六合村
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六合村 (くにむら) は、群馬県北西部、吾妻郡の人口約二千の村である。
目次 |
[編集] 概要
山合いの閑静な村で、総面積の大半を山林原野が占める。新潟や長野との県境を有するが、登山道を除き村から直接の県外へと抜ける交通路は整備されていない。村域の中北部に尻焼温泉、花敷温泉があり、長野県との県境付近には野反湖がある。
[編集] 地理
[編集] 隣接自治体
[編集] 歴史
1900年(明治33年)に草津村から分かれ村制を施行、1889年(明治22年)の合併により草津村となる以前にはそれぞれ独立した村であった小雨、赤岩、生須、太子(おおし)、日影、入山の6つの大字を合わせたことから「六合」の名が生まれた。
[編集] 年表
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、吾妻郡草津、前口、小雨、赤岩、生須、太子、日影、入山の8箇村が合併し、草津村が誕生。
- 1900年(明治33年)7月1日 - 草津村のうち、小雨、赤岩、生須、太子、日影、入山が六合村として分立する。草津、前口は草津町となる。
- 1945年(昭和20年)1月2日 - 日本鋼管群馬鉄山専用線 長野原~太子間開業。
- 1952年(昭和27年)10月1日 - 日本鋼管群馬鉄山専用線を長野原線に移管。
- 1954年(昭和29年)6月21日 - 長野原~太子間旅客営業開始。
- 1963年(昭和38年) - 群馬鉄山が閉山。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 長野原~太子間貨物営業廃止。
- 1970年(昭和45年)11月1日 - 長野原~太子駅間営業休止。
- 1971年(昭和46年)
[編集] 「六合」を「くに」と読む由来
古事記上巻序文に「乾符を握って六合を総べ」、日本書紀の神武天皇即位のくだりに「六合を兼ねて以って都を開き」とあり、「六合」とは天地と東西南北、すなわち支配の及ぶ範囲「国」を表すことから、「六合」を「くに」と読んでいる。 なお、「古事記に「天地四方を以って六合と為す」という文が登場することから「六合」を「くに」と読む」という由来は俗説であり、古事記には「天地四方を以って六合と為す」という文はない。
[編集] 人口
| 六合村と全国の年齢別人口分布 | 六合村の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 六合村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 教育
- 高等学校
- 中学校
- 六合村立六合中学校
- 白根開善学校中等部
- 小学校
- 六合村立六合小学校
[編集] 交通
[編集] 人物
[編集] 出身著名人
[編集] 六合にゆかりのある著名人
- 真田昌幸(岩櫃城攻撃にあたり、暮坂峠越えのルートをとっている。)
- 高野長英(逃亡中に一時、赤岩地区に隠れ住んだと伝えられる。)
- 佐久間象山(沓野日記で資源調査のために六合村北部地域を訪れている。)
- 若山牧水(みなかみ紀行で六合村を訪れている。)
- 長島一茂(ごく短期間であるが、白根開善学校中等部で中学時代をすごしている。)
[編集] 外部リンク
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