円楽一門会
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円楽一門会(えんらくいちもんかい)は、5代目三遊亭圓楽とその弟子による落語家団体。
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[編集] 概要・歴史
前身は5代目圓楽が師匠6代目三遊亭圓生と共に落語協会を脱退し、1978年に創設した落語三遊協会。
圓生の没後、5代目圓楽とその弟子を除く全ての圓生門下が落語協会に復帰し、落語三遊協会は解散。だが、5代目圓楽一門のみは復帰せず、単独で「大日本落語すみれ会」を結成し、1985年に「落語円楽党」、1990年からは「円楽一門会」と称している。
浅草演芸ホール、鈴本演芸場、新宿末廣亭、池袋演芸場の寄席での定席を持つ事が出来ない替わりに永谷商事が所有するお江戸両国亭で毎月1~15日、「両国寄席」として一門の落語会を行っている。
[編集] 総帥の引退→死とその影響
2007年、5代目圓楽は高座を引退表明。このため、5代目圓楽は最高顧問となり、総領弟子・鳳楽が会長に就任し、これに「一門の幹部」として、好楽・圓橘・楽太郎(六代目圓楽)を加えた4人による事実上の集団指導体制へ移行した。ただし、5代目圓楽自身は完全に落語界から消えたわけではなく、その後も癌などを患いながら後進の指導を主な活動とし、なおも影響力を保持していた。しかし、肺癌・脳梗塞が再発し、最後の弟子である王楽の真打昇進から1ヶ月も経たない2009年10月29日に死去した。
円楽一門会は、5代目圓楽と同様に落語協会から飛び出した7代目立川談志が率いる落語立川流と同様、中心人物である5代目圓楽の知名度とカリスマ性によって団体が維持されてきた面は否定できず、5代目圓楽が倒れた際には芸能マスコミなどで団体の存続について少なからぬ噂が飛び交うなどという事も見られている。現在では、三遊亭楽太郎の6代目圓楽の襲名披露興行に際して、笑点の司会者である桂歌丸会長率いる落語芸術協会の協力を得て、定席である新宿末廣亭での襲名披露公演の開催が決まるなどという状況も見られる様になっており[1]、総帥を失ったことで、今後の方向性に注目が集まっている。現時点では、2009年11月21日に東京會舘で行われた5代目圓楽の「お別れの会」の席で、従来からの「円楽一門会」を、「五代目圓楽一門会」(会長・三遊亭鳳楽)とする方向でいることが明らかになった。
[編集] 一門弟子の高座名
一門の弟子の高座名の傾向として、5代目圓楽(異称:“馬圓楽”)と楽太郎(6代目圓楽襲名予定、異称:“黒圓楽”)は「楽」の文字(5代目系統では圓橘・圓福など、楽太郎の子息は本名そのものといった例外がある)、鳳楽は「鳳」の文字(例外として、惣領弟子は、鳳楽自身の前名と同じ「楽松」)、好楽は「好」の文字、圓橘は「橘」ないしは「きつ」の文字(例外として、惣領弟子で、前師匠門下の兄弟子の子息は、前師匠の名跡・「小圓朝」を襲名している)がほぼ入っているというのが挙げられる。
※以下一覧で孫弟子の見分けとして、鳳楽《1》、好楽《2》、圓橘《3》、楽太郎《4》をそれぞれ一門の弟子の名前末尾に付属。
[編集] 構成員
[編集] 総帥
[編集] 会長
[編集] 幹部
[編集] 真打
三遊亭楽之介、三遊亭貴楽、三遊亭小圓楽、三遊亭喜八楽、三遊亭五九楽、三遊亭楽麻呂、三遊亭圓左衛門、三遊亭道楽、三遊亭栄楽、三遊亭とん楽、三遊亭楽春、三遊亭洋楽、三遊亭真楽、三遊亭好太郎《2》、三遊亭楽松《1》、三遊亭竜楽、三遊亭良楽、三遊亭愛楽、三遊亭京楽、三遊亭全楽、4代目三遊亭小圓朝《3》、三遊亭鳳好《1》、三遊亭神楽、三遊亭上楽、三遊亭楽生《4》(楽花生改め)、三遊亭圓福(福楽改め)、三遊亭楽京《4》(花楽京改め)、三遊亭兼好《2》(好二郎改め)、三遊亭大楽、三遊亭鳳志《1》、三遊亭王楽
[編集] 二ツ目
三遊亭楽市《4》、三遊亭きつつき《3》、三遊亭橘也《3》、三遊亭好の助《2》
[編集] 前座
三遊亭鳳笑《1》、三遊亭楽大《4》、三遊亭一太郎《4》、三遊亭好吉《2》
[編集] 関連事項
- 落語協会
- 落語芸術協会
- 落語立川流
- 上方落語協会
- 落語家一覧
- 伊集院光
- 高座名、三遊亭楽大(1人目)《4》自主廃業、但し、楽太郎は廃業後も身内扱いをしており、一部の高座に出演したこともあるほか、伊集院のラジオ番組に楽太郎が出演したこともある。現在の三遊亭楽大は2人目であり、当人とは異なる。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月23日 (月) 04:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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