全日本歌謡音楽祭
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全日本歌謡音楽祭(ぜんにほんかようおんがくさい)は、テレビ朝日の主催により開催された音楽祭である。
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[編集] 概要
1975年12月、『あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』と題し、第1回授賞式がコンテスト形式で開催された。
各賞はANNフルネット局の視聴者からの投票により授与された。
同音楽祭のテーマ曲には小川寛興が担当。会場は赤坂プリンスホテル、中野サンプラザ、日本武道館であった。
のちに審査員による審査方式へ変更になり、『全日本歌謡音楽祭』と改題された。
しかし、平成に入ると、音楽祭に対する考えの変化から、音楽賞に左右されない音楽活動を行うアーティストが増加、それに比例してノミネートを辞退するアーティストも増加していく。このため、『日本テレビ音楽祭』、『FNS歌謡祭』、『日本歌謡大賞』や『メガロポリス歌謡祭』など、放送局主導による音楽祭の廃止が相次ぐ中、この『全日本歌謡音楽祭』も使命を果たし、第16回(1990年)限りで打ち切られた。
その後は1991年に『夢の音楽祭』(とはいっても歌手たちのパーティー)が放送され、1992年より『ミュージックステーションスーパーライブ』に引き継がれた。
[編集] 発表形式
- 1984年までの「ゴールデングランプリ」の発表形式は従来の司会者などの受賞者の読み上げではなく、コンピューターで発表。テレビ朝日アナウンサーが「コンピューター スイッチ・オン!」の後にグランプリ・ノミネートの名前が全て出た後、ゴールデングランプリの受賞者を発表された。
[編集] 表彰規定
- ゴールデングランプリ
- 視聴者投票の最も多かったアーティストに授与。末期にはテレビ朝日系列の音楽番組での活躍が顕著で、且つ優秀な歌手に対して授与された。
- 最優秀新人賞
- 本年度にデビューした歌手を対象とし、視聴者投票の最も多かったアーティスト男女1名ずつに授与。末期にはテレビ朝日系列の音楽番組での活躍が顕著で、且つ将来性が期待できる歌手に対して授与された。
[編集] 歴代受賞一覧
[編集] ゴールデングランプリ
| 年(回) | 受賞歌手 | 受賞曲 |
|---|---|---|
| 1975年(第1回) | 布施明 | 「シクラメンのかほり」 |
| 1976年(第2回) | 五木ひろし | 「どこへ帰る」 |
| 1977年(第3回) | 沢田研二 | 「勝手にしやがれ」 |
| 1978年(第4回) | 沢田研二 | 「LOVE (抱きしめたい)」 |
| 1979年(第5回) | 西城秀樹 | 「勇気があれば」 |
| 1980年(第6回) | 五木ひろし | 「ふたりの夜明け」 |
| 1981年(第7回) | 寺尾聰 | 「ルビーの指環」 |
| 1982年(第8回) | 五木ひろし | 「契り」 |
| 1983年(第9回) | 松田聖子 | 「ガラスの林檎」 |
| 1984年(第10回) | 中森明菜 | 「十戒 (1984)」 |
| 1985年(第11回) | 近藤真彦 | 「大将」 |
| 1986年(第12回) | 中森明菜 | 「Fin」 |
| 1987年(第13回) | 近藤真彦 | 「泣いてみりゃいいじゃん」 |
| 1988年(第14回) | 昭和天皇の病状悪化により中止 | |
| 1989年(第15回) | 光GENJI | 「太陽がいっぱい」 |
| 1990年(第16回) | 堀内孝雄 | 「恋唄綴り」 |
[編集] 歴代司会者一覧
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最終更新 2009年7月6日 (月) 09:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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