公開処刑
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公開処刑(こうかいしょけい)とは、見せしめなどの為に公開で行われる処刑である。さらし台のように、公開されることそのものが罰となる場合もある。前近代社会では、見せしめ効果を狙って、処刑が公開されるのは普通のことであった。
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[編集] フランス
フランスでは、ジャンヌ・ダルクの火刑や魔女狩りによる魔女の火刑など中世の死刑などは公開される娯楽として扱われた。フランス革命時に、貴族への公開処刑が、首切り役人による公開の斬首刑から変更されたギロチンにより多数行われた。
フランスでは1939年までギロチンの処刑が公開された。公開処刑は常にお祭り騒ぎで、最後の処刑では周囲の建物までが見物のため貸切られるありさまであり、このような蛮行は国民道徳によくないとして、ついに公開は停止されるに至った。
[編集] イギリス
イギリスの公開処刑は、一般庶民から国王(チャールズ1世)に対してまで行われていた歴史を持つ。庶民の娯楽となっていた点はフランスと同じで、ロンドンのタイバーンは、12世紀から18世紀にかけて絞首刑の刑場とされていた。1724年のジャック・シェパードの処刑では、当時のロンドン市の人口の3分の1にあたる20万人以上が繰り出したという。
タイバーン刑場は1783年に閉鎖されたが、ニューゲート監獄に場所を移して公開処刑は続けられ、1807年には殺到した見物客100人以上が圧死する事故も起きている。イギリスにおいて公開処刑が完全に廃止されたのは1868年であった。
[編集] イタリア
かつてのローマ時代には、コロッセオにて市民の娯楽にまで高めた形の公開処刑が行われていた。中世から近世にかけても、公開処刑はカンポ・デイ・フィオーリ広場など国内数カ所で行われている。アレクサンドル・デュマ・ペール著「モンテ・クリスト伯」の中には、ローマの公開処刑をモチーフにした節が登場する。
[編集] 日本
日本の江戸時代以前の死刑は、身分が高い者の切腹などを除き、殆どが公開で行われた。特に戦国時代から安土桃山時代にかけて盛んに行われ、豊臣秀吉による甥の豊臣秀次の妻子の斬首刑や、石川五右衛門の釜煎(いわゆる釜茹で)などは有名である。
それまでの死刑を引き継いだ江戸時代の刑罰では、磔(はりつけ)、火罪(火あぶり)などは公開で行われ、鋸挽き(のこぎりびき)は元々処刑に一般市民を参加させる方式である(ただし実際に挽かせることはなく、市中引き廻しなどと同じく、晒しの効果を目的としていた)。また、獄門は斬首刑後の死体を公開する刑である。
明治時代になってからは、西洋の法制度が移入され、公開処刑は廃止された。
[編集] 第二次大戦中と戦後のヨーロッパなど
第二次大戦中のナチスが、占領先のパルチザンなどを捕らえて、絞首して木に吊るすなどして見せしめにしていたところを捉えた写真が多数残っている。ベルリン陥落時には、自国の逃亡兵が相次いだが、これらを捕らえて即決の軍事裁判で死刑とし、「妻子と祖国への義務を怠ったため、私はここに吊るされている」というプラカードを首から提げて、街灯に吊るされている光景が、いたるところで見られた。
また、ナチス敗北後、欧州全域でナチスやその協力者に対する激しい粛清が行われた。特に憎悪の対象となったのが、自国民の中から出た対独協力者で、多数の人間が群衆の面前でリンチされたり、絞首・銃殺により処刑された。現在それらの様子をとらえた少なからぬ動画が残されている。
[編集] 中華人民共和国
中国は最近まで公開処刑を行っていた。世界最大の人口を誇る中国で全世界で執行される死刑の90%以上を行っているため、まとめて数人の被告人の公開裁判を行い、そして公開処刑するケースが多い。そのような画像は各種報道やインターネット上で公開されていた。例えば2005年3月15日の「デイリーチャイナ紙」によると、1995年のクリスマスの一週間前、中国のシェンチェンで13人の犯罪者が2万人の市民たちの前で公開処刑された。その1ヶ月後の1996年1月20日には、また14人が同じ場所で公開処刑され、2月13日には16人が公開処刑されたという。また、同じ頃に北京でも8人犯罪者が公開処刑されたとのことである。また、 デイリーチャイナ紙のインターネットサイトのWebサイトでは、銃殺による10人の女性の同時公開処刑の画像を掲載している。またその他の公開処刑の画像では競技場らしい場所(観客席や電光掲示板がある)でも行われているようである。これは多くの人権団体から批判された。しかし北京オリンピックを間近に控えた2007年以降公開処刑を行っていない。また銃殺から薬殺に変更されている。
