出島武春

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出島武春
四股名 出島 武春
本名 出島 武春
生年月日 1974年3月21日(35歳)
出身 石川県金沢市
身長 180cm
体重 160kg
所属部屋 武蔵川部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 大関
生涯戦歴 595勝495敗98休(81場所)
幕内戦歴 546勝478敗98休(75場所)
優勝 幕内優勝1回
十両優勝1回
幕下優勝1回
殊勲賞3回、敢闘賞4回、技能賞3回
データ
初土俵 1996年3月場所
入幕 1997年3月場所
備考
金星6個
2個、貴乃花2個、若乃花1個、朝青龍1個)
2009年7月23日現在
  

出島 武春(でじま たけはる、1974年3月21日 - 、本名同じ)は、武蔵川部屋所属の元大相撲力士。現役時代の最高位は東大関。現在は年寄大鳴戸

目次

[編集] 人物

石川県金沢市出身で、金沢市立工業高等学校中央大学法学部出身。

血液型はA型。身長180cm、体重160kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。

肌が他の力士に比べ非常に白く、美白ブームとなったときは「美白力士」と称された。当時、美容研究家の鈴木その子からも懸賞を出されたこともあった。

同じ石川県出身の栃乃洋七尾市出身)は同期生で、幼少時代からの良きライバルである。また、学生時代は柳川も有力なライバルだった。

余談だが相撲界で観客から手拍子による『○○コール』を広めた一人として挙げられることがある[要出典]と五分に渡り合えた数少ない力士。

[編集] 来歴

立合いからの出足が最大の特徴であり、鋭い出足が冴えたときには四股名に因み「出る出る出島」また「白い弾丸」とも呼ばれた。これについては本人も意識しているらしく、2003年3月場所、横綱朝青龍を破ったときの勝利力士インタビューでは「これからも言われるよう頑張りたい」と話していた。

小学1年生の時に相撲を始める。中学生の頃にはすでに全国大会で活躍していた。高校生の時には高校横綱を含む7タイトルを獲得し、鳴り物入りで中央大学に進学した。しかし上級生になり、先輩の松本(後の玉春日)や栗本(後の武哲山)らの卒業によって稽古相手が不足したことなどで伸び悩んだ。それまでは力士を志していなかったが、全国学生相撲選手権大会全日本相撲選手権大会で優勝を逃した悔しさが入門を決意させ、実力者が多く、中学生の時から誘われてもいた武蔵川部屋に入門した。

1996年3月場所において幕下付出初土俵。新入幕まで負け越し知らずで出世し、1997年3月場所では新入幕ながらもいきなり11勝の好成績を挙げ、敢闘賞と技能賞を同時に獲得する。

さらに1997年9月場所では前頭筆頭の地位で、当時二人横綱の貴乃花を下し、2個の金星を獲得するなどの大活躍で11勝、翌11月場所は小結を飛び越えて関脇に昇進。この頃から次期大関候補と注目され始めるが、その11月場所7日目の玉春日戦で足首を大怪我したため、3場所連続休場となってしまった。

1998年5月場所に前頭11枚目で復帰してからは、順調に番付を上げて同年9月場所で三役に返り咲く。そして1999年7月場所では幕内昇進後13勝2敗の最高成績を挙げ、千秋楽では横綱・曙との優勝決定戦を制し、念願の幕内初優勝を果たす。さらにこの場所は、1992年1月場所の貴花田(貴乃花)以来7年ぶりに三賞トリプル受賞となり、場所後には大関昇進を決めた。

しかし、大関の地位には1999年9月場所から12場所在位したものの、最高の成績でも11勝4敗に留まり、場所終盤まで優勝争いに加わる事は殆ど無かった。さらに故障が多かったのと蜂窩織炎による高熱のため、2001年7月場所限りで2場所連続負け越しにより大関から関脇へ陥落。同年9月場所は関脇の地位で10勝以上すれば大関復帰を果たせたが、5勝10敗の負け越しに終わった。

