内田篤人
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| 内田 篤人 | ||
|---|---|---|
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| 名前 | ||
| 愛称 | アツト、うっちぃ | |
| カタカナ | ウチダ アツト | |
| ラテン文字 | UCHIDA Atsuto | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1988年3月27日(21歳) | |
| 出身地 | 静岡県田方郡函南町 | |
| 身長 | 176cm | |
| 体重 | 62kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 鹿島アントラーズ | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 2 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2006-現 在 | 鹿島アントラーズ | 84 (3) |
| 代表歴2 | ||
| 2008- | 23 (1) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。 2. 2009年9月5日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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内田 篤人(うちだ あつと、1988年3月27日- )は、静岡県函南町出身で、日本代表、鹿島アントラーズ所属のサッカー選手である。ポジションはDF(右サイドバック)。
目次 |
[編集] 来歴
中学時代を過ごした函南中では目立った活躍をしていなかったが、高校入学にあたり静岡県中部地区の強豪校を志望し、将来の大学進学も視野に入れて進学校でもある清水東に入学した。高校へは自宅から1時間半ほどかけて通学していた。
2004年に開催されたU-16アジア選手権大会に向けてサッカー協会が早生まれの選手を対象として主催したセレクションで披露したスピードが関係者の目に留まり、U-16代表に招集され豊田国際ユースサッカー大会とアジア選手権大会に出場、右サイドハーフとしてプレーした。その後清水東でそのスピードを生かすためにサイドバックにコンバートされた。
U-18代表にも招集され、卒業に際しては6、7クラブから興味を示されたが、2006年に鹿島アントラーズへ入団した。
同年から監督に就任したパウロ・アウトゥオリが彼を高く評価し、Jリーグ開幕戦(対サンフレッチェ広島)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでスタメン出場を果たし、ドリブルから先制点となるPKを獲得。第4節ヴァンフォーレ甲府戦では、ドリブル突破からの先制点でクラブ史上最年少得点を記録、さらに2点目もアシストしてMVPを獲得した。なお17歳11か月22日でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回り高卒ルーキーの史上最年少得点記録となった。同年のJリーグオールスターサッカーではDF最多得票で史上最年少出場を果たした。
2007年度は名良橋晃から後継指名を受け背番号2を引き継いだ。名良橋自身もジョルジーニョから指名されて2番をつけている。4月にはA代表候補の合宿に初招集され、7月のFIFA U-20ワールドカップ2007では全4試合にフル出場し右サイドバックとしてプレーした。
2008年1月26日のキリンチャレンジカップのチリ戦でA代表デビューした。19歳305日でのデビューはJリーグ発足後では市川大祐、小野伸二、梅崎司に次いで4番目の若さであった。2月6日にはJリーグ発足後10代の選手としては初めてワールドカップ3次予選の対タイ戦にスタメン、フル出場をはたした。6月22日には同3次予選最終戦のバーレーン戦に出場し代表初ゴールを決め勝利に貢献した。20歳87日でのゴールはワールドカップ予選における日本の最年少ゴールである。
クラブでの活躍も高く評価され、同年のシーズンオフには鹿島と4年半の長期契約を結んだ[1]。
2009年7月5日のJリーグ第16節川崎フロンターレ戦で、ゴールライン上でのハンドの判定で、初のレッドカードを受ける。
[編集] プレースタイル
俊足と高い技術を併せ持った右サイドバック。J屈指のトップスピードの速さと足元のボールコントロールの精度の高さを兼ね備え、それを生かしたドリブル突破も見せる。サイドを縦に突破する際はボールの保持と視野の確保が上手くアーリークロスやマイナス気味のクロスも高い精度を誇る。またインサイドに切れ込む際にはワンツーでスペースに抜け出したり、振りの速い正確なシュートでの得点も得意とする。左足でもクロスを上げられるため、左サイドバックとしてプレーしたこともある。 若年ながらもスピード、技術、ポリバレントさなどが高く評価されている一方で、スタミナ、フィジカル面および守備面に関しては改善の余地があると指摘されることもある。 フリーキックも得意とする。中村俊輔クラスのキッカーがいる場合は別だが、代表でも意外性を狙ってキッカーを務めることがある。
[編集] エピソード
- 現日本代表・岡田監督に「サイドの選手はボールを受け取ると、前から相手がプレスしてくるためボールを取られるのを恐れ、自分の横にボールを置いて攻撃を組み立てる。しかし彼は自分の前にボールを置けるため即座に攻撃に移れる。なかなかできることではない。」と言わしめ、高評価を得ている。
- ファッションへのこだわりが少なく、ジャージを着用することが多い。本人も「ジャージのほうが何かと動きやすい」というようにジャージが好きなようである。
- 海外のチームからの注目度も高く、海外のメディアも取り上げるほど。
- 白いスパイクを愛用しており、その理由は「下を向いて足元を見たときに気持ちが軽くなる」とのこと。逆に黒いスパイクは「気持ちが重くなる」らしい[2]。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- - 1999年 函南SSS
- 2000年 - 2002年 函南町立函南中学校
- 2003年 - 2005年 清水東高校
プロ経歴
- 2006年 - 現在 鹿島アントラーズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | 鹿島 | 20 | J1 | 28 | 2 | 10 | 0 | 3 | 0 | 41 | 2 |
| 2007 | 鹿島 | 2 | J1 | 31 | 0 | 6 | 0 | 5 | 1 | 42 | 1 |
| 2008 | 鹿島 | 2 | J1 | 25 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 27 | 1 |
| 2009 | 鹿島 | 2 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 84 | 3 | 17 | 0 | 9 | 1 | 110 | 4 | |
| 総通算 | 84 | 3 | 17 | 0 | 9 | 1 | 110 | 4 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2008 | 鹿島 | 2 | 6 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 0 | |
[編集] タイトル
- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ:2 (2007,2008)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1 (2007)
- Jリーグスーパーカップ:1(2009)
- 個人
- Jリーグベストイレブン:1 (2008)
[編集] 代表歴
- U-18、U-19
- 2006年AFCユース選手権
- U-20日本代表
- U-22日本代表
- アジア男子サッカー2008 最終予選(北京オリンピック2008最終予選)
- U-23日本代表
- 日本代表(2008年)
- キリンチャレンジカップ2008
- 東アジア選手権2008
- 南アフリカW杯アジア地区3次予選
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 23試合 1得点 (2008 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2008 | 14 | 1 |
| 2009 | 9 | 0 |
| 通算 | 23 | 1 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2008年6月22日 | 日本 | ○1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 |
[編集] イメージキャラクター
- 常陽銀行(2007年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 参照
- ^ 鹿島内田に異例の長期4年半契約、日刊スポーツ、2008年12月31日
- ^ S☆1・スパサカ2009年4月4日放送分より
[編集] 外部リンク
- チーム公式プロフィール
- JFAプロフィール
- 内田篤人 - WEBサッカーマガジン
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最終更新 2009年9月15日 (火) 13:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【内田篤人】変更履歴