[編集] 北朝鮮
北朝鮮も公開処刑の噂が絶えない国である。1990年代から件数が増加したと言われており、1998年に金正日の「頭に悪い物が詰まっているのだから頭を撃ち抜け」という命令が行われてからは、頭を射撃する銃殺刑が多く行われるようになったという説がある。
その他の処刑方法については絞首刑や火刑が行われているという説がある。処刑後、見学者全員に対して遺体に石をぶつけるように命令されたという亡命者の証言がある。
2002年以降は食糧難、経済難から中国へ無断渡航する者、韓国への亡命失敗者が後を絶たぬため、見せしめに街中の広場で2、3ヶ月に一度行われている。これは強制収容所の収容者が満員になっているためという説もある。 死刑になるのは『反国家犯罪』、『国家転覆陰謀罪』、『テロ罪』、『祖国反逆罪』の罪だが、独裁体制であるためその適用範囲は曖昧であり、脱北または窃盗という軽犯罪(ニュースでは電線を盗んだだけ、脱北を支援しただけで死刑と紹介されていた)でも死刑になる。
2007年10月22日にAFP・時事通信が配信した情報によると、韓国の北朝鮮支援団体「良き友達」のニューズレターは、平壌北郊にある順川の屋外競技場で10月5日、公開処刑を見に来た群衆が折り重なって倒れ、6人が死亡、34人が負傷したと伝えている。それによると、処刑されたのは、父親がかつて反共産主義活動をしていたことを隠し、自らも違法な投資などをしたとされる75歳の工場経営者とされる。同競技場には約15万人が詰め掛け、死傷した人々は、処刑終了後に一斉に帰り始めた群衆に踏み付けられたという。なお、韓国の統一省や情報機関・国家情報院の当局者は同事故を確認していないとのこと。
[編集] イスラム教国の一部
イスラム教の支配力の強い一部の国でも、公開処刑が行われている。斬首刑のほか、石打ち刑のような、見物人が執行に直接加わる形の処刑もある。アフガニスタンではタリバン政権時代に公開処刑が盛んに行われていた。たとえば2001年8月8日に、前年に爆弾を爆発させた容疑で有罪判決を受けた男性4人がカブールの大統領公邸近くでクレーン車から吊るされて処刑されたとの報道があった。
サウジアラビアでも基本的に死刑執行は全て公開処刑で行われており。国内ではテレビ中継されている[要出典]。これは法制度がイスラム教ワッハーブ派の教義に基づいているためである。
[編集] 公開処刑が残っている国
公開処刑は近代合理主義に基づく民主主義国家体制ではない体制を持つ国家で行われることが多い。前述の北朝鮮、アフガニスタン、その他のイスラム国家である。主要な民主主義国家では、公開処刑は20世紀初頭でなくなっており、そもそも欧州諸国をはじめ、死刑制度自体を廃止またはその執行を停止している国も多い。
民主主義国家では条件付きながらアメリカがあげられる。州と事件性を考慮され、ティモシー・マクベイたちによるオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件のようなあまりに社会的反響が大きな事件の場合、遺族に限って死刑執行が公開されることがある。また厳密には公開処刑と呼べないかもしれないが、邪悪な連続殺人犯だと、生きているという噂を防ぐ為、死後死体を写真で公開することがある。
日本では公開処刑は認められていないが、法律上では許可が得れれば見られることになっている。ただし、実際に許可が出たケースはない。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年8月19日 (水) 04:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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