刈屋富士雄
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かりや ふじお
刈屋 富士雄 |
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| プロフィール | |
| 本名 | 刈屋富士雄 |
| 愛称 | Mr. GOLD MEDAL アナウンサー |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1960年4月3日(49歳) |
| 最終学歴 | 早稲田大学 |
| 勤務局 | NHK情報ネットワーク |
| 部署 | (出向扱い) |
| 職歴 | 福井→千葉→東京アナウンス室→京都→東京アナウンス室→福岡→東京アナウンス室→情報ネットワーク |
| 活動期間 | 1983年~ |
| ジャンル | スポーツ |
| 配偶者 | あり |
| 家族 | 妻と3児(三つ子) |
| 公式サイト | NHK |
| 出演番組・活動 | |
| 現在 | 大相撲中継 |
| 過去 | 北京オリンピック東京スタジオキャスター |
刈屋 富士雄(かりや ふじお)は、NHKのチーフアナウンサー。 スポーツ実況から、番組キャスター、ニュースまでこなすオールラウンダー。
目次 |
[編集] 経歴
静岡県立御殿場南高等学校を経て早稲田大学社会科学部・社会科学科を卒業。北欧の政治社会制度研究の第一人者である、比較政治学者・岡沢憲芙教授のゼミ出身。早稲田大学漕艇部に所属し、対校8+(エイト)で当時の日本新記録を樹立した時のメンバーでもある。
主に大相撲やオリンピック中継などスポーツ中継を担当し、NHKの看板スポーツアナの一人であるが、ニュースも担当する(最近では、酒井法子容疑者出頭時のニュースを担当)。 2005年以前には、教育、教養番組、健康情報番組のキャスターを担当するなど、オールラウンダーである。
2005年大相撲九州場所は同時期に行われたフィギュアスケートの中継を担当する関係で大相撲中継を担当しなかったものの、「大相撲・幕内の全取組」の案内役を担当した。福岡では、九州・沖縄地域のスポーツデスク担当(サブ)で、大相撲九州場所のアナウンス統括も担当した。
北京オリンピックが迫ったこともあり、その放送体制の強化を図る目的から、2008年春の異動で3度目の東京勤務となった。初めはアナウンス室所属であったが、福岡局に相撲担当アナウンサーを配置する目途が立たなくなり(その後、三瓶宏志が異動)、2ヶ月で6月に急遽情報ネットワーク出向となった。
[編集] エピソード
[編集] Mr. GOLD MEDAL アナウンサー
以下のような事から一部の視聴者からは“Mr. GOLD MEDAL アナウンサー”と呼ばれている。
- 2004年夏のアテネオリンピック体操男子団体の中継で、最後に日本のエース冨田洋之が着地する直前、自局の大会放送テーマソングである、ゆずの「栄光の架橋」を踏まえて、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と実況。冨田が着地に成功して日本が逆転優勝を決めるとさらに、「体操日本、日はまた昇りました」、「小西さん、どうぞ泣いてください。小西さんの目から大粒の涙が…」[1]、直前の冨田の演技開始時にも「冨田が冨田である事を証明すれば、日本は勝ちます」といった名言を放った。日本のメダルラッシュに沸いたこの大会を象徴する体操の復活劇を盛り上げた名実況が話題となった。これ以後、相撲の実況等でも「架け橋」という単語を使用するようになった。この年の『第55回NHK紅白歌合戦』でもゆずの「栄光の架橋」の曲紹介を、体操男子団体と一緒に「白組、栄光への架け橋だ!」と名調子で紹介していた。なお、アテネオリンピック体操男子団体の中継の放送原稿はNHK放送博物館に展示されている。ただ、実際は刈屋が「叫んだ」のは演技中、離れ業のコールマンを冨田が成功させれば着地で失敗しても日本の金メダルが決まる状況でそのコールマンの時に「これさえ取れば!」と叫んだ1回のみであり、刈屋にとって「栄光への架け橋だ!」は金メダルを決めた日本の花道を飾る一言という位置づけである[2]。
- フィギュアスケートの実況は1994年のNHK杯国際フィギュアスケート競技大会から。長野オリンピック、ソルトレイクシティオリンピックでも担当した同種目の第一人者。演技中は実況や解説を抑え、視聴者にじっくりと選手1人1人の “ワールド”を体感させる巧みなテクニックで進行。トリノオリンピックの女子フィギュアスケートでは、最終滑走のイリーナ・スルツカヤの得点が出て、荒川静香がショートプログラムの3位からフリーで大逆転、金メダルが決定した瞬間に、「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました!」と実況、始めは落ち着いたトーンから徐々に興奮気味に述べていた。9年間にわたり、紆余曲折もあった荒川を見続けてきたという本人曰く「最後の公式練習の時、トリノオリンピックの女神が荒川さんを指名するイメージが浮かび、その通りになって感動しています」。アテネに続きトリノでも再び感動的な実況で多くの心を動かした。日本勢が全体として低迷したこの大会で、唯一のメダル、それも金メダルを獲得する競技の実況を担当したことで、アテネに続き話題を呼んだ。