関脇陥落の後も、しばしば「横綱・大関と取れる番付にいたい」等と、上位で相撲を取ることへの意欲を語る事が多かった。実際に金星も挙げているので、横綱・大関とも十分に渡り合えるだけの実力を保っており、元大関としての矜持も持っていた。その後2003年3月場所に小結、5月場所に関脇へと戻ったものの、それ以降は殆ど平幕上位に留まった。

それでも、2007年は出島の活躍が目立ち、復活の兆しを印象付けた。西前頭筆頭で迎えた1月場所3日目では、出島の面目躍如たる相撲で朝青龍を破り(その前日には大関白鵬を破っている)、大関陥落後2個目、朝青龍からは初めての金星を挙げた。しかしその後は一転、2度の5連敗を喫して4勝11敗と大きく負け越し、殊勲賞を逸した。次の3月場所も負け越して、前頭2桁台に落ちた5月場所では、初日から8連勝の自己新記録で中日勝ち越しを決めた。結局その場所は12勝3敗で実に47場所ぶりに敢闘賞を受賞した(ちなみに三賞が47場所振りというのは史上3位)。2007年11月場所では、中日に全勝であった千代大海を破るなど活躍を見せ、西前頭2枚目で10勝5敗と勝ち越し。三賞候補にも挙がったが、過半数にわずか1票足りず受賞を逃した。

2008年1月場所は、27場所ぶりに小結復帰を決めたものの、3勝12敗と大敗。これが現役最後の三役の場所となる。その後は出足が鈍り、叩く相撲が増えた。同年9月場所で勝ち越してから、遂に二度と勝ち越すことはなかった。同年11月場所では、初日から6連勝するも、その後9連敗を喫し負け越してしまった。2009年3月場所初日に黒海掛け投げを喰らい左腕から落ちて負傷した。休場する事はなかったが完治はせず、結果的には相撲人生にとって致命傷になった。

1999年7月場所の幕内優勝から丁度10年が経った2009年7月場所は、下に2枚しかない状況で10日目に負け越しを喫し、厳しい状況となった。翌11日目にも敗れて2勝9敗、十両陥落が濃厚となったため、7月22日に現役引退を表明。引退後は、既に所有している年寄・大鳴戸を襲名した。大関から陥落後、大関に復帰することなく8年間48場所にわたって相撲をとり続けたが、これは元大関としては当時史上最長記録の第1位であった[1]

[編集] "出る出る出島"の取り口

立合いに頭からぶちかまして出足の勢いそのままに、右を覗かせての寄りで一気に前に出る相撲が一番得意の形であろう。相手によっては突っ張りを見せたり、筈で押し込んだりもする。ただし相手に組まれて出足を止められると持ち手が無く、そのままずるずると寄られる事が多かった。またその相撲の型ゆえか、前にバッタリと落ちる負け方も多い。とりわけ土俵際で止めを刺そうとするところをかわされ、逆転を許すことがしばしば見受けられた。

現役時代はあまり見せないが、四つからの投げもあった。幕内優勝を果たした1999年7月場所では、掬い投げで3番勝っている。時折立合い変化を見せることがあったが、上手く決まることが多かった。

[編集] 主な成績

  • 通算成績:595勝495敗98休(81場所) 勝率.546
  • 幕内成績:546勝478敗98休 勝率.533
  • 幕内在位:74場所
  • 大関在位:12場所
  • 三役在位:12場所(関脇5場所、小結7場所)
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:1回
    • 十両優勝:1回
    • 幕下優勝:1回
  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:3回(1997年9月場所、1998年7月場所、1999年7月場所)
    • 敢闘賞:4回(1997年3月場所、1998年5月場所、1999年7月場所、2007年5月場所)
    • 技能賞:3回(1997年3月場所、1997年9月場所、1999年7月場所)
  • 金星:6個(曙2個、貴乃花2個、若乃花1個、朝青龍1個)

[編集] 幕内での場所別成績

出島武春[2]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1996年
(平成8年)
x 幕下付出 #60
5–2
 
