内川聖一
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| 横浜ベイスターズ #2 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1982年8月4日(27歳) |
| 身長 体重 |
184cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 一塁手、外野手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2001年3月30日 |
| 年俸 | 8,500万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 高校時代
大分工高時代は、骨膿腫[1]により左かかとを3回に渡って手術しながらも、通算41本塁打を放った。3年夏の大分県大会には遊撃手として出場し、チームは準優勝。
当時大分工高の監督でもあった父親が法政大学出身だったため、内川も法大進学が確実視されていたが、横浜のドラフト1位指名を受けて入団。広島も指名予定だったが、事前に拒否した。
[編集] プロ入り後
1年目から1軍を経験。プロ入り2年目の2002年から主に代打として42試合に出場。70打席ながら打率.333、2本塁打と打撃センスを見せる。
2003年の春季キャンプ中、突如右目の視力が極端に悪くなり、開幕を二軍で迎えた。シーズン途中に不調で二軍落ちした石井琢朗に代わり、5月から2番遊撃手のレギュラーに定着する。しかし原因不明の体調不良が続き右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすらできなくなったため、6月に登録抹消。9月に一軍復帰した後は二塁手で起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因はアゴが右側に曲がり頚椎の神経を圧迫していたことと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増された(整形はせず奥歯のかみ合わせを矯正する事によって問題を解消した)。
2004年、7番二塁手として初の開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁スタメン出場が多くなった。打撃では自己最多の17本塁打を放ち、得点圏打率は4割後半を記録した。
2005年、堅守の二塁手種田仁が打撃好調だったため、慣れない左翼手のポジションを小池正晃や古木克明と争うが、後半戦のレギュラーは守備力の高い小池に固定され代打での出場が多くなった。
2006年には打撃不振の種田に代わり二塁手に復帰するが、佐伯貴弘を筆頭にチームに故障者が相次いだことや、自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった。初めて100試合出場を達成したが、最終規定打席(452)には届かなかった。
2007年、多村仁の移籍や自身の守備難により本格的に外野手へコンバートされ、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず二軍落ちも経験するが、一軍復帰後の8月には打率.448を記録し復活した(このシーズンはプロ入り後初めてシーズン通し外野を守った)。
2008年は開幕から打撃好調で、佐伯の不振により4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で初出場(外野手部門)、2試合を通じて5打席連続安打を記録し、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。レギュラーシーズンにおいて右打者としては1999年のロバート・ローズを抜き、日本人選手のセリーグ記録も更新する打率.378をマークし(それまでは1951年の巨人の川上哲治の.377でわずか1厘差)、自身初の首位打者に輝いた。このシーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得している。また、得点圏打率も両リーグトップの.449をマークした。
2009年、WBC日本代表に選出され第1ラウンド2回戦の韓国戦に6番ファーストで先発出場。金廣鉉(キム・グァンヒョン)から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位決定戦の韓国戦でも、先制された直後に張洹三からレフトスタンドに同点本塁打を放った。2009 ワールド・ベースボール・クラシック 決勝の韓国戦では7番レフトとして出場し、5回裏の守りでは高永民が打った鋭い当たりにスライディングで突っ込み、正確な送球で打者走者を二塁でアウトにする好プレーを見せた。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者としてライト前ヒットを打ち、日本勝ち越しとなるイチローの2点タイムリーを呼び込み、決勝点のホームを踏んだ。WBCでの成績は6試合で、主に左投手対策の左キラーとして起用された。18打数6安打1本塁打、打率.333。
この年は、新加入のダン・ジョンソンが左翼手を守ることになっていたが、そのジョンソンがキャンプで膝を負傷したことと、本職が一塁手であったことから、再び左翼手に戻っている。
また、3月30日のオープン戦にて欠場した村田修一に代わり初の四番打者となり、全打順での試合出場を達成している。
10月5日、フジテレビの長野翼アナウンサーとの真剣交際が明らかになった[2]。
[編集] 人物
- 顎が非常に長く、試合中のベンチで佐伯やドミンゴに顎で遊ばれているシーンが見られる。特に佐伯は内川の顎にコールドスプレーをかけることもある。
- 2004年に3打席連続本塁打したときはマスコミから「アゴジラ」と呼ばれたが、本人は気に入らなかった様子で「顎を強調されるのはいいんですが、ゴジラはちょっと…」とコメントしている。ちなみにこの時、横浜の選手達は通常のハイタッチだけではなくアゴタッチをして祝福していた。
- 楽天コーチの吉田豊彦とは子供のころからの知り合いである。
- マーク・クルーンのジャパニーズネーム「タカユキ」の名付け主。
- 愛子内親王が自分のファンであることを観覧試合の前に聞かされて「僕でいいのかな」とコメントしている(2009年7月12日スポーツニッポン、内川のブログ)。
- 2009年のWBCでも本塁打を打ってベンチに迎えられる時も片岡易之や中島裕之からアゴタッチをされていた。
[編集] プレースタイル
- チャンスに強く、高い打率を誇り、二桁本塁打をコンスタントに打てる好打者。2008年の好調は、杉村コーチと取り組んだボールを体の近くまで引き付けて打つスイングへの打撃改造によるもの。
- 二塁手時代は近距離イップスによる悪送球癖に悩んだといわれている[要出典]。故障が多かったことや、かつて在籍した石井琢朗や種田・多村・古木などと起用が重なったこともあり、ひとつのポジションで固定され1年を乗り切ったことが無かったが、2008年は一塁手としても遜色の無い打撃をみせた。2009年はダン・ジョンソン(外野手登録だが、本職は一塁手)が加入したため、主に左翼手として出場している。
- 2008年には対左投手の打率が.439であった。これがWBC日本代表の原辰徳監督に評価され[3]、WBCでは相手が左の投手戦で積極的に3番に出場。しかし右投手が苦手ということはなく、2009年には右投手から3割4分打った。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 横浜 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2002 | 42 | 73 | 66 | 11 | 22 | 4 | 1 | 2 | 34 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | 0 | 13 | 1 | .333 | .371 | .515 | .887 | |
