初花

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初花(はつはな)は天下三肩衝の一つ。徳川将軍家伝来の陶製茶入である。古来「大名物」として名高い茶入で、中国の南宋または時代の作と推定され、戦国時代に日本に渡来した。足利義政の命名とされる。 重要文化財指定名称は、唐物肩衝茶入 銘初花(からものかたつきちゃいれ めいはつはな)。

目次

[編集] 概要

陶製、高さ8.8cm。「肩衝」とは器の肩部が水平に張った茶入のこと。肩から底部にかけて茶褐色の釉が流れて景色をつくっている。

[編集] 伝来

日本に伝来する以前は楊貴妃の油壺であったとも。足利義政から村田珠光の門人の鳥居引拙の所持となり、大文字屋疋田宗観を経て織田信長の所有となった。天正5年(1577年)、信長は嫡男信忠が三位中将に昇進した祝いと家督相続の印として他10種の茶道具とともに初花を贈るが、天正10年(1582年)本能寺の変により流出。具体的な経緯は不明だが松平親宅の所有となる。

その後、徳川家康に献上され、天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いの戦勝祝いに豊臣秀吉へ贈られる。このことは千宗易島井宗室へ宛てた書状に書いている。(この時の使者が石川数正であり、これが石川数正出奔事件に繋がる。)初花を手に入れた秀吉は大阪城初の茶会を始め、たびたび大茶会にこれを飾った。秀吉は初花を使用して見せることで、自分が織田政権の後継者だと周囲に示そうとしたのだと考えられる[1]。天正15年(1587年)、九州征伐により楢柴肩衝秋月種実から秀吉の手に渡り、天下三肩衝が秀吉の元に揃う。

秀吉の臨終により宇喜多秀家へ相続されるが、秀家が関ヶ原の戦いに敗れたため再び家康の手に渡る。大坂の陣で戦功のあった家康の孫・松平忠直(次男・結城秀康の子)に恩賞として与えられたが(褒美に領地を貰えなかった事に不満を持ち初花を打ち砕いたという話もあるが、初花が現存しているので作り話と考えられる。)忠直改易時に将軍家に戻った。(忠直の死亡後に行方不明になり元禄11年(1689年)に元越前家にあった初花を松平備中守が献上したとも。)

現在は国の重要文化財に指定され、東京の徳川記念財団に保管されている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 竹本千鶴「織豊期の茶会と政治」思文閣出版、P359

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月2日 (水) 02:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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