西 幕下 #43
7–0
 
西 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #12
11–4
 
東 十両 #4
9–6
 
1997年
(平成9年)
東 十両 #2
12–3
 
東 前頭 #13
11–4
西 前頭 #3
7–8
 
東 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #1
11–4
西 関脇
3–5–7[3]
 
1998年
(平成10年)
休場 休場 西 前頭 #11
10–5
西 前頭 #4
10–5
西 小結
8–7
 
西 小結
9–6
 
1999年
(平成11年)
東 小結
8–7
 
西 小結
9–6
 
東 関脇
11–4
 
西 関脇
13–2[4]
東 大関
10–5
 
西 大関
10–5
 
2000年
(平成12年)
東 大関
9–6
 
東 大関
11–4
 
東 大関
8–7
 
東 大関
10–5
 
西 大関
10–5
 
東 大関
9–6
 
2001年
(平成13年)
東 大関
7–8
 
西 大関
8–7[5]
 
東 大関
5–10
 
西 大関
3–3–9[3][5]
 
西 関脇
5–10
 
西 前頭 #3
7–8
 
2002年
(平成14年)
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #3
2–3–10[3]
 
休場 東 前頭 #10
10–5
 
2003年
(平成15年)
西 前頭 #3
11–4
東 小結
8–7
 
西 関脇
7–8
 
休場 東 前頭 #10
6–9
 
西 前頭 #14
11–4
 
2004年
(平成16年)
東 前頭 #6
10–5
 
東 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #5
10–5
 
東 前頭 #1
0–3–12[3]
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #6
9–6
 
東 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #3
5–10
 
2006年
(平成18年)
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #3
10–5
 
2007年
(平成19年)
西 前頭 #1
4–11
東 前頭 #8
7–8
 
東 前頭 #10
12–3
東 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #4
8–7
 
西 前頭 #2
10–5
 
2008年
(平成20年)
西 小結
3–12
 
西 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #5
6–9
 
2009年
(平成21年)
西 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #13
引退
2–10–3
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 主な力士との幕内対戦成績

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 7 0 琴奨菊 6 6 時天空 8 7
安芸乃島 14 8 琴錦 7 3 土佐ノ海 20 16
7 6 琴ノ若 19 7(1) 栃東 9 26
朝青龍 4 16 琴光喜 9 16 栃栄 3 5
朝赤龍 13 5 琴龍 11 6 栃ノ心 3 4
朝乃若 7 1 敷島 3 2 栃乃洋 24 16(2)
安馬 2 4 霜鳳 8 6 栃乃和歌 5 1
安美錦 9 11 十文字 7 3 豊ノ島 4 9
岩木山 8 8 貴闘力 12 3 豊響 6 0
皇司 4 2 貴ノ浪 19 9 白鵬 2 10
小城錦 4 3 貴乃花 4 13 濱ノ嶋 4 1
魁皇 15 25 若乃花 2 5 追風海 4 2
海鵬 12 6(1) 隆乃若 6 6 把瑠都 0 5
鶴竜 2 4 高見盛 9 7 肥後ノ海 4 4
春日王 3 4 豪風 6 3 普天王 4 8
春日錦 3 2 玉春日 19 9 豊真将 3 5
稀勢の里 7 4 玉乃島 12 10 北勝力 7 9
旭鷲山 21 6 千代大海 14 20 湊富士 5 0
旭天鵬 10 14 千代天山 7 3 嘉風 4 1
黒海 7 9 闘牙 12 3 露鵬 1 10
琴欧洲 5 9 時津海 6 3 若の里 14 18

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2009年7月場所現在、現役力士。)

[編集] 年寄名跡

  • 大鳴戸武春(おおなると・たけはる 2009年(平成21年)7月~)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2009年11月場所で雅山が大関陥落後在位49場所となり史上最長記録の第1位、出島は第2位となった。
  2. ^ "Rikishi in Juryo and Makunouchi" (English). szumo.hu. 2007-06-04 閲覧。
  3. ^ 途中休場
  4. ^ と優勝決定戦
  5. ^ 角番

[編集] 外部リンク

執筆の途中です この「出島武春」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めていますPJ相撲)。

最終更新 2009年11月4日 (水) 14:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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