出口眞浩
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| 出口眞浩 Masahiro Deguchi |
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|---|---|
| 個人情報 | |
| 本名 | 出口眞浩 でぐち まさひろ |
| 生年月日 | 1969年6月22日(40歳) |
| 国籍 | |
| 身長 | 179cm |
| 体重 | 88kg |
| チーム情報 | |
| 所属 | 日本競輪選手会神奈川支部 |
| 期別 | 63期 |
| 分野 | 競輪 |
| 役割 | 選手 |
| 特徴 | 追込 |
| プロ所属チーム | |
| 1989- | 日本競輪選手会神奈川支部 |
| 主要レース勝利 | |
| オールスター競輪1994 | |
| 最終更新日 | |
| 2009年7月9日 | |
出口 眞浩(でぐち まさひろ、1969年6月22日 - )は日本の競輪選手。神奈川県出身。日本競輪学校第63期卒業。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は星川淳。初出走は1989年4月12日の京王閣競輪場で初勝利も同日。
夫人はプロゴルファーの松澤知加子。
目次 |
[編集] 戦績
法政大学第二高等学校在学中から自転車競技を行っており、1986年のインターハイではスプリントで11位となる。高校卒業後は日本競輪学校に第63期生として入学し、在校成績3位で卒業する。当初は川崎競輪場をホームバンクとし、デビュー戦で初勝利を収めると、その開催では初日から1着・3着・1着でいきなり初優勝を飾り、以後も着実に力をつけていく。
1993年には宇都宮競輪場で開催されたオールスター競輪で初の特別決勝進出を果たしたが、この時は高校時代からの友人である高木隆弘だけでなく、高校の先輩にあたる佐々木龍也と山田英伸も決勝に進出したことから、決勝で対する地元の神山雄一郎を打倒するために神奈川勢4人で結束を図ることになり、出口は4人の先頭で走ることになった。この先輩後輩による結束は『法政二高カルテット』と称されて決勝を予想するファンの間でも話題になったが、結果は出口が果敢な先行を見せたあとに高木が自力で踏んでいったものの、直線で神山に交わされて敗れてしまった。
しかし1994年にいわき平競輪場で開催されたオールスター競輪では再び高木隆弘と共に決勝に進出し、今度は高木が前を走って出口がその後ろを回る形でレースに臨むことになり、最終バックで先頭に出た高木が後方から捲ってくる吉岡稔真に対し自ら外側に合わせて牽制し、この時空いたインを出口が突っ込み直線で高木を交わして優勝し、昨年の借りを返してもらう形で念願の特別競輪タイトルを獲得した。なお、この時格付けの関係で既にKEIRINグランプリ'94の出場権を得られない(後述)ことが確定していたにもかかわらず優勝を果たしたことから当時のファンは驚かされた。
1996年に松澤知加子と結婚し、夫人との間に2子を授かる。なお結婚直後に夫人の実家か近いことから平塚競輪場に練習地を移動しており、その後も2004年の日本選手権競輪決勝で3着に入るなどの活躍を見せている。
[編集] 主な獲得タイトル
[編集] 競走スタイル
かつてはスピードを生かした自力タイプの選手であり、次第に追い込み型へとシフトしていったものの一時期は競りよりスピードを生かすために展開次第では先行選手の番手より自ら踏んでいく競走が多かったが、現在は一般的な追込の選手となっている。
[編集] エピソード
- 1994年のオールスター競輪において、念願のGI(当時は特別競輪)タイトルを獲得するも、同年のKEIRINグランプリには出場できなかったのは、当時のKEIRINグランプリ出場規定には『出走当日においてS級1班に所属していること』が明記されており(現在はS級であれば出場可能)、当時4ヶ月サイクルだった級班見直しにおいて同年12月からS級2班に降格することが決定済みであったためである。優勝時点(1994年9月26日)ではS級1班であったが、出口はこのオールスター競輪に出場する前から優勝してもKEIRINグランプリ出場資格がなかったのであった。
- 高木隆弘とは高校時代からの友人であるが、当時陸上部だった高木に競輪を紹介したのは出口である。なお高木は半年遅れの第64期生として適性試験により入学を果たした。
[編集] 関連項目
- 競輪選手一覧
- 高木隆弘 - 練習仲間であり盟友。
- 藤井かすみ(プロゴルファー) - 夫は競輪選手の高橋健太。
- KEIRINグランプリ
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最終更新 2009年9月17日 (木) 05:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【出口眞浩】変更履歴

