円相場

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円相場(えんそうば)は、に対する外貨の相対的価値(為替レート)のこと。通常は、外貨1単位に相当する円貨額で表示する(通貨や市場によっては別の慣行もある)。

特に米ドルユーロ英ポンドとの比較によって示され、その中でも米ドルに対しての「円の相対的価値」を示すことが多い。

目次

[編集] 概要

国際市場において、日本通貨である円の相対的価値が、政治の目的や何らかの意味で基準とみなされる水準よりも高い状態を「円高」、逆に低い水準であるとき「円安」という。分かりやすく言えば、今まで1ドル95円だったが、1ドル90円になった場合には、円高になる。つまり、より少額の「円」で、1ドルと交換できるようになる訳である(同じ円貨額でより多くのドルを買えるようになったと考えると、通貨価値が上がったということが理解されやすい)。一見、円高にメリットがあると思われがちだが、比較優位をもつ輸出産業(比較優位をもつからこそ輸出産業)が採算レートを割るような円高になって、海外に移転するなどすれば、平均的な生産性がさがり、賃金もさがり生活水準の低下につながる。参照:円高不況

2009年現在、対ドル相場が1ドル90円以下になったときには、明確に円高という。円高の際には、東証の輸出向け企業の株価は急落することが多い。また、輸出産業の業績が悪化し、輸入産業の業績が好調となる。

  • 輸入するときには、今までより安く仕入れる事ができるので、コストが削減できる。
  • 輸出するときには、円が高いために買ってもらいにくくなるため、利益が減少する。

2009年現在、対ドル相場が1ドル100円以上になった時には、明確に円安という。円安においては、東証の輸出向け企業の株価は急騰することが多い。また、輸入産業の業績が悪化し、輸出産業の業績が好調となる。

  • 輸入するときには、今までより高く仕入れなくてはならないので、コストが余計にかかる。
  • 輸出するときには、円が割安なので買ってもらいやすくなり、利益が増大する。

