内ゲバ

内ゲバの最新ニュースをまとめて検索!

内ゲバ(うちげば)は、内部ゲバルト(ゲヴァルトとも。独:Gewalt、威力・暴力)の略で、一般的[誰?]には、新左翼新右翼など政治団体・運動における党派間の暴力を伴った内部抗争を指す。

ロシア革命後の政府内の抗争や、内戦直前および内戦中のスペイン人民戦線の内部抗争も「内ゲバ」ではあるが、一般的[誰?]には日本国内の事例を指す用語である。しかし海外[誰?]の事例であっても、左翼間での暴力的な党派衝突については内ゲバと表現するケースもある[誰?]。なお、同一党派内部での主流派、反主流派の暴力的な衝突については内々ゲバと表現される[誰?]

目次

[編集] 概要

国家権力の暴力装置(警察等)に対する暴力=ゲバルトを公然と表明する新左翼であるが、革命という共通した目的をもつ左翼陣営の内部[1]にありながら、路線対立・ヘゲモニー争いを理由に、ある党派が別の党派に暴力を行使する。これを内部ゲバルトといい、日本でも学生運動で新左翼の分裂が始まった60年代初期から発生していた。初めは集団の小競り合い程度だったが、後に党派思想に反対する個人を拉致しリンチを徹底的に加えるという陰惨なものになっていく。また新左翼の街頭武装闘争が激しくなるにつれて、集団での抗争も武器がエスカレートし激しいものとなっていった。こうして60年代の後半以降はあらゆる新左翼党派間に内ゲバが蔓延した。特に中核派革労協革マル派との間の内ゲバは激しく、70年代には殺し合いの状態になり、革マル派が中核派と革労協の最高指導者を暗殺したことで、内ゲバは「戦争」状態となった。

内ゲバによる死者は100名以上、負傷者は数千人と言われている。内ゲバの巻き添え、あるいは攻撃側の誤認によって死傷したノンセクトや一般人も少なくない。これらは「誤爆」と言われた。しかし誤爆について、実行した党派が謝罪したケースはほとんどない。

また、大衆運動、学生運動の全盛期には、それらを内部分裂から自滅へ導くため、公安警察が各セクトにその敵対者の所在情報を巧みにリークするなどし、内ゲバを裏で手引きすることもしばしばあった。敵対党派を互いに「警察の手先」と非難するのはこのためであるが、実際に内ゲバで殺された中には、スパイとして潜入していた警察官もいたという。こうした学生運動の変遷は社会主義や共産主義に対する幻滅を生み、彼ら新左翼が忌み嫌っていたはずのスターリン主義の思想とも重なり、運動の衰退を決定づけてゆくこととなる。 なお最大の内ゲバ状態にあった中核派と革マル派の抗争については両派トップの会談によって停戦状態になったとされているが、両派ともに公表していない。

1984年1月に、三里塚空港反対同盟の分裂をめぐって、中核派が第四インター関係者を襲撃して大怪我を負わせた。死者はいなかったものの、アイスピックで大腿部を刺して、ガス壊疽を発症させ、左脚切断を余儀なくさせられた者や、頭蓋骨骨折の重傷者を出している。これに対して、第四インターは抗議声明を出すものの、元から「内ゲバ主義反対」を主張していたことから、暴力で反撃することはしなかった。これは中核派による一方的な内ゲバと位置づけられている。ただし第四インターも拠点校では暴力により対立党派を威圧することもあったため、常に内ゲバ反対という立場を貫徹していたわけではない。

新右翼(民族派)においても、「スパイ」リンチ殺人事件など少数ではあるが内ゲバともいえる事件が発生している。

かつて、凶器は鉄パイプバールなど「凶器となりうるもの」を使用し、殺害そのものを目的しない方法がとられてきた(革マル派は「教育的措置」と称したため、さらに他党派の憤激を買った)。しかし、1990年代以降の革労協などは包丁飛び道具など、まるで暴力団抗争の如き内ゲバを演じてきた。ここまでくると、もはや思想云々ではなく、「殺人」を目的にしている戦争とも言われている。

また、さらに大抵の内ゲバは組織的な犯行で、盗難車を使って別のメンバーが退路の確保、覆面姿で襲撃を行うことが多いため、誰が襲撃に関与したのか特定しにくい。また1人1人の罪が軽くなるという狙いから集団で行っているため、匿名性の高い暴力となっている。以上のことから、白昼に行われた内ゲバ殺人事件や、機関紙で犯行を自認したような事件でも公訴時効となり犯人を検挙できなかった事件は少なくない。

[編集] 内ゲバの歴史

[編集] エピソード

  • 恋人同士でありながら中核派に属した奥浩平と革マル派のシンパとなった中原素子。愛し合っていた2人だが、党派の争いが激化していく中で2人の関係も引き裂かれていく。それが理由の一つで奥は自殺する。彼の遺稿『青春の墓標』に描かれた2人の関係は「学生運動のロミオとジュリエット」と呼ばれた。
  • 中核派最高幹部陶山健一と、革マル派幹部鈴木啓一(森茂)は血をわけた兄弟。2人そろって東大に入学し革共同に加盟するが、分裂後はそれぞれ中核派と革マル派に分かれた。平成9年1月の陶山の葬儀には鈴木の姿はなかった
  • 左翼の内ゲバから転じて、政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間間の対立、仲間割れによる不毛な暴力を伴った論争を称する「内ゲバ」という言葉が一般に定着。皮肉にも本来のゲバルトより幅広く末永く、新左翼が社会的に衰退した今なお用いられている(単語としての具体的な出典・日時は不明)。

[編集] 参考

[編集] 脚注

  1. ^ この場合の「内部」とは、あくまで「新左翼諸党派に属さない者」が、「党派は違えど、同じ新左翼に属する」とみなしていることによる。現に「内ゲバ」を行っている党派において、「内ゲバ」の対象たる他党派は、「敵対集団」「反革命」であり、内部と見なしていない。よって、党派は自らの行為を「内ゲバ」と呼ばず戦争と表現する。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月13日 (金) 06:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【内ゲバ】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!