| 2003 | 45 | 161 | 150 | 20 | 47 | 5 | 0 | 4 | 64 | 18 | 4 | 4 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 13 | 1 | .313 | .335 | .427 | .762 | |
| 2004 | 94 | 369 | 338 | 55 | 97 | 11 | 1 | 17 | 161 | 45 | 2 | 7 | 12 | 1 | 18 | 0 | 0 | 42 | 7 | .287 | .322 | .476 | .798 | |
| 2005 | 90 | 262 | 234 | 33 | 64 | 11 | 0 | 5 | 90 | 23 | 1 | 1 | 6 | 1 | 19 | 1 | 2 | 36 | 10 | .274 | .332 | .385 | .717 | |
| 2006 | 124 | 439 | 402 | 41 | 115 | 15 | 2 | 4 | 146 | 34 | 8 | 3 | 7 | 3 | 22 | 0 | 5 | 64 | 9 | .286 | .329 | .363 | .692 | |
| 2007 | 92 | 274 | 247 | 24 | 69 | 17 | 3 | 7 | 113 | 29 | 3 | 4 | 4 | 1 | 16 | 0 | 6 | 37 | 9 | .279 | .337 | .457 | .795 | |
| 2008 | 135 | 544 | 500 | 83 | 189 | 37 | 1 | 14 | 270 | 67 | 2 | 3 | 5 | 4 | 31 | 1 | 4 | 49 | 7 | .378 | .416 | .540 | .956 | |
| 2009 | 132 | 552 | 503 | 65 | 160 | 32 | 2 | 17 | 247 | 66 | 1 | 5 | 2 | 4 | 42 | 5 | 1 | 56 | 16 | .318 | .369 | .491 | .860 | |
| 通算:9年 | 757 | 2676 | 2402 | 333 | 763 | 132 | 10 | 70 | 1125 | 289 | 21 | 27 | 45 | 14 | 157 | 8 | 18 | 310 | 60 | .317 | .362 | .468 | .830 | |
- 2009年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
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| 2001 | - | - | - | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||||||||||||
| 2002 | - | 16 | 34 | 32 | 1 | 9 | .985 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | ||||||||||
| 2003 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 24 | 49 | 63 | 4 | 11 | .966 | - | 18 | 28 | 60 | 5 | 7 | .946 | - | ||||||||||
| 2004 | - | 82 | 196 | 274 | 10 | 56 | .979 | - | 9 | 5 | 14 | 2 | 2 | .905 | - | |||||||||||||||
| 2005 | 4 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 9 | 4 | 10 | 1 | 1 | .933 | - | 59 | 78 | 0 | 1 | 0 | .987 | |||||
| 2006 | 43 | 328 | 14 | 1 | 27 | .997 | 60 | 128 | 174 | 10 | 37 | .968 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | 12 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2007 | - | - | - | - | 79 | 119 | 1 | 2 | 0 | .984 | ||||||||||||||||||||
| 2008 | 119 | 1094 | 75 | 5 | 96 | .996 | - | - | - | 11 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
| 2009 | - | - | - | - | 130 | 216 | 1 | 3 | 1 | .986 | ||||||||||||||||||||
| 通算 | 167 | 1431 | 90 | 6 | 123 | .996 | 183 | 407 | 544 | 25 | 113 | .974 | 12 | 4 | 14 | 1 | 1 | .947 | 31 | 33 | 78 | 7 | 9 | .940 | 291 | 438 | 3 | 6 | 1 | .987 |
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- セ・リーグ会長特別賞:1回(2008年、右打者史上最高打率に対しての表彰)
- 月間MVP:1回(2008年8月)
- オールスターゲームベストバッター賞、マツダ ビアンテ賞(イチロー以来の5打席連続安打)
- 大分市民栄誉賞(2008年)
[編集] 個人記録
- 初出場:2001年3月30日、ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)、9回裏にジョン・ズーバーの代走として出場
- 初安打:2002年4月24日、対中日ドラゴンズ5回戦(札幌ドーム)、9回裏にエディ・ギャラードから右前安打
- 初先発出場:2002年5月3日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7番・二塁手として先発出場
- 初本塁打・初打点:2002年7月7日、対中日ドラゴンズ15回戦(石川県立野球場)、5回表に山井大介から左越ソロ
- 初盗塁:2003年6月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:工藤公康、捕手:村田善則)
- 3打席連続本塁打:2004年5月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、1回裏・3回裏に木佐貫洋から、4回裏にマシュー・ランデルから
[編集] 背番号
- 25(2001年)
- 2(2002年 - )
- 24(2009年WBC)
[編集] 登場曲
- The Killers「Somebody Told Me」(2005年)
- 倖田來未「BUT」(2007年)
- RYUKYUDISKO「NICE DAY」(2007年)
- ヨースケ@HOME 「トコナッツ」(2008年夏季)
- グッド・シャーロット 「DANCE FLOOR ANTHEM」(2008年)
- Blie Stealer「Take The Dream」(プロレスラー・佐々木健介の入場曲)(2009年)
- ゆず「虹」(2009年)
[編集] 脚注
- ^ 骨に穴が開いてしまう原因不明の病気。
- ^ 横浜内川がフジ女子アナと真剣交際 日刊スポーツ 2009年10月6日
- ^ 【WBC】1位通過へカギ握る“左キラー”内川
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月19日 (木) 00:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【内川聖一】変更履歴


