  • 高橋裕美

[編集] 平成16年(2004年)

  • プリティ太田(ミゼット)

[編集] 全女に参戦した主な外国人レスラー

  • ミルドレッド・バーク
日本に初めて女子プロレスを伝えた人物とされる。
  • サンデー・スター
  • サラ・リー
  • サンデー・パーカー
  • バンビ・ボール
  • リーナ・マニャーニ
  • ローラ・ガルシャ
  • ジャッキー・ウエスト
  • ファビュラス・ムーラ
  • パンテラ・スレーニャ(ラ・ギャラクティカ)
  • スーザン・セクストン
  • モンスター・リッパー
  • デブラ・ミセリー(メドゥーサ)
  • デビー・マレンコ
  • テリー・パワー
  • シェリー・マーテル
  • レイ・ラニ・カイ
  • ジュディ・マーチン
  • ベルベット・マッキンタイヤー
  • ペニー・ミッチェル
  • ウェンディ・リヒター
  • ローラ・ゴンザレス
  • イルマ・ゴンザレス
  • イルマ・アギラール
  • スーザン・スター
  • トレーシー・リチャード
  • シンティア・モレノ
  • アルダ・モレノ
  • レジー・ベネット
  • ユーコン・エリカ
  • スレイマ
  • タニア
  • ネグロ・サルバヘ
  • ロッシー・モレノ
  • デズリー・ピーターセン
  • ドン・マリー
  • デスピナ・マンタガス
のちにターザン後藤と結婚。FMWでは「デスピナ後藤」をリングネームとして参戦、夫とタッグを組んで「男女混合タッグマッチ」も行った。

[編集] 女子プロレス殿堂

1998年11月29日に横浜アリーナで開催された30周年記念興行にて殿堂入り人物が発表され、全女30年の歴史に貢献した選手及び関係者のみならず日本女子プロレス史において多大な功績を残した人物が顕彰された。

[編集] 殿堂入り人物

  • 赤木マリ子
  • ライオネス飛鳥
  • マッハ文朱
  • 北斗晶
  • 星野美代子
  • 猪狩定子(日本初の女子レスラー)
  • 池下ユミ
  • アジャ・コング
  • 京愛子
  • 万年東一(初代会長)
  • プラム麻里子
  • デビル雅美
  • ダンプ松本
  • ジャンボ宮本
  • モンスター・リッパー
  • 長与千種
  • ブル中野
  • 小畑千代
  • 大森ゆかり
  • ジャッキー佐藤
  • 志生野温夫(実況アナウンサー)
  • 巴ゆき子
  • マキ上田
  • 植田信治(コミッショナー)
  • 柳みゆき
  • ジャガー横田


[編集] 関連項目

  • 寺田恵子五十嵐美貴 - 共に、SHOW-YAメンバー。1997年から2000年まで「全日本女子プロバンド」というロックバンドを行った。
  • 遙かなるリング - 女子プロレスを題材にした漫画作品。作者は執筆にあたり、全日本女子プロレスを取材しており、登場する団体が全女がモデルになっているため、掲載当時の全女の光景を見ることが出来る。

[編集] 参考資料

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 04:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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