- 2008年の北京オリンピックでは実況派遣されずに東京のスタジオから日本人中心に結果速報を伝えていたが男子100m走でジャマイカのウサイン・ボルト選手がこのオリンピックを世界新記録9秒69で優勝した時に「人類最速の欽ちゃん走りだ」とボルト選手を称え、当時はまだ無名であったボルトの存在を視聴者に印象づけた。しかし、この発言を上述と同じく名言とする声の一方で、迷言ではないかとする向きもある。ちなみに、日本体育大学陸上競技部の監督(准教授)も、ボルトの走法を『欽ちゃん走り』と表現した。
[編集] 大相撲
- 福岡局では、『情報ワイド福岡いちばん星』→『ニュースいちばん星』においてその日の福岡県出身関取の情報を提供していた。番組初登板となった2006年(平成18年)名古屋場所2日目では、山下信アナウンサーから刈屋アナの紹介がなされた。
- なお、番組コーナー内では刈屋アナ自身の解説・感想も述べられた。普段は平等かつ冷静な実況スタイルで知られるが、コーナー内ではあくまで福岡県出身の関取贔屓である。これは前任の岩佐英治についても同様。
- 2009年夏場所千秋楽、優勝力士インタビューの際、「手を挙げてファンのみなさんに応えてください」(優勝力士である日馬富士は、これを断っている)と発言し、翌日の横綱審議委員で内館牧子に「許されない行為。(インタビューの際、両手を挙げることが多い)朝青龍に毒されている」と批判された。
- 報告者紹介テロップでは最初は写真が使われたが、すぐに似顔絵に変更された。番組にちなんだ「いちばん星!」のポーズである。
- なお、このコーナーは『NEWSシャトル北九州』にも同時ネットされ、福岡県全域で放送された。
[編集] ウィンタースポーツ
トリノオリンピックではフィギュアスケート(ペアと女子シングル)、バイアスロン(女子7.5kmスプリント)、女子カーリング(カナダ戦、スウェーデン戦、イギリス戦の3試合)の実況を担当したが、女子カーリングにおける彼の実況も有名である。
- 中でも女子日本代表の本橋麻里の愛称「マリリン」を随所で発したエピソードは有名で、マイナー競技であったカーリングに注目してもらうために開幕前の記者会見で事前の取材で知っていた「マリリン」の愛称を放送で使っていいかという質問をぶつけたところ本橋本人も快諾、そして中継では「ご存知マリリン」、「マリリンショット」(本橋が得意とする、敵のガードストーンをはじき出すショット)などと本橋選手が出てくるたびに実況を行ったほか、対カナダ戦では選手の呼び方を確認しに来たカナダ側の実況陣にもこの愛称を紹介、使用を勧めている。
- なお、一見刈屋が突然この愛称を使い出したと思われているが、実は日本の初戦で日本テレビの河村亮アナが本橋を「この選手は『マリリン』と呼ばれています」と紹介することで伏線を張り、次の試合を担当した刈屋が一気に多用して定着させるという絶妙の作戦が実行されている。[3]
- また、前述のカナダ戦では小野寺歩選手が(シートの反対側にいた)目黒選手、本橋選手に「(コース)見える~?」という声に対して「(解説の小林宏に向かって)見えますよね?…思わず私が応えてしまいました」と実況をした一幕もあった。
- 結局刈屋の作戦は見事に成功し、実際彼の実況で興味を引かれ、見始めると競技の内容にすっかり引き込まれた、という人も多い。
[編集] 現在の出演番組
[編集] 過去の出演番組
- 『ニュース845福岡』(ほか九州・沖縄圏内、福岡県内ローカルニュース)
- 福岡から東京アナウンス室、情報ネットワーク出向後も数ヶ月に1回程度だがニュースを担当することがある。
- 『思い出のメロディー』(2007年放送の第39回 大分県のある学校からの中継レポートとして担当)
- 『サンデー健康ほっとライン』 BS2 2000年-2001年
- 『ウイークエンドスペシャル 発見!世界の子育て』8回シリーズ BS1 2001年
- 『教育フォーカス』 NHK教育 2002年-2003年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
最終更新 2009年9月14日 (月) 08:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【刈屋富士雄】変更履歴