[編集] 円相場の歴史

対ドル為替レート(1950年以降)
実効為替レート(1970年以降)
数字が大きいほど円高
戦後、日本はブレトン・ウッズ体制の下で1ドル=360円の固定相場の時代となった。
第2次世界大戦の後、アメリカは、冷戦の中で西側世界のリーダーとなり、経済的にも繁栄しドル基軸通貨となった。1960年代になるとベトナム戦争への膨大な出費などからインフレが進み、ドル不安が起こるようになった。ドル不安は1971年8月15日のニクソン・ショックで表面化した。
ニクソン・ショックの後、スミソニアン協定でドルの切り下げが決められ、1ドル=308円となった。
  • 1973年2月 変動相場制への移行
ドルの固定相場制の維持が困難になり、日本は1973年2月に変動相場制に移行した。変動相場制の導入直後に1ドル=260円台まで円高が進んだが、1973年秋のオイルショックで 1ドル=300円近辺まで戻り(有事のドル)、1976年末頃までしばらく安定の時代となった。
この頃、円高が進み、はじめて1ドル=200円を突破した。1978年末頃には一時1ドル=180円を突破した。
アメリカのカーター政権下でのドル防衛政策の他、イラン革命の進行によるオイルショック懸念、ソ連アフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル=250円付近まで円安が進んだ。以後しばらく200円~250円で推移した。
1985年秋のプラザ合意によるドル安誘導政策で急激に円高が進行した。プラザ合意発表直後に円ドル相場は20円ほど急騰し、1985年初には250円台だった円相場が1986年末には一時160円を突破した。その後も円ドル相場は史上最高値を更新し続け、1987年2月のルーブル合意でドル安に歯止めかける方向で合意したもののしばらくドル安が進み、1ドル=120円台にまで上昇した。国内では、激しい円高の影響で輸出産業が打撃を受ける一方で、(当時としては)超低金利時代を背景に金余り現象が発生し、バブル景気へと向かった。この時期、OPECの弱体化で原油価格も大幅に下落し、円高とあわせて、国内経済は原油相場の影響を受けにくくなった。
円ドル相場は円安傾向となり、120円台から160円付近まで下落した。この頃、国内はバブル経済の最盛期に向かう一方で、世界的には冷戦時代が終結に向かいつつある時期でもあり、天安門事件東欧革命ベルリンの壁崩壊など歴史上大きな事件も進行していた。
湾岸危機など短期の上下はあるものの、長期的には円高で推移した。1990年初から東京市場の株価が暴落し、バブル景気に陰りが見え始めた。海外投資や輸入が収縮する一方で輸出は依然強く、円高が進行した。1994年にはじめて1ドル=100円の大台を突破し、1995年4月19日の午前9時過ぎには79円75銭と瞬間1ドル=80円割れの史上最高値を記録した。
超円高から円安へと向かった。日米が合意して調整した結果、一時は1ドル=100円まで是正したが、急に20円安ものの変動により日本から大量な資金が逃げて行き、更に1998年秋には一時1ドル=140円台まで下落した(8月11日には147円64銭)。国内ではバブル経済崩壊後、不良債権や金融機関の破綻などさまざまな問題が表面化し、1997年秋には大手証券や銀行の破綻など危機的な状況となった。また、海外では、1997年夏のアジア通貨危機1998年夏のロシア財政危機などの事件が起こっていた。このように急な円安が日本の不動産の値下げを加速していく。
円安が底打ちすると急激に巻き返し、98年10月に日本長期信用銀行が破たんするまでにあっけなく1ドル=120円台を突破した。99年2月にゼロ金利を導入するとしばらくは円は下がり続けたが、同年後半からは再び急激に円高に動き2000年初頭までに103円台まで値を上げた。
2001年の9.11同時多発テロで金融市場は大混乱し、ドルと米株の暴落に連動して円相場も急落、2002年初頭までには1ドル=130円台まで値を下げた。その後、国内ではいざなぎ越えの景気が始まるとともに円相場も持ち直し、2002年下半期までには120円前後まで上昇・推移した。2003年5月にりそなグループが公的支援を決定すると一気に円は買われ急上昇、2004年初夏には100円近くまで値を上げた。
2004年以降は円安傾向に移行した。ことに99年以降導入されていたゼロ金利政策がより拍車をかけ、円キャリートレードの傾向が円売りを加速させた結果、2007年7月には数年ぶりに1ドル=124円台を記録した。円が実体経済以上に安くなったことから国内では円安バブルが中規模ながら発生し景気回復の一助となったが、一部の中小・零細企業はかえって円高に対する耐性を失う羽目となって、のちの円高移行時には悲鳴を上げることになる。
  • 2007年秋~ 円高時代の再来
円安の峠を越えると今度は漸進的な円高に移行した。夏にアメリカのサブプライムローン問題が明るみに出ると一気にドル売りが進行し、8月上旬には1ドル=112円台と1日に5円前後も値を上げることもあった。その後もドルに連動しながら時に乱高下を繰り返しながらも上昇は止まらず、2008年3月にはついに約13年ぶりに1ドル=2ケタ台を記録、3月17日には95円台を記録した。動揺する企業は少なくなかったが、日本は10年以上のデフレもあって、円高になっても実効為替レートは横ばいに推移していたため、95年の超円高のときよりは冷静に受け止められ、元財務官の榊原英資は「今の1ドル100円は10年前の124円だ」と発言するなど、円高傾向を容認する経済専門家が多くを占めた。その後再び100円台に巻き返したが、10月に発生した世界同時株安によって円キャリートレードは巻き戻され、世界のあらゆる通貨がたたき売られた結果消去法で日本円が買われ再度2ケタ台に。その後もあっけなく90円を突破して12月18日は1ドル=87円台まで上昇した。2009年に入っても円相場は主に90円台で推移し相場安定の兆しが見えてきたかに思えたが、9月25日の金融サミットで藤井財務大臣が(為替介入しないと宣言すること自体が為替に対する政治的な影響であることも知らずに)円安政策はとらないなどと発言し、円は急上昇し、翌26日には再び80円台に突入した。
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最終更新 2009年11月19日 (木) 12:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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