八木沼純子

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八木沼 純子
Junko YAGINUMA
基本情報
代表国: 日本
生年月日: 1973年4月1日(36歳)
出生地: 東京都
身長: 157cm
体重: 44kg
元コーチ: 福原美和
所属クラブ: 品川プリンスクラブ
引退: 1995年

八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日 - )は、日本女性フィギュアスケート選手で、現在はプロスケーターおよびスポーツコメンテーターなどで活動中である。マネジメント契約先はスポーツビズ愛称は「ジュンジュン」。

目次

[編集] 来歴・人物

東京都港区出身。森村学園初等部、公立小学校、品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部を卒業。

1988年、14歳の中学3年生にしてカルガリーオリンピック代表に選出された際、美少女系の端麗な容姿から当時「国民的美少女」と謳われた人気中学生女優・後藤久美子になぞらえて「銀盤のゴクミ」と呼ばれ人気を博す[1]ポニーテールの髪型と赤い頬がトレードマークだった。ポニーテールは1988-89シーズンまで続けたが、1989-90シーズン以降は髪型をショートカットにしている。

1995年にプロスケーターに転向。その後はスポーツキャスター、解説者など多方面で活躍。

2009年6月、1歳年上の会社員の男性と婚約。挙式披露宴は同年9月に東京グランドプリンスホテル高輪にて行なわれた[1]

家族は工業デザイナーの父と母。森村学園で福原美和コーチの1学年上であった。また、内閣総理大臣を2度務めた松方正義及び山本権兵衛玄孫にあたる。

[編集] スケーターとして

5歳からスケートを始める。品川プリンスクラブに所属し、福原美和に師事。日本人初の世界ジュニア2位入賞者(2回)である。

1987年オーストラリアブリスベーンで行われた世界ジュニアでは規定、ショートプログラムともに1位だったが、フリーでクリスティー・ヤマグチ柏原由紀子に次ぐ3位となり、総合2位で優勝を逃す。

1988年カルガリーオリンピックの代表選考会を兼ねた全日本選手権では、伊藤みどりの選出が確実視される中、残り1人の出場枠を有力視されていた小沢樹里加藤雅子結城幸枝の大学生トリオと争い、初出場の八木沼が初日のコンパルソリーで1位になり、ショートプログラム時点ではジャンプのミスが目立って総合4位へ後退するものの、フリースケーティングで巻き返して総合で2位となり、14歳の中学3年生にして五輪出場権を獲得(第2次世界大戦後の冬季オリンピック女子代表選手としては最年少)。3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。カルガリー五輪本番では調整に失敗し、規定で出遅れ、フリーでは健闘するも相次ぐ転倒で14位に終わる。また、フリースケーティングの際のコスチュームを全日本選手権では白だったのを五輪と同年開催の世界選手権ではピンクに変更している。

1989年、まだ優勝の無かった全日本ジュニア制覇と世界ジュニア日本人初優勝を目指し、シーズン前半をジュニアに留まったが、全日本ジュニアではフリーで同期のライバルだった佐藤有香に逆転され2位。世界ジュニアでも2位に終わる。その後、全日本、東日本などでは表彰台には登るものの、ついに日本スケート連盟主催の全日本クラスの選手権では優勝を果たせなかった。その後も、アルベールビルオリンピックリレハンメルオリンピックの出場を目指したが代表入りはならなかった。

彼女にとって最後の94-95シーズンはNHK杯に出場し、3位入賞(1位陳露、2位ボナリー)。1995年3月、通算7度目となる世界フィギュアスケート選手権大会出場(12位)を最後に、アマチュア競技者として引退。

その後プロスケーターに転向、プリンスホテルが運営する、プロフィギュアスケート「プリンス・アイスワールド」の一員となった。

[編集] スケーティング技術

端麗な容姿という事もあって表現力が豊かで、アマチュア時代当時の6.0システムによる採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。スピンの技術が高く、中でもレイバックスピンの美しさには定評があった[2]

ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、トリプルルッツは小学校5年生の時にに初めて飛べた[3]が、アマチュア現役時代はトリプルルッツを苦手としていて、転倒したり回転不足だったりする事が多かった[4]

[編集] 略歴

  • 1973年4月 - 東京都に生まれる
  • 1995年 - 早稲田大学卒業 4月 - 株式会社プリンスホテル入社 プリンスアイスワールドに所属しプロスケーター活動 10月よりフジテレビの「FNNスーパータイム」のスポーツキャスターを担当。その後「FNNザ・ヒューマン」、「スーパーニュース」のスポーツと3年半務めその間に96年アトランタオリンピック98年長野オリンピックレポーターとして現地取材班として活動する
  • 1999年 - 4月より、フリーとして活動、テレビ朝日系、「チャレンジ!夢・スポーツ」のナビゲーター  フィギュアスケート「四大陸選手権大会」のリポーター/解説
  • 2000年 - 「熱闘甲子園」メインキャスターを担当する 「2000年世界プロフィギュアスケート選手権」解説など
  • 2001年 - 「2001 国際オープンフィギュアスケート選手権大会」解説者として 1月4日・代々木「フィギュアスケート四大陸選手権2001」解説リポーター  「フィギュアスケート世界選手権大会2001」解説/リポーター
  • 2002年 - 「2002ソルトレイク冬季五輪」フジテレビ現地キャスター  「世界フィギュア選手権大会」解説/リポーター
  • 2003年 - 世界フィギュアスケート選手権大会、グランプリシリーズの解説
  • 2006年 - トリノ冬季五輪にて自身4度目となる現地五輪キャスターを務める
  • 2007年 - 「JOCスポーツ環境委員会」環境アンバサダーに就任。

[編集] 主な戦績

大会/年 1986-87 1987-88 1988-89 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95
オリンピック 14
世界選手権 21 15 12 11 19 DNQ 12
全日本選手権 2 2 3 3 3 2 4 2
NHK杯 6 8 5 12 3
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 7 2 2
全日本Jr.選手権 2 2 2

[編集] 家族

  • 工業デザイナーの父と母(森村学園で福原美和の1学年上であった)

[編集] テレビ出演番組

[編集] ラジオ出演番組

レギュラー出演
ゲスト出演

[編集] 書籍

[編集] 脚注

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  1. ^ 八木沼純子“懐の深い”37歳会社員と結婚 スポーツニッポン 2009年6月2日
  2. ^ 1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。
  3. ^ 2008年12月7日放送『YOSHI!SPO!VITAL!』(関西テレビ第36回 フィギュアスケート
  4. ^ 1989年のNHK杯のフリースケーティングでは解説者の不安をよそに見事成功させた。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月30日 (月) 11:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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