円谷一
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円谷 一(つぶらや はじめ、1933年4月23日 - 1973年2月9日)は、円谷プロダクション二代目社長で、演出家、プロデューサー。作詞家東京一(あずま きょういち)としても知られる。
円谷英二の長男として生まれる。弟に円谷皐(円谷プロダクション三代目社長・同社初代会長)、円谷粲(円谷映像社長)、息子に、円谷昌弘(円谷プロダクション五代目社長)、円谷英明(円谷プロダクション六代目社長)、円谷浩(本名は寛 俳優)、娘に円谷一美(旧名:又紀仁美、シンガーソングライター)がいる。
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[編集] TBS演出家時代
TBS入社後、演出家として演出部で各種ドラマを制作し、1962年に芸術祭参加作品『煙の王様』(原作生田直親)で芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。特に子供の描写が得意とされた。
[編集] ウルトラシリーズ,はじまる
TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部を設立すると、飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部に移籍して、TBS初のテレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、成田亨や高山良策などシュールレアリズム系の芸術家を美術スタッフに招き入れ、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。
円谷一が「ウルトラマン」で監督を務めた「ミイラの叫び」、「オイルSOS」に登場する怪獣は、彼の意見を採り入れ、いずれもぬいぐるみ(着ぐるみ)に演技者が二人入る斬新なものだった。
[編集] 若手の才能を発掘
円谷一は,演出家は脚本を書くこともできなければならないとの考えから、ウルトラシリーズに携わった演出家に数多くの脚本を書くことを勧めている。初期のウルトラシリーズに本編の監督がペンネームを用いて脚本を書いているのはそのためである。ただしこれは、監督料だけでは生活できないた若手の監督たち、とくに妻帯者となった監督たちの収入を増額させるためでもあった。
しかし、円谷一自身はウルトラシリーズでは脚本を書いていない。『ウルトラマン大全集』(講談社)に掲載された、脚本家・上原正三へのインタビューによると、円谷は脚本家との打ち合わせの際にはかなりのアイディアを提供していたようであり、既に演出家として著名な自分が表に出るよりは才能のある若手に表へ出る機会を与えようとの思いから、共同脚本として自身の名前を出すのを控えたものと思われる。
[編集] 脚本へのこだわり
こうした一方で脚本家に対する要求は厳しく、『ウルトラマンAGE』(辰巳出版)に掲載されている当時の関係者へのインタビューによれば、円谷一が弟のように信頼し可愛がっていた金城哲夫に対しても度々厳しい叱責の言葉とともに原稿をつきかえし、脚本家は再々書き直しを要求された。このような妥協を許さない厳しい姿勢で番組制作を行ったことが、放映後数十年たった今でもウルトラシリーズが高い人気を誇る要因の一つであろう。当時の番組制作の様子は、『ウルトラマンティガ』「ウルトラの星」に描かれているが、脚本家と監督のやりとりは描かれていない。円谷一の役を息子の円谷浩が演じている。
[編集] 円谷プロ社長に就任,そして
1970年、父・英二の病死によりTBSを退社し、円谷プロダクションの社長に就任。財政難から、危機的な経営状況にあった同社の経営建て直しに奔走する。社長と監督は兼任できないと宣言して、以降はプロデューサーとして作品に携わるようになる。同年ウルトラファイトの制作を開始。この番組の人気により、本格的な特撮番組を求める声が高まると、1971年に『帰ってきたウルトラマン』と『ミラーマン』をプロデューサーとして制作し、第二次怪獣ブームの火付け役となる。以降、『ウルトラマンA』等の番組の制作にも携わるが、1973年に急死した。
[編集] 怪獣供養
このころ円谷プロダクション周辺では、事故等の不祥事が相次ぎ、厄払いの意味でこれまで同社で制作された番組で命を落とした怪獣達の供養が行われた。これがいわゆる怪獣葬儀(怪獣供養)の嚆矢である。
[編集] ウルトラマンの声
『ウルトラマン』に於いて、円谷は第1話や最終回等の作品の節目となる重要な話を何本も演出しているが、第1話「ウルトラ作戦第1号」では、彼がウルトラマンの声を演じるという話が出ていたという。ウルトラマンとハヤタ隊員とが赤い玉の中で会話するシーンで、ウルトラマンの話す声(ウルトラマンが日本語を話す部分の音声)を当時TBS劇団に所属していた中曽根雅夫が担当する予定だったが、中曽根はアフレコ収録時間に大幅に遅れてしまう。しかし中曽根を待つ時間的余裕がないため、監督の円谷が「それなら自分が」と引き受けた。しかし、いざ本番となると、どうもうまくいかない。そこで編集担当の近藤久が代わって引き受け、光の国の宇宙人と地球人とのファーストコンタクトシーンの画像が完成したという。ただしウルトラマンの「シュワッチ!」等のかけ声(一種の効果音)は中曽根のものである。
[編集] 作品
撮影助手として坦当。
[編集] 東京一(あずま・きょういち)としての主な作品
- 大怪獣のうた
- ウルトラマーチ
- ウルトラマンの歌
- 特捜隊の歌
- 進め!ウルトラマン
- ウルトラセブンの歌
- ウルトラ警備隊の歌
- ULTRA SEVEN
- 帰ってきたウルトラマン
- 怪獣音頭
- ウルトラマンエース
- TACの歌
- ミラーマンの唄
- SGMの唄
- トリプルファイターのうた
- 緊急指令10-4 10-10
- MJの歌
- 炎のように燃えろ
[編集] 円谷一(に相当する役)を演じた俳優
- 三宅裕司・・・『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』(TBS)役名は「円谷一郎」
- 中野英雄・・・『円谷英二~大空を愛したウルトラマン~』(TUF)
- 円谷浩(息子)・・・『ウルトラマンティガ』(毎日放送)
[編集] 関連書籍
- 円谷一 ウルトラQと“テレビ映画”の時代 (双葉社、2006年07月発行 ISBN:4-575-29907-3)
- 8ミリカメラ特撮のタネ本(芸術生活社、1970年発行)
8ミリカメラにおける特撮技術の応用例を解説したもの。一は著者となっているが、実際には英二の執筆によるもの(「私が撮影した『ハワイマレー沖海戦』では・・・」という記述がある)。一名義は執筆途中で英二が急逝したためと思われる。

