内務班

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内務班(ないむはん)は、軍隊等の営内居住者等を以て組織された単位である。

[編集] 日本陸軍

大日本帝国陸軍中隊等に平時において置かれた組織で、陸軍の最小単位であった。16人部屋2部屋を1班とする説もあるが、実際には人数は決まっておらず様々であった。班長は軍曹であり、軍曹の下に班附として伍長が二人付いた。戦時にはこの一部屋を母体として小隊を構成した。

2年現役制では、班の兵はニ年兵(2年目の現役兵)と初年兵(1年目の現役兵)から成っており、2年兵は初年兵を指導するものとされた。班では上等兵のうちから初年兵掛を任命し、初年兵の日常生活の躾をさせた。班長・班附の下士官は内務班の隣に別に下士官室を持っていて、そこで起居していたが、あまり内務班そのものには出現せず、専ら初年兵掛が班内の統制をとっていた。更に一人の初年兵につき一人の2年兵が「戦友」として割当てられ、隣同士の寝台で起居を共にした。そのため「寝台戦友」とも云った。初年兵は自分の「戦友」の身の廻りの世話を焼き、洗濯などを引受けた。戦友も初年兵が出入りを制限されている酒保から菓子を買ってきて差入れたり、私的制裁から保護したりして、面倒をみた。 教練は班ごとと云うのではなく、中隊の初年兵を中隊附将校から出る初年兵掛教官が教育計画に従って行った。班長・班付は助教として教練に出場し、ニ年兵の上等兵のうちから助手が出て模範動作をするなどして教育を補助した。 一年志願兵(のちの幹部候補生)や師範学校卒業者の短期現役兵、原隊入営中の幼年学校生徒などはそれだけを集めた内務班(古兵が2~3名附く)を構成することもあったが、普通の内務班に混入することもあり、部隊や時代によって異なる。 動員下令時には応召兵が班に入ってくるので、通常の班内秩序が崩壊し、幹部の統制が及ばない混乱が生ずることもあった。また今次大戦の終戦近くなると、根こそぎ動員のため学徒兵と中年ないし体格劣弱の補充兵が大量に班内に起居することになり、幹部もほとんどが老若取混ぜた予備役応召者で、人間関係にさまざまな葛藤が生じた。 一般の2階建木造兵舎の内務班の場所は各階に設けられていたが、1階には班の他に中隊長室・将校室・事務室・兵器庫・被服庫・陣営具庫などがあった。厠と面洗所は兵舎の裏側にあり、屋根附の渡廊下があるのが普通であった。炊事場、浴場と物干場(『ものほしば』と読む。現在の自衛隊では『ぶっかんば』)は各中隊共同のものがあった。

日本陸軍の歩兵連隊等においては平時編制では中隊の下の小隊分隊は存在せず、戦時編制になった時に初めてそれらが編成される。また人数的にも平時では定数の半数程度の人員(職業軍人及び現役兵)のみで構成されている。内務班に所属するのは基本的に徴兵検査で選抜されて兵役を送る現役兵であり、動員がかかり戦時編制となった時点で召集令状赤紙)によって招集された応召兵が配属されて初めて定数に達する。組織的にはこの時点で小隊と分隊が編成される事になる。小隊長は平時に中隊附となっていた中尉少尉であり、分隊長は内務班のリーダーである軍曹である。ただし人員の都合により小隊長に准尉(特務曹長)・見習士官(曹長)・曹長をあて、分隊長に伍長・古参の上等兵を充てることもあった。

内務班の行動は、歩兵内務書(1872年、後に軍隊内務書(1888年)、軍隊内務令(1943年)と改められる)で決まっていた。最後の軍隊内務令では17章362条にわたって様々なことが事細かに規定されていた。

新兵の教育は、この内務班で行われた。この内務班で「しごき」と私的制裁が横行したことは良く知られている。

なお、陸上自衛隊では、同様の単位を「営内班」と呼称している。

[編集] 航空自衛隊

航空自衛隊でも「航空自衛隊基地服務規則」(平成5年2月22日航空自衛隊達第6号)などに基き、内務班が組織されている。

部隊等の長又は基地司令等は、部隊等の団結の基礎を確立し、基地内生活の主眼の具現徹底を図るとともに、勤務時間外における人員の掌握を容易にするため、営舎内に居住する空曹及び空士(以下「営内者」という。)をもって、適宜内務班を編成し、内務班に班長を置く。内務班長は、営内者の指導に任ずる。

最終更新 2009年11月11日 (水) 11